2014年6月22日日曜日

さよなら、バークレー

ついに夫が卒業し、日本へ帰国することとなった。帰国日の6日前に夫が修士論文を提出し、船便の梱包と掃除を急いで進め、帰国日の1日前に卒業式、翌日にはバークレーを発つと言うタイトスケジュールで、最後までドタバタしながら飛行機に乗って、そういえば日本へのお土産を何一つ買っていなかったことに気づいてがっかりしたのが実は1ヶ月前。

2年前、正確に言うなら1年9ヶ月前に成田を発ったときは、初めての海外生活に戦々恐々としていた。バークレーに到着したばかりの頃はカフェで店員さんにトイレの鍵を借りるのにもドキドキしながらだったし(やっとの思いで借りたら鍵には「Men」と書いてあったけど)、アイスクリーム屋さんで全財産が入った財布を置き忘れたりしたし(親切な方がすぐに届けてくれたけど)、その他にも波乱はいろいろあったけど、今思い返してみると、とても楽しくて幸せな日々だったように思う。

いろんな人種の人がいて、いろんな国の言語やいろんな国のアクセントの英語が飛び交って、そんななかで親切にしたりされたり、友達になったりできるという環境がとても好きだった。日本しか知らなかったときよりも、日本のことがよくわかるようになったし、他の国の人たちに対する理解も深まったと思う。本当に貴重な経験ができた。

なかば諦めていた子どもを授かり、子育てを始めたことも大きく自分を変えるきっかけになった。以前よりもさらに、よりナチュラルなものを求めるようになったし、よりリベラルに生きたいと思うようになった。何よりも、人生に対して前向きになった。真面目さとか我慢強さだけが自分のとりえだったけれど、今は自分も周囲も明るく楽しくなる方へと路線変更して、朗らかに生きていきたいと思っている。

バークレーでの生活を終えるにあたり、このブログの更新も今回で最後。思っていたより多くの方に読んでいただき、嬉しいフィードバックをいただいたりして、少しは役に立てたのかなと思うと達成感があります。これからは、家庭を守りながらも、また何か別の形で自分にできることを見つけていきたいと思っています。これまでお付き合いくださった読者さん、ありがとうございました。

さよなら、バークレー!さよなら、みなさん!どうかお元気で。

                                                   
                                                     (おわり)


2014年6月21日土曜日

帰国準備

帰国までにやったこと一覧です。

<家具のもらい手を探す>
帰国する人にとって、これが一番の悩みどころ。自分でMoving Saleを開催したり、知人のツテをたどってバークレーに引っ越してくる人を見つけたり、と時間も労力もかかる大仕事。私たちの場合は幸いなことに、今度バークレーに越してくるという方とお知り合いになる機会を得たため、その方に家具一式を安値で買っていただく(押し付けるとも言う)ことができた。そのほかには、ソファー2つを夫のクラスメイトに結婚祝いとして贈呈したり、こまかいものはyard sale(下記参照)にて破格で売り払ったりした。

<クロネコヤマトの申し込み>
クロネコヤマトのホームページでは、なるべく帰国日の2ヶ月くらい前までに申し込んで欲しいと書いてあったので、急いで申し込んだ。申し込みフォームの備考欄に「梱包は自分たちでやる」旨を書いたところ、単身パックを勧められた。荷物の量を見積もって、ダンボール大12箱小8箱を頼んだ。実際に使用したダンボールの数に応じて費用が発生すると聞いたので、多めに調達。

<日本での住まいを見つける>
夫の仕事の都合により、日本に到着した2日後から通常通りの勤務が始まるため、できるだけ早く新しい住まいを確保しなければならなかった。東京に戻ることがわかっていたので、以前お世話になった不動産屋さんに電話やメールで連絡をとり、こちらの希望条件を伝えて物件を見立ててもらった。内見はせずに間取り図だけで契約を交わした。

<village officeに退去の申し出>
退去する日の30日前までにofficeに書類を提出しないといけないので、それよりも前に退去に関する書類をもらいに行く必要がある。提出するときにはinitial inspectionについて意思表示をしておかないといけない。退去日の約2週間前にinitial inspectionというものを受けることができるので、権利放棄する(受けない)か、立会い付きで受けるか、立会いなしで受けるかを選択する。私は立ち会いつきで受けることにしたら、その場で日時を決めてくれた。

<航空券の購入>
 fareboomというサイトで、JALのサンフランシスコ~羽田が激安になっていた!大人2名&幼児1名(lap child・座席なし)で約2000ドル。

<不要品の処分>
私が所属している環境保護団体・nature villageがUC villageにて主催するyard saleに参加して、手放したい物を安価で売りさばいた。売るほどでもないけど捨てるのは忍びないと思うものはdonation boxに寄付。使用済みのインクカートリッジと乾電池はvillage officeのドア付近にあるe-waste boxに入れてきた。





それから、読まなくなった日本語の本を何冊かBerkeley Public Libraryに寄贈した。事前の連絡も何もせずに、いきなり受付に本を持ち込んで「donationしたい」と言ったら、それで手続きは終了。こちらの身元や寄贈内容の確認などは一切なし、という気楽さ。これからバークレーに来る日本人のみなさん、「ローマ帝国滅亡史」は夫からの寄贈品です。ところで、妻としては2年前の夫に聞きたい。こんな重たい本を(しかもバークレーで読まなかったし)なんでわざわざ日本から持ってきたの?

<部屋の掃除>
initial inspectionでけっこうダメだしをされてしまったので焦った。前の住人がブラインドの紐を結んでいたのをそのままにしていたら、「ほどかなくてはダメ!」とチェックリストに×を付けられた。何てこまかいんだ!ちなみに、窓ガラスと壁の汚れ(子どもの落書きなどを含む)はそのままでいいらしい。引越し直前までこのことに気がつかなくて焦りに焦った…。リストはよく確認しよう。

<空港までのアシを確保>
チャイルドカーシートを用意してもらえるという、ABC Shuttle Serviceを予約。しかし結局、ご近所の方のご厚意に甘え、空港まで送っていただくことになり、こちらはキャンセルしてしまった。

<クロネコヤマトの荷造り>
 思っていたよりも荷物が少なかったので、ダンボール大8箱小4箱に収まり、値段は980ドルだった。クロネコヤマトに引渡しできるのが平日のみ。私たちは日曜日に帰国したので、2日前の金曜日に引き取ってもらった。

<郵便局で住所変更>
USPS(The United States Postal Service)のホームページから住所変更をしようとしたら、転居先の住所にはアメリカ国内の住所しか入力することができなかった。そこで、最寄りの郵便局であるSolano Post Officeに行って、窓口でMover's guideと書いてある封筒をもらい、中にあった用紙に手書きで記入した。この用紙(大きめのはがきのような感じ)も転居先がアメリカ国内向けに作られているけれど、転居先の欄に州の略文字2文字分の枠に無理やりJAPANと書き、zip code欄の5文字分の枠に日本の郵便番号7桁を記入。郵便事故に遭ったら嫌なので、窓口のスタッフに手渡してきた。帰国してから2週間後には郵便物が転送されてきた。

<Telebearsで住所変更>
officeから渡された退去の書類に、Telebears(UCバークレーのWeb学生登録)でも住所変更しておくように、とあったので日本の新しい住所を登録。

<銀行口座について>
私たちは、夫の希望でCitibank N.A.の口座を残しておくことにした。学生ではなくなるので今後は口座維持手数料が発生するのでは…と心配していたところ、社会人向けのコースのうち一番ランクが低いものを選んだとしても、口座に1500ドル以上の残高があれば手数料は発生しないことを窓口で教えてもらったので、そちらのコースを選んだ。コースは全部で3ランクあり、預金額に応じて受けられるサービスの内容が異なるらしい。銀行員さんがパンフレットをチラッとしか見せてくれなかったので詳細はわからなかった。

~子どもに関してやったこと~

<洋服&おもちゃの買いだめ>
日本での育児経験がある方が口をそろえて言うのが、「日本は子どもの洋服やおもちゃの値段が高い!」ということ。帰国前にSolanoにある中古屋さん・Chloe's Closetにて洋服とおもちゃをまとめ買い。このお店は洋服(0歳から2歳まで)やおもちゃ、三輪車や電動スイングなどを中古で販売しているほか、離乳食用のエプロンやコップなど新品のものも扱っている。

<予防接種の記録を発行してもらう>
お世話になっていたKiwi Pediatricsに帰国することを伝え、予防接種の記録(immunization record )を書いてもらった。息子は1歳になる直前に帰国することになるので、1歳検診と予防接種を受けさせてもらえないかと頼んでみたものの、検診はできるけれど予防接種については早すぎるのでできない、と言われた。検診だけ受けに行ったら、ドクターが日本で小児科にかかるときのために、これまでの検診のsummaryを書いてあげると言ってくれて記録をもらえた。

<おまけ・日本での転入手続きについて>
区役所に転入届を出しにいくときに、印鑑とパスポートだけ持っていったらダメだった!戸籍謄本と戸籍の附票が必要だと言われ、本籍地のある区役所まで急いで取りにいき、再び区役所に戻った。日本に入国した日付の確認が必要なので、息子のパスポートは日本のものだけで足りた。

転入届の提出だけでなく、私はその日のうちに住民票の写しも発行してもらいたかったので、そのことを申し出ると「1時間以上かかるので、そのあいだにお子さんに関する手続きをしていてください」と言われた。

まずは健康推進課に案内されて母子健康手帳の交付を受けた。それから次に子育て支援課に赴いて児童手当について説明を受けることに。うちの場合は夫の勤務先から支給されるので、区に対して行う手続きはなかった。続いて子ども医療証の発行をしてもらう。息子の医療費については、夫の勤務先から発行された保険証で8割、区から2割、負担してもらえるらしい(手続きから2日後には区役所発行の子ども医療証が郵送で送られてきた)。さらに予防対策課に通され、予防接種の予診票の発行を受けることに。

…しかし、転入届を出すだけのつもりで来ていて、まさか子どもに関してこんなに手続きをする展開になるとは思っていなかった私はimmunizaition recordを持参しておらず、後日出直して予診票をもらうことになった。

そんなわけで、私から最後のアドバイス。海外で出産された方が日本で転入届を提出するときは、お子さんに関する書類は念のために一式持っていった方がいいです。

2014年6月7日土曜日

アメリカで救急車を呼ぶ

ときは1月の終わり、息子が生後8ヶ月になって間もないある日のことだった。いつものように寝かしつけた息子が、どうも寝苦しそうにしている。しきりにモゾモゾするので、落ち着かせようと思っておでこに手を当ててみると、驚くほど熱い。まさかと思いつつ体温を測ってみたところ、102.5F。私は摂氏と華氏の換算ができないので、インターネットで調べると何と40.2C!3時間前までは何ともなかったのに、いきなりこんな高熱が出るなんて!

「定本 育児の百科」を読んでみるに、たぶんこれは突発性発疹なんだろう。突発性発疹は生後6ヶ月から2歳くらいまでのあいだにほとんどの子どもが経験する通過儀礼のようなもので、ある日突然高い熱が出て、熱が引いたあとに発疹が身体じゅうにできるという。病院に行ったところで何かできるわけではないので、全快するまでの1週間程度は自宅で看護するしかないらしい。

それならこのまま様子を見るしかないのか、と思う一方で、私には引っかかることがあった。産後Alta Batesを退院するときに、NICUのスタッフから「赤ちゃんの体温は98F~99Fが標準なので、もし97Fを下回ったり100Fを上回ったりしたときは、すぐに病院に連れて行くように」と言われていたのだった。突発性発疹だろうから自宅安静でいいのか、それとも102.5Fもの熱が出ているから病院に行った方がいいのか、判断に迷う。そんなときに、息子が嘔吐したので慌てる。突発性発疹って嘔吐を伴うものなの?もしかして何か別の病気にかかっているのかな?でも病院と言ったって、午後9時を過ぎていたのでKiwi Pediatricsは閉まっているし、いったいどこに行けばいいの?そんなこんなで慌てているうちに、息子が再び嘔吐。苦しいのか、ずっと泣き続けている。なかばパニックになりながら、仕方がないと覚悟を決めて911に電話した。

アメリカでは警察と救急が同じ電話番号なので、911に電話したときはどちらを呼びたいのかはっきりさせないといけない。「私のベイビーが102.5Fの熱を出して、この1時間以内に2回嘔吐して…」と伝え、住所を教えたところで最後にオペレーターの女性が「あなたはバークレー市に住んでいるのよね?」と尋ねてきたので、「いえ、アルバニー市です(UC villageがあるのはアルバニー市)」と答えると電話が突然どこかに転送された。

次に応対してくれた女性に最初から説明し直したところ、息子の状態についていくつか質問を受けたのだけど、「Is he breathing?(呼吸はしていますか?)」という質問でなぜか頭の中が真っ白になってしまい、「意味がわかりません。ブリージングって何ですか?」とパニックになってしまった。そして電話がまたどこかに転送された。一から説明し直して住所を伝えて、また転送されて、というのを繰り返し、結局7~8回は転送されて、どこの誰と話しているのだかわからないままに、「Is someone coming?」「Yes」というやりとりで電話が終了。電話を切って2分と経たないうちに救急隊員が自宅に到着。

救急隊員は白人男性とアジア人男性の2人だった。「薬は何か飲ませたの?アスピリンを飲ませればいいんだよ」と言われたけれど、素人判断で赤ちゃんに薬なんて飲ませて大丈夫なんだろうか?救急車に乗り、病院に搬送される。救急車に乗って最初にしたことは、息子の保険の確認だった。私はMedi-Calの会員証を提示した。車に乗るからと思ってカーシートを持ってきたのに、息子を座らせようとすると大泣きしてしまったので、担架を起こして私が座り、私の身体を固定したところに息子を抱っこする、という方法で息子を運んだ。

向かったのはChildren's Hospital At Oakland。あとでわかったけれど、自宅から18番のバス1本で来られる場所だった。夜間も患者を受け付けているようで、待合室にはたくさんの赤ちゃんや子どもがいた。ここで息子の名前が呼ばれるのを待つ。

…しかし、30分以上待っても全然呼ばれる気配がない。息子は病院に着いてからずっと泣き続けている。とりあえずオムツを替えようと思い、トイレのオムツ交換台に息子を仰向けに寝かせた瞬間、噴水のようにゴボゴボと大量に嘔吐。泣きたい気持ちで息子を抱え、受付の女性に診察を急いでもらえないかと頼んでみると、Triage Windowに行くようにと言われる。待合室の一角にあるガラス張りの部屋がTriage Windowという部屋で、診察の前に応急処置が必要な患者はこちらに呼ばれるようだった。Triage Windowにいたスタッフに、息子の名前がwaiting listにあることを確認してもらい、ほどなくして呼ばれた。

飲み薬になっているイブプロフェンを口の中に入れた途端に、またしても大量に嘔吐!もう、息子の身体はいったいどうなってしまったんだろう?替えの洋服を持ってきていなかったので入院着をもらって着せ替え、座薬を入れたところで個室に通され、ドクターの診察を待つことに。

個室で待つこと30分以上。看護師さんがやってきて、先ほど息子が嘔吐してしまった飲み薬を再び投与。今度は吐かずに飲むことができた。そこから待つこと1時間、体温の計測があり、すっかり熱が下がっていることが確認できた。息子もすうすうと寝息を立てるようになり、顔には早くも発疹が現れ始めていた。この日は患者の数が多かったそうで、ドクターの診察を受けられたのは翌朝の7時過ぎだったけれど、そのころには息子は元気になっていた。

ところで、救急車を呼んだとなると、気になるのが費用のこと。3ヵ月後の4月末に請求書が届いた。それを見てみると…なんと2264ドル(約23万円)!内訳は夜間呼び出しの1895ドルと、移動距離に応じた金額が369ドル(1マイルあたり45ドルらしい)。Medi-Calが支払いを拒否したので、あなたは100パーセント自己負担することになっている、と書かれていた。救急車を呼んだ時点で覚悟はしていたので致し方ない。金額については予想以上に高い!と思う一方で、Medi-Calのおかげでこれまで息子の医療に関しては1ドル足りとも支払わずにきていたので、このくらい払っても全然足りないくらいだという思いがあった。Medi-Calに加入できたおかげで、超音波検査を含む妊婦検診と分娩費用と6日間の入院費、息子の黄疸治療、産後の母体の検診(Medala社の電動搾乳機のプレゼント付き)と息子の健康診断や予防接種まで、すべて無料で受けてきたから。

しかし請求書には肝心の支払い方法が書かれていなかったので、とりあえず最寄りのアルバニー市役所の分署まで行って質問してみることにした。Fire Departmentに案内されたので、窓口に出てくれた消防士さんに請求書を見せてみると「保険会社が全額拒否するなんておかしい。普通は一部でも負担してくれるものなのに。僕が問い合わせてみるよ」という親切なお返事をいただいた。「私たちの帰国が迫っているので、手続きしていたらきっと間に合わないと思う。全額支払ってもかまわないんだけど」と言っても、「いや、これは保険担当部門にかけあった方がいいよ」と消防士さん。

結論から言うと、息子のMedi-Calは無効になっていたので、救急車代を拒否されてしまったらしい。実は息子がMedi-Calに承認されてから5ヵ月後に、Medi-Calからパンフレットが送られてきて、子どもの保険をAnthem Blue CrossかAlameda Allianceのどちらか選ぶようにという通知がきたので、Kiwi Pediatricsに確認してAlameda Allianceに加入していたのだった。だから、救急車に乗ったときにMedi-CalではなくてAlameda Allianceの会員証を提示すればよかったのだ。私はこのときまで、Medi-Calがすでに無効になっている(担当がAlameda Allianceに移ったというべきか)ということを知らなかったのでびっくり!

それで、救急車代はAlameda Allianceが何と全額負担してくださいましたとさ。カリフォルニア州、すごすぎる!このご恩は一生忘れません!

2014年5月31日土曜日

夜泣きとの格闘記録

息子の夜泣きは、それはそれは激しいものだった。いまだに夜中に1~3回は起きてしまうけれど、それでも状況はかなり良くなってきていると思う。これは半年以上にわたって夜泣きと格闘してきた記録です。もし夜泣きで苦しんでいる方がいたら、どんなに難易度の高い赤ちゃんでも諦めずに手を打てば多少は改善できるのだという希望を持ってもらえたら嬉しいです。

<生後5ヶ月~7ヶ月半 夜泣きで最も苦しむ日々>

午後7時ころに寝かしつけても息子は20~30分後には目を覚まし、それと同時に「ギャー!!」と泣き叫び、涙を流して手足をバタつかせ、背中を反らしながら30分くらい泣き続ける。この間、ミルクを飲ませてもダメ、抱っこでゆらゆら揺らしてもダメ、おひなまきをしようにも暴れるのでできず、外に連れて行ってもダメ、youtubeで赤ちゃんが泣き止むという音楽をいろいろ聞かせてもダメ、一般的に赤ちゃんが泣き止むと言われている音(ビニール袋をガサガサしたときの音や水が流れる音、ドライヤーの音、耳元で「シーっ」と言ってみる)を聞かせてもダメだった。ほとぼりが冷めるまで根気強く抱っこし続ける他なかった。落ち着きを取り戻したところから、再び抱っこで揺らして30分~2時間くらいかけて寝かしつける。

この「ギャー!!」というパニック泣き(うちではこう呼んでいた)が一晩のうちに4~5回繰り返され、おまけに午前4時か5時くらいになると息子は覚醒してしまってもう寝ないので、絶望的な気持ちで息子の遊び相手を始め、また新しい一日が始まる、という生活だった。お昼寝については、1時間近く抱っこをして寝かしつけると、たったの15分で「ギャー!!」と目を覚ましてしまうという有様だった。Sleep Trainingの記事に書いたことはこの期間に試していた。そして困ったことに、このパニック泣きは夜間だけでなく、日中にも1~2回起きていた。

抱っこのしすぎで腕の関節から不吉な音がするとか寝不足で幻覚に悩まされるとか、肉体的に辛いということはもちろんだけど、それよりも辛かったのは、何をしても息子が泣き止んでくれないということだった。「いったいどうしてこんなに泣くの?」「私の何がいけないの?」「私を母親として認めてくれていないのでは…」と思考回路がネガティブな方へと突き進み、毎日テーブルやら布団やら絨毯に突っ伏して泣いていた。寝かしつけをしていてもあまりの辛さに涙が止まらず、「お願いだから寝てよ、ママはもう疲れて死んじゃいそうだよ」と繰り返していた。今だから書けるけれど、当時は死にたいと思うことすらあった。

そんな状況下でもどうにかこうにか自分を保つことができたのは、「親を苦しませようと思って泣く子はいない」と信じていたから。うつ状態にならないために、毎日必ず外に出て誰かと話をするようにして、自分の心をポジティブな方へと持っていく努力をした。クタクタに疲れていたので辛かったけれど、子連れで出歩いていると、すれ違う人や店員さん、バスの運転手や乗り合わせたお客さんなど、あらゆる人たちが声をかけて祝福してくれるので、心の底から救われた。アメリカで子育てできて一番よかったなと思うのはこの点だった。

<生後7ヶ月半~9ヶ月 添い寝で心の不安を取り除く>

息子が生まれてからずっと、育児の参考にしている本「定本 育児の百科 松田道雄 著」によれば、生後7ヶ月ころの赤ちゃんが夜泣きをする理由は主に不安から来ているのだという。「7ヶ月になった赤ちゃんが夜に泣くのは、目がさめたとき、暗いのが不安になって、最大の保護者である母の愛撫をもとめているのだ。母親に抱かれることで安心して、まもなくねつくというのなら抱いてやるべきだ。抱くだけでなく乳もでるのなら、のませてやるべきだ。とにかく夜中におきた赤ちゃんは、早くねむらせることだ。ミルクでも母乳でも、すぐに与えて、満足させてねむらせるのがいい。深夜の授乳は、成長がすすんだり、あたたかくなったりして、赤ちゃんがもっと安眠できるようになったら、自然にやんでしまうものである」と書かれている。

夜泣きの原因が不安だと聞いても、当初私はそんなはずはないと思っていた。毎日長い時間息子を抱っこしているし、語りかけもしているのだから、愛情は充分に伝わっているはずだと思い込んでいた。けれど夜泣きが一向に治まらないので、もしかして息子はまだまだ安心できていないのかもしれない、と思うようになり、再び添い寝を始めることにした。

添い寝については賛否両論あるけれど、松田博士が「めいめいの家庭が平和にいくようにという立場からかんがえるべきである」と書いていたので、うちでは添い寝をすることにした。

息子が眠そうにしていたら、布団に寝かせて私の身体にぴったりくっつけて、おなかや背中を優しくトントンしながらミルクを飲ませる、そして息子が眠りについてからもずっと私はくっついたままでいる、という方法で添い寝をした。以前添い寝をしていたときは、息子が眠りについたら私はそばを離れてしまっていたけれど、今回はずっと一緒にいることにした。

最初はやはり20~30分ごとにモゾモゾしたり起きて泣いたりしていた。けれど1ヵ月半ものあいだ続けていたら、いつのまにかパニック泣きがなくなり、私にくっついていなくても寝られるようになり、電話や玄関のチャイムが鳴っても起きないほど眠りが深くなった。何よりも嬉しかったのは、息子がとてもよく笑うようになり、周囲から「Happy baby!」と言われるようになったので、やってよかったと思っている。

<生後9ヶ月~10ヶ月 ミルクでの寝かしつけをやめる>

そうはいっても、相変わらず夜中に何度も起きる生活が続き、さすがにもう体力的に限界を感じるようになった。私が参考にしているジーナ式の本「The Complete Sleep Guide for Contented Babies and Toddlers」によると、生後6ヶ月を過ぎた赤ちゃんが夜中に泣くのは、必ずしも空腹が理由ではないという。長いあいだにわたってミルクを飲んで寝かせるという癖を息子に植えつけてしまったけれど、離乳食が順調に進んでいることも考えて、夜間のミルクをやめてみようと決意。

ジーナがこの本の中で紹介している夜間のミルクの減らし方については、以下のとおり。赤ちゃんが眠りについてから最初に目を覚まして泣いたとき、いつも与えているミルクよりも20~30ミリリットル少ない量のミルクを飲ませ、それでも何か欲しそうにしている場合は水を飲ませて眠りに戻らせる。2回目以降は、いつもどおりに又は赤ちゃんがもっと欲しがるようならいつもより多くミルクを飲ませてよい。この影響でもし日中に飲むミルクの量が増えても気にしなくてよい。

次の日は、最初に目を覚ましたときには前日からさらに20~30ミリリットル少ない量のミルクを飲ませ、それでも足りないようなら水を飲ませて、赤ちゃんを眠りに戻らせる。2回目以降はいつもどおり又はいつも以上に多くミルクを飲ませてよい。

こんな風に、まずは最初に起きたときに飲むミルクの量を徐々に減らして、最終的には水だけで落ち着くようにする。それが達成できたら今度は2回目に目を覚ましたときに飲むミルクの量を20~30ミリリットルずつ減らしていって、最終的には水だけで眠りに戻れるようにする、というゆるやかな方法を実践した。このやり方は、ジーナも書いているように長期戦になるので、お母さんが体力的に可能なら、という条件がついている。ジーナが強調しているのは徐々に(gradually)減らしていくということ。赤ちゃんにとって、いつも飲んでいるミルクの量を減らされるというのはストレスフルなことだから、というのがその理由だった。

結局3週間かかったものの、あんなに寝なかった息子が連続して9~11時間寝るようになった!この頃に行った旅行でもすやすやと眠ってくれて、私は体力を少し回復することができて助かった。

<10ヶ月の終わり~11ヶ月 風邪をひいて元に戻る>

しかし幸せは長くは続かなかった。モントレー旅行でひいた風邪をこじらせて息子にうつしてしまった。体調を崩したことがきっかけで、息子が再び2時間ごとに泣くようになってしまい、夜間のミルクも再開するはめになってしまった!これまでの血のにじむような努力が水の泡に…。無念。


<11ヶ月~現在 動けるようになって睡眠時間が増える>

11ヶ月を過ぎて、息子が自分で動き回るようになって疲れるようになったせいか、一度に4~5時間まとめて寝てくれるようになった。寝かしつけも、布団に寝かせてトントンしていれば眠りにつくようになったので、私の身体の負担がだいぶ減った。まだミルクに頼ることもあるし、夜通し寝ることなんてないけれど、20分で目を覚ましていたころに比べたら飛躍的な進歩を遂げたと思う。



2014年5月10日土曜日

桜祭りde阿波踊り

4月20日、サンフランシスコで開催された桜祭りに行ってきた。見物客としてではなく、阿波踊りに参加するために。私たち一家は徳島とは縁もゆかりもないけれど、友達の友達が徳島出身という何とも細いご縁で桜連の皆さんに出会い、暖かく迎え入れていただいた。

桜連の方たちは、普段はサンフランシスコやエルセリートで阿波踊りの練習をしていて、今回の桜祭りに限らず様々なイベントで踊りを披露されている。メンバーは日本人だけではなく、3分の1くらいをアメリカ人が占めている。この会の代表を務めているKeijiさんは、エルセリートにある日系の雑貨屋さん「Gipang」(以前は「Ichiban-kan」という名前だった)で店長さんをしている。

桜祭り当日、夫は踊り手として、息子と私はベビーカー部隊(注:阿波踊りにはそんなものありません。要するにオマケ)としてパレードに参加させてもらうことに。よそ者の私たちにまでハッピを用意していただいて、ありがたい限り。

パレードの出発地点まで、衣装を着た皆さんと歩いていくだけで、注目の的。歩行者も車で追い越していく人たちも、カメラを向けてくる。私も2年前には、まさかサンフランシスコの街中をハッピを着て歩くことになるだなんて、夢にも思わなかった!

一面芝生になっている広場で、パレードの開始を待つ。桜連のほかにも、沖縄県人会の方たちや東京スカイツリー音頭を踊る方たちもいた。コスプレ軍団がいたり、柴犬愛好会(?)でもあるのか柴犬を連れた集団がいたり、綾波レイを燦然と描いたイタ車を発見したりして、ここは本当にアメリカなのか?という気がしてくる。

そうこうしているうちに、いよいよパレード開始!楽器演奏を担当する方が音色を奏で始め、踊り手の皆さんが踊りながら練り歩く。最後尾にはなぜかベビーカー。いくつもの坂を乗り越えながら1キロ近く進み、終点はジャパンタウン。この間、沿道には大勢の人がひしめきあい、割れんばかりの拍手と歓声と無数のカメラを向けられ、自分が歩いているのがまるでレッドカーペットであるかのような錯覚がしてくる。




フィナーレを飾ったのは樽神輿だった。神輿に乗っているふんどし姿の男性をみて、近くにいたヒスパニックの男の子が「お尻が見えてる!」と爆笑していた。お母さんが「あれはコスチュームなのよ!」と一生懸命たしなめていたけど、生まれて初めてふんどし姿をみた男の子にとってはよほどセンセーショナルな光景だったんだろうなと思う。

パレードが終わっても、踊り手の皆さんは多くの人から写真撮影を求められ、きっと疲れているに違いないのに、サービス精神を発揮して笑顔でリクエストに応じていた。

この日はお祭りだけあって、ジャパンタウンはとんでもない数の人でごった返していた。日本文化というと、コスプレやアニメがフォーカスされがちだけど、それでも日本文化に興味を持ってくれる外国人がこんなにもいるということは幸せなことだと思う。


2014年5月1日木曜日

GSPP Talent Show

先日、GSPPの1、2年生を対象にしたイベントであるTalent Showに出席してきた。これは一言でいうと学芸会で、学生の中から希望者がステージで一芸を披露し、みんなで鑑賞するという企画。夫は図らずとも2年連続で舞台に上がることになってしまった。

昨年はGSPPの日本人組で宇多田ヒカルの「Traveling」に合わせてダンスする羽目になり、夫は頭に猫耳を付けて舞台で踊ったのだった。日本人組といっても、日本語ペラペラのアメリカ人・アンドリュー(和名:安土竜)が日本人の学生4人プラス自分の名前で勝手に出場登録してしまい、「これは断われません(笑)」というメールを送りつけてきたのがきっかけだった。

夫はクラスメイトのあいだで「なんか面白い奴」として認識されているためか、今年もやはり巻き込まれてしまった。チーム・BrozambiqueとしてBoys II Menの「End of the road」を歌うことになったのだ。夫が練習のためにこの曲を100回近く自宅で聴き続けたのには参ってしまったけれど。

このイベントには家族を連れてくることができるので、今年は息子と私も出席。軽くつまむ程度の食事をしながら、ショーは進む。







素人の一芸披露だからと言って侮るべからず。歌にしろダンスにしろ、あまりのレベルの高さに呆然としてしまう。皆さん、お勉強ができるだけではないのだ!


2014年4月27日日曜日

シカゴと私

土曜の午前9時過ぎにリッチモンド(バークレーの隣町)を出発し、月曜の午後3時ころシカゴに到着。列車を降りた瞬間から寒い!まるで冷凍庫の中にいるかのように空気が冷たい。線路や道路のあちこちに雪が残っている。

規模が大きくて迷子になりそうなシカゴ駅を出て、まずはホテルへ。私たちが泊まったのはWyndham Grand Chicago Riverfront Hotel。ここは部屋の内装がきれいでとても良かった。荷物を置いて、さっそく街を散策開始!

しかし、久しぶりに都会に出てきた私には面食らうことばかり。歩行者は横断歩道の信号がまだ赤のうちに歩き出し、車は歩行中の人がいても横断歩道に突っ込んでくる。こんな寒い地域でホームレス生活をしている人たちは悲惨で、コートを着ている人は恵まれている方で、シーツをかぶって震え続けている人もいたし、寒さのあまり動けなくなっている人もいた。悲しいことに、私が見た限りではホームレスに施しをしている人は一人もいなかったし、ホームレスの中でも体力の残っている人は道行く人に声をかけるものの、ことごとく無視されていた。目が見えない人が他の歩行者にぶつかってしまっても、助けてあげる人はいなかった。「アメリカ=弱者にやさしい国」という自分の思い込みが崩れた瞬間だった。

バークレーやホノルルのホームレスにはどこか余裕が感じられる(ここでは、気候のために生命を脅かされることがない、という意味で)のに、シカゴのホームレスは本当に切実だった。とても見ていられなくて、シカゴに滞在していた2日間は自分たちが食べきれなかった食事をホームレスにあげる、と決めて実際に何人かのホームレスにあげた。

シカゴに着いた2日目は観光にあてることにした。夫の強い希望により、アウトサイダー・アート専門の美術館、Intuitへ。メインで展示されていたのはHenry Dargerの部屋だった。

次に足を運んだのはLincoln Park。ここにある公立の動物園がお目当てでやってきた。…ところが、行けども行けども動物がいない。目に入るのは「気候のため、本日は室内にいます」という看板ばかり。前日の夜に雪が降っており、地元民に言わせると「今日はめちゃくちゃ寒い!」ので仕方がないか。動物も人もいない寂しい動物園を歩いていると、植物園があったのでとりあえず温室に入ってみると、中にはたくさんの人がいるじゃないか!みんな暖を求めて来ていたのだ。



意を決して再び外に出て、懲りずに動物園をみてまわる。結局、屋外展示されていたのはライオンとカバだけで、あとの動物は室内展示だった。といっても半分くらいの動物は室内展示すらされていなくて、全く姿を見ることができなかった。ホッキョクグマも奥に引っ込んでしまう寒さ。







この旅はシカゴで何かするというよりも寝台列車に乗ることがメインだったので、シカゴで過ごしたのはたったの2日。翌日にはオヘア空港からVirgin Americaでサンフランシスコ空港へ帰る。

子連れのフライトは慣れたものよ、ベイビー用だと言えば飲み物は何でも機内に持ち込みできるもん、と思っていたら、水を入れていた哺乳瓶と離乳食を入れていたタッパーを没収される。「次から気をつけようね」的温情措置はなく、ホノルル空港で甘やかされた私は相当へこんだ。そうか、そうだよね、液体物は機内に持ち込んじゃダメって、常識だもんね…。

サンフランシスコ空港に着いて、BARTに乗っているあいだ咳き込んでいたら、のど飴をくれたおじさんがいた。BARTの改札口でベビーカーがつかえていたら、電話中だったにも関わらず手伝ってくれた男性がいた。この暖かさ!私の心の故郷はやっぱりバークレーだよ!

2014年4月12日土曜日

寝台列車でシカゴまで

Amtrak鉄道が長距離路線も運行していると知り、バークレーからはるばるシカゴまで行ってきた!長い長い旅の記録です。

私たちが乗ることにしたのは、Emeryville発Chicago行きの寝台列車、California Zephyr。人生初の寝台列車で、シカゴまで乗り換えなしの51時間の旅。ベッドが2つある個室(superliner roomateという名前)を予約し、うきうきしながら出発!

車なしの私たちにとって、EmeryvilleよりもRichmondの方がアクセスしやすかったので、私たちはRichmond駅から乗車。ここは治安が悪いと言われているけれど、意外と駅周辺はきれいだった。…それは良しとして、Richmond駅のホームの電光掲示板にも時刻表にも、私たちが乗る予定の列車のスケジュールが表示されないので焦ったのなんの!おまけに予定より遅れて列車が到着したので、すっかりテンパってしまった!

無事に乗車し、個室に案内してもらう。ところが、「…え?」乗務員に通されたのは、扉が付いた1畳ほどのスペースに向かい合わせになった座席が2つあるだけの小さな空間。ん?予約を間違えたかな?と思いつつ「ベッドはどこですか?」と聞くと、彼女は座席2つを倒してつなげることでベッドを1台作り、頭上に折りたたまれていたもう1台のベッドを引き出してくれた。つまり、個室といっても2段ベッドのスペースしかないのだ!想像していたよりもはるかに狭くて、ちょっとがっかり…。(注:個室にはもう1ランク上のsuperliner bedroom suiteがあり、4台のベッドと専用の洗面台とシャワールームがついていて4.5畳ほどの広さがある。お値段は2泊で約1700ドルとお高め)

でも、寝台車(Sleeping Car)には、共同のトイレとシャワールーム(石鹸とタオルも備えられている)があり、7回分の食事が料金に含まれており、コーヒーやジュース、ミネラルウォーターが自由に飲めるというサービス付きなので、ひとり当たり約500ドルという値段を考えるとなかなか悪くないと思う。食事もアメリカで食べるものにしてはそこそこおいしい。

列車は最前部からCoach Car(個室なしで座席のみの車両。食事代は含まれないので、この車両の乗客はCafe Carで飲食物を買うか、その都度お金を払ってDining Carで食事をすることになる。シャワールームもなし)、Lounge Car(天井近くまで窓になっており、ふかふかの座席とテーブル席がある。乗客は好きなだけここでゆっくりすることができる)、Dining Car、Sleeping Carという構造になっている。

私たちはほとんどの時間をLounge Carで過ごした。ここにいると他のお客さんとの交流が生まれるので、とても楽しかった。ジョン・レノンに似た男性はこの列車で恋に落ち、恋を失った。ドイツ人のおばちゃんは新聞紙から切り抜いたSudoku(数独)のスクラップブックをいつも大事に抱え、シカゴにいる彼女に会いに行くという中国人男性は他の乗客に寄せ書きを頼んでまわっていた。ヒスパニックのおばちゃんは窓からいい景色が見えると、いつも景色をバックにして自分の写真を撮っていた(待ちうけ画面も自分の写真だった)。乗務員は子連れにどこまでも親切だったし、他の乗客もやさしい人が多かった。




寝台車両の寝心地はどうだったかというと、うーん、揺れる揺れる。一晩じゅう扉がガタガタ音を立てるので、乗客のなかには「Crazy noisy car!」と苦情を申し立てた人がいたらしい。うちの家族は悪環境でも割と平気なので2日ともよく眠れたけれど、正直に言って、繊細な方にはおすすめしません。

この列車の醍醐味は何といっても車窓からの景色。出発してすぐにロッキー山脈越えがあり、砂漠を15時間以上ひた走り、雪のコロラドに砂漠、砂漠、砂漠…。アメリカの広さをひしひしと実感。

ロッキー山脈を通過中




シカゴ篇につづく。

2014年3月29日土曜日

モントレー旅行

うちではいつも旅行の計画を練ったり予約を入れたりするのは妻の役目だけど、今回はジーナ式夜間断乳(後ほど記事にする予定)を決行中で疲労困憊だったので、代わりに夫が担当することになった。夫のプランでは、土曜に出発して1泊旅行することになっていた。

金曜日の夕方、ipod touchを見ていた夫が急に挙動不審になったので何だろう?と思っていると、「Googleカレンダーに今日、あと20分後にチェックインって表示が出てきた…」と言う。インターネットで予約状況を確認してみると、なんと今日(金曜)宿泊することになっているではないか!モントレーまではAmtrakの鉄道とバスを使って片道5時間はかかるうえ、その日にモントレーまで行く便はもうなかったので「諦めるしかないよ」と言う私を「ホテル代300ドルは諦められない!」と夫が押し切り、それから1時間以内に荷物をまとめて出発!

サンフランシスコ空港までバスとBARTで行き、空港からモントレーまではMSTのシャトルバスを利用することにした。この次に空港に行くときは帰国するときだとばかり思っていたのに…!

MSTのシャトルバスは、ドライバーのほかに9人までが乗車できる小型のバンだった。サンフランシスコ空港からサンノゼ空港を経由してモントレーまで3時間の道のりを、陽気な黒人のおじさんドライバーが運転してくれた(料金は1名につき50ドル)。車内は静かにジャズが流れるなか、息子は一度も起きずに眠り続けてくれて、深夜、ホテルに到着。海に面した部屋で、窓を閉めていてもかすかに波の音とアシカの鳴き声が聞こえてくる。翌日の夜に泊まるホテルの予約を入れて、とりあえず寝る。

土曜日。寒くて目が覚める。海の近くだからか、ものすごく冷え込む。寒い、寒いよモントレー!この日はモントレー水族館に行ってみた。ラッコとマンボウと、一日に30センチは成長するという海藻・ジャイアントケルプが目玉らしく、大混雑!魚に気をとられていると人にぶつかってしまうほどの、すさまじい混み具合。

1時間ほど潮風にさらされながら歩き、ホテルパシフィックに到着したときには私はすっかり風邪をひいてしまっていた。体感では38度台後半~39度くらいの発熱もあった。明日のホエールウォッチングはダメかなぁ、でもそれが目当てでモントレーまで来たんだから!と根性で一晩のうちに熱を下げる。



日曜日。熱が下がったので、ホエールウォッチングに行くことにする。フィッシャーマンズワーフでおじさんが呼び込みをしていた小型船に乗り、3時間の船旅の始まり!いろんな会社が船を出しているけれど、なかにはリスク回避のためなのか、赤ちゃんが乗船できないものもあるので必ず係員に確認するといいと思う。

出発から10分後にはイルカの姿が見られたりして、わーいわーい♪とはしゃいでいた私。…30分後。ずっと気づかないふりをしていたのに、とうとう無視できないほどの異変がやってくる。船酔いで最初の脱落者となり、船内の休憩室で横になることに。アナウンスで「クジラが3頭見えるよ」などと流れる度に、ヨタヨタと気力を振り絞って見に行くのだけど時すでに遅し、クジラさんが吹いた潮だけが見えるのみ、というのを数回繰り返したあと、力尽きてひたすら寝に徹する。ふと休憩室内を見渡すと、いつのまにか満席になっている。私のほかにはヒスパニックや黒人ばかりで、有色人種は揺れに弱いのかしら?と思ってしまう。白人たちは揺れがくるたびに「ワーオ!」と歓声をあげている。



夫に抱っこ紐で預けていた息子には、この揺れがとても心地よかったらしくてずっと寝ていたらしい。ときどき目を覚ましても、揺れに眠気を誘われて再びすーっと眠りについてしまい、ほとんど寝て過ごしたそうな。



船から下り、フィッシャーマンズワーフを散策し、あわただしくランチを済ませて帰途につく。モントレーから帰る手段は、Amtrakが運行しているバスに2時間乗ってサンノゼ駅まで行き、サンノゼ駅からはAmtrakの鉄道でバークレー駅へ。車がなくても何とかなるものです!




2014年3月22日土曜日

Children's Discovery Museum

サンノゼにあるChildren's Discovery Museumに行ってきた。ここは子どもが科学に親しむことができる企画や展示がたくさんあって、一日じゅう楽しめるおすすめの場所。

自宅からサンノゼまではAmtrak鉄道を利用して、片道1時間半で行くことができる。サンノゼまでは車がないと行かれないと思い込んでいたので今までずっと行かずにいたのが残念!もっと早く発見していれば、もっと観光できたのに!

最寄り駅は4th streetとUniversity Avenueが交わったあたりにあるBerkeley Station。駅の建物はなく、「BERKELEY STATION」と書かれた高い壁があるだけの無人駅。壁の反対側にまわると、プラットホームも改札口もなく、ただ線路があるのみという造りになっている。Amtrakのホームページでも乗車券を購入することができるけれど、初めてだし手続きがうまくいかなかったら困るから、と思って駅の自動券売機で乗車券を購入。ところが1枚目の乗車券を印刷したところで「OUT OF SERVICE(利用不可)」の画面になって焦る!どうしよう?38ドル(大人2名分の運賃)を諦めるのはちょっと…とあわてながら、購入に使ったデビットカードをもう1台あった自動券売機に入れてみるとデータが残っていて、残りの乗車券も無事に発行することができた。アメリカ生活で学んだ心得「どんなに無理だと思っても諦めない、あがいてみると道は開ける」がこんなところでも活きてくる。



UC villageの住民ならご存知のとおり、Amtrak鉄道の汽笛はものすごくうるさい。以前、駅を下見したときに、間近で聞いた汽笛が耳をつんざくような轟音で、大人でも「うっ…!」と耳を塞ぎたくなるほどで、あまりの音量に息子が号泣してしまったことがあった。今回は息子を泣かせないために、夫の愛用するBOSEのノイズキャンセリング機能付きヘッドフォンを用意。いや、でも大人用だから赤ちゃんに着けても大きすぎるでしょ?と言っていたら、息子の頭にはぴったりだった。生まれたときから頭が大きくて、すれちがいざまに「Big Head!」と言われることも珍しくない息子。BOSEのヘッドフォンのおかげで、貨物列車が通過したときも微動だにせず眠っていた。息子の頭がでかくてよかったと初めて思った瞬間であった。



やってきた電車に乗ってサンノゼへ。汽笛がうるさいのは貨物列車だけで、人が乗る電車の場合はうるさくないのでご安心を。車内の感じは日本の電車と似ている。車掌さんがやってきて乗車券の確認をするほかには乗務員の出入りはない。Cafe Carと呼ばれる、飲食物の販売をする車両があるし、身体障害者用のトイレにはオムツ交換台もある。このルートの残念なところは、車窓からの景色があまりよろしくないところ。BerkeleyからFremontのあたりまでは、廃墟と落書きとごみ処理工場の外に山積みになったごみばかりが視界に入る。



終点のサンノゼで、今度はVTA Light Railに乗り換える。サンノゼ駅から3駅目のConvention Center駅で下車。この路線はClipperが使えるのが便利。

Children's Discovery Museumは、「地球の歩き方」で「子供たちの笑い声が絶えない」と紹介されていたけれど、それは本当だった。建物に入った瞬間から子どもの歓声がひっきりなしに聞こえてきて、館内は楽しい雰囲気で満たされていた。



職業体験コーナーでは消防車や救急車に乗ることができ、模擬のファーマーズマーケットではおもちゃの野菜を計り売りしたり、模擬レストランで料理して給仕したりすることもできる。子どものための科学実験室があり、粘土細工などのクラフトコーナーもあり、水を使って遊べるコーナーは特に子どもたちから大人気!企画の内容を理解して遊ぶには、たぶん1歳半くらいにはなっていないと難しいかもしれない。でもハイハイ専用ルームもあったりして、0歳の子も歓迎されているのが嬉しい。ここで出会った中国人の女の子の赤ちゃん(なんと、魚ちゃんという名前!)と仲よくなることができたのも、素敵な出来事だった。



2014年3月7日金曜日

英語のよみきかせ


赤ちゃんでも参加できる英語の読み聞かせをやっと見つけたので、先月から通っている。Berkeley Public LibraryのCentralで毎週水曜日に行われるBaby Bounce& Toddler Story Time(以下、Baby Bounce)は、短時間ながら密度の濃い内容でとても充実している。

水曜日は10時に図書館が開館する。時間前に到着すると、いつもたくさんの人が待っていて、ベビーカーも数台いる。開館と同時に順序良くエレベーターに乗って4階のChildrenコーナーへ。フロア全部が子供向けになっていて、絵本はもちろん、絨毯敷きになっていて子どもが遊べるコーナーもあり、Baby Bounceは一番奥のStory Roomで行われる。その手前にパソコンコーナーとCD・DVDコーナーがあり、その区画には床に青いテープが直線上に貼られていて、ベビーカーはこのテープに沿って縦列駐車するルールになっている。ちなみにこの空間には日本語の絵本の棚もあり、五味太郎さんや谷川俊太郎さん、中川李枝子さんなどの絵本や「ドラえもん」も数冊置いてあった。

Baby Bounceは、読み聞かせをする女性とギターを弾くおじいちゃんの2名のスタッフが担当。つねに30組を越える親子が参加して大盛況!内容はというと、1冊絵本を読み終える度に歌を織り込み、子どもが飽きないように工夫されている。歌は、Head,Shoulders,Knees and Toes、Open, shut them、If you're happy and you know it, clap your hands、Incy Wincy spider、Twinkle Twinkle Little Starなど、割と有名な曲もあったのでついていくことができた。でも中には子どもをゼリーやプリンに見立てる遊び歌・Jelly in a bowlや、子どもを植物にたとえて遊ぶThis is my gardenという歌など、毎回何かしら初めて耳にする曲があるので一緒に歌えないのがちょっと寂しい。

最後には楽器を使ってみんなで演奏するのが楽しい。マラカスかスティックス(お箸のように2本1組になった棒状の楽器)を選んで、ギターに合わせて歌いながら思い思いに演奏。冒頭の注意喚起で写真撮影は禁止と言われてしまったので、写真を掲載できないのが残念。

インターネット上では、「午前10時からチケットを配り始め、なくなり次第終了」とあったので、「そんなに人気なのかな?」と思って早めに到着したものの、実際にはチケットは配っていなかったし、人数制限もされていなかった。開始時間ぎりぎりに入場する人もけっこう多かったので、時間は気にしなくてもよさそう。30分間の予定なのに、サービス精神旺盛なスタッフが「ほかに歌いたい曲はある?」と次々にリクエストを求めるため、40分まで延長してしまう。

息子が1歳になるころに帰国しなくてはいけないので、それまでのあいだ、たとえ記憶には残らなくてもできるだけ多くの時間を英語に触れさせたい、という思いで育児している。帰国まで約3ヶ月。バークレー生活もラストスパートという感じで忙しい日々だけど、息子に英語教育を贈るために、もうしばらくがんばってみたい。

2014年2月23日日曜日

インド料理屋さん

夫も私もカレーが好きなので、それなりの頻度でインド料理屋さんに食べに行っている。キャンパス周辺にもお店は多いけど、うちで気に入っているのは以下の2軒。

aangan

安くておいしいお店で、店員さんたちは子連れに対してとてもやさしい。カレーの辛さをマイルドで頼むと子どもでも食べられそうなほどの甘口で出されるので、ミディアムで注文するのがおすすめ。ここは南インド料理も扱う貴重なお店で、ドーサ(クレープのような生地の中にカレーで味付けしたじゃがいもなどが入っている)が食べられる。東京に住んでいたとき、自宅から徒歩圏内に南インド料理屋さんがあり、一度食べて以来ドーサが好きになってしまった私たちにとっては嬉しい限り。日が暮れるとお店のウィンドウが電飾でギンギンに光り、謙虚な方はちょっと入店をためらってしまいそうな雰囲気が漂うけれど、店員さんが暖かく迎えてくれるのでご安心を。


Ajanta

Solano通りにあるお店でずっと気になってはいたけれど、外から店内が見えない造りになっていたため、「もしかしてお値段が高いのかな?」と思ってなかなか訪れる勇気が出ずにいた。ここでランチをしたところ、思っていたほど高いお店ではなかったのでほっとした。それどころか、出された食事のあまりのおいしさに、何度も「おいしい!」を連発してしまった!ご飯には野菜を煮込んで作ったソースが添えられていて、このソースだけでもご飯が進む。もちろんカレーも美味、前菜に頼んだサモサも美味!カレー好きな方には本当におすすめのお店。

2014年2月15日土曜日

リトミック教室

Albany Community Centerで0歳から5歳までを対象にしたリトミック教室が開かれることを知り、1月から受講している。主催者は、サンフランシスコを拠点に活動していて高い評価を得ているという、MUSIC TOGETHER。

私たちが参加している回には12組の親子がいて、白人の割合が高いものの3分の1くらいはアジア人もいる。最年少は生後6ヶ月のアレキサンダー君で、2歳くらいの子が最も多く、最年長は5歳のノア君。バークレーならではという感じで実にいろんな国の子どもたちがいて、こういうdiversity(多様性)は本当にいいなと思う。

インストラクターによると、赤ちゃんを参加させる場合は親が赤ちゃんの手足を動かしてあげる必要はない、あくまでも子どもの自主性を重視するので、赤ちゃんにはお母さんが歌ったり身体を動かしたりする様子を見せてあげていればよい、とのこと。インターネットで日本の子育てサイトを見ていると「音楽に合わせて赤ちゃんの手足を動かしてあげましょう」とあちこちで書かれていたため、自宅で音楽を聴かせるときはずっとそれに倣ってきたので、「やらなくてよい」と言われたのは初めてだった。

レッスンは1回45分。口を使って水の音や車の音、動物の鳴き声などを真似してみたり、好きな楽器を選んで思い思いに演奏してみたり、ダンスの時間があったりであっというまに終わる。毎回レッスンの最初と最後に、インストラクターが参加した子どもの名前をちりばめながら歌ってくれるので、お互いに名前を覚えることができるのがうれしい心遣いだなと思う。子ども同士で遊びだしたり、親同士(平日の午前クラスなのに、お母さんだけでなくお父さんが参加することも珍しくない)の交流も生まれたりして楽しい。

息子の自主性を重んじて様子を見守り続けてきたところ、息子が赤ちゃんでも握ることができる小さな卵型マラカスを両手に持ってシャカシャカ振ったり、みんなが歌っているときに「あー」「うー」と声を出したりするようになって、成長が見受けられるようになった。赤ちゃんが大好きな2歳のマイヨール君が毎回、息子の正面に座って手を差し出してくるので、息子も人に会ったときに手を差し出すようになってきたりと、子どもにとって他の子どもと接することは本当に影響力が大きいんだなと実感。レッスンはあと1ヶ月あるので、どこまで進歩するか楽しみ。



2014年1月24日金曜日

育児グッズあれこれ

ときどきご質問を受けることがあるので、うちで現在使っている育児関連のグッズをご紹介。アメリカはさすが、子どもにやさしい国だけあってオーガニックにこだわったメーカーや商品が多い(日本で同じくらいの質のものを買うよりも、値段がそれほど高くない!)ので、探せばいくらでも良いものが見つかる、という印象を受けている。

<紙おむつ>
HuggiesのPure & Naturalとsnug & dryを併用している。pure & naturalは肌に触れる部分がオーガニックコットンでできていて、とても手触りがいい。自然素材を多く使っているだけあって、貫通漏れしやすいので連続装用は3時間が限界だけど、肌がとても弱い息子に合っているので、日中自宅にいるときに使用。snug & dryは漏れにくいので、夜間や外出時に使用している。以前はギャザーを広げにくかったけれど、数ヶ月前に改良されて広げやすくなったので満足している。

できることなら環境に配慮して布おむつ育児をしたかったけれど、息子の睡眠問題で手こずっていて余裕がないので紙おむつで妥協中…。

<粉ミルク>
私は主にミルクで息子を育てており、ミルクはAlta Batesで使われていたsimilacを飲ませている。similacには何種類かありいろいろ試したところ、息子はsoyを好んでいるようだったので新生児の頃からsimilac soyを使用。後から思えば、もし大豆アレルギーがあったらどうするつもりだったのか?という不安要素があったのに、何も考えていなかった…(←いつものパターン)

<母乳育児に関して>
私は母乳の出がよくなかったので、フェンネルのハーブティーを飲むことで、ほんの少しだけど母乳を出せるようにしていた。息子がもう7ヶ月半になったので最近卒業したけれど、私が飲んでいたのはtraditional medicinalsのfennel。母乳育児用にハーブをブレンドしたmother's milkという種類もあるけど、実感としてはfennnelだけのお茶を飲んだときの方がよく出るようになった思う。

<哺乳瓶>
BPAフリーのものを探していて見つけたのがgreen sprouts。初めはガラス製の哺乳瓶を使っていたけれど、力が強くなってきた息子に押されたはずみで落として割ってしまったので、現在はシリコン製のものを使用。外出時には、衝撃対策としてAVENTのものを使っている。

<離乳食グッズ>
離乳食を食べるときに使うエプロンも、やはりBPAフリーのものがいいなと思っていた。green sproutsやkushiesをチェックしていたけれど、お値段がちょっと…と迷っていたところ、書店(Barnes & Nobles)でSkip Hopのエプロンを発見!BPAフリーなのに8ドルと安かったので購入。後日ホームページをのぞいてみたら、食器やストローボトルも扱っていて、zooシリーズのbeeが可愛かったのでつい買ってしまった。

<おくるみ>
先輩ママさんに教えてもらったaden + anaisを使用中。これでおひなまきをすると息子がよく寝てくれるし、息子もこのおくるみで巻かれると自分はこれから寝るのだというように理解してきている。これからはおひなまきに頼らなくても寝られるように、最近では寝ついたらそっとほどくようにしている。

<抱っこひも>
抱っこひもは、ERGO babyを買って大正解!外出先で見かける抱っこひもの8~9割くらいがこれなんじゃないかと思うほどの人気ぶりなので、物は試しに、と購入してみたらびっくりするくらい良い商品だった。寝つきの悪い息子が、これで抱っこしてゆらゆらすると10分くらいで眠りにつくので感激!それまでは息子を胸に抱いた状態でバランスボールに座って30分以上ゆらゆらして寝かしつけていて、あの苦労はいったい何だったのかと思ってしまう…。

<絵本>
息子のお気に入りの本が2冊あって、1つはpriddybooks社のhello babyシリーズの「Faces」。いろんな肌色や髪色の人たちの顔が描かれているだけのシンプルな絵本で0歳児を対象に作られている。これは4th streetにある本屋さん・books.inc.で購入。この本屋さんは絵本コーナーが充実していて、年齢別に棚が設けられているし、扱っている絵本もどこかで名前を聞いたことがあるなぁという名作が多いのでおすすめ。

もう1冊は日本語の絵本で、なかじまかおりさん「おつきさま なにみてる」。これは、夫のブログの読者であるOさんが訪問してくださったときに、息子へとプレゼントしてくださったもの。絵も文もやさしさがにじみ出るような素敵な作品で、息子が泣いたときに見せると泣き止むので重宝している。(Oさん、ありがとうございます!大量にいただいた出し昆布も離乳食作りに大活躍してます!)

<おもちゃ>
Solanoにあるfive little monkeysで度々おもちゃを購入している。無数にある商品のなかで、夫と私の両者一致で気に入るおもちゃがたいていHOHNERというメーカーのもの。ここで買ったcaged bellというガラガラのようなおもちゃを息子がいたく気に入っているので、同じメーカーの鉄琴まで買ってしまった。このHOHNERの楽器は、リトミック教室のmusic togetherでも取り入れられている。

最近は4th streetにあるThe Arkでもおもちゃを買っている。5ドル以下で買えて、かつ子どもウケのよいホースやブロックのおもちゃはおすすめ!

<日本から調達した方がよいもの>
アメリカでは見かけない便利グッズや、アメリカでも入手できるけれど使いやすさでいったら日本のものがよいと思えるグッズは、ドーナツ枕、ガーゼハンカチ、前開きの肌着、鼻水吸い取り器、ベビー用爪切り、ベビー用麺棒。

ベビーカーで出かけてみるとわかるけれど、道路の舗装状況がとても悪くて凸凹だらけ。息子の頭への衝撃が心配だったので、生後6ヶ月くらいまではドーナツ枕を敷いてベビーカーに乗せるようにしていた。畳んだタオルでも充分だと思うので、赤ちゃんがあまり小さいうちは頭を保護する工夫をしてあげた方がいいと思う。

2014年1月11日土曜日

出生後の手続き(日本編)

ようやく全部の手続きが完了!これで晴れて息子を日本に連れて帰れることになった。
以下、アメリカでご出産を控えている方やすでにご出産された方は、ご参考までにどうぞ。

<出生届>

子どもの誕生から3ヶ月以内に記入を済ませ、日本総領事館に提出しなくてはいけない。この期間を過ぎると子どもが日本国籍を取得することができなくなってしまうので、親は注意が必要。私たちの場合は産後にハワイに行く予定を立てており、バークレーに戻ってきてからだと3ヶ月を経過してしまうので、夫が先に出発する直前に提出してきてもらった。

アメリカの出生届にはミドルネームを書いて提出したけれど、日本の出生届には戸籍に載せる名前の表記について記入する欄があり、こちらにはミドルネームなしの名前を記入することができる。そんなわけで息子が将来日本の小学校に通うときには、学級名簿には「山田太郎」のように載ることになる。どう見ても日本人なのに「1年2組 山田ジェームズ太郎」とはならないので安心。

出生届の入手方法は、日本総領事館まで直接取りに行くか、あるいは郵送で請求することになる。私たちの場合は、ひとあし早くご出産されたご近所の方におすそ分けしていただいたので、わざわざ取りに行かなくて済んだ。日本人のコミュニティは本当にありがたい!

出生届を提出してから戸籍に載るまでには1ヶ月半かかるらしい。もしそれまでの間に緊急帰国しなくてはいけなくなった場合は、総領事館に帰国のための渡航書を発行してもらえばお子さんを日本に入国させることができるそうです。


<パスポートの取得>

申請時に必要なものは、申請用紙と写真1枚、子どもに関する記載がなされた戸籍謄本もしくは戸籍抄本。パスポート受領時に必要なものは73ドル(現金でおつりの出ないように用意するか、マネーオーダーで用意)と子ども本人。

申請にあたって、まずは戸籍謄本(もしくは戸籍抄本)を取り寄せないといけない。日本にいる家族に代わりに取得して郵送してもらうのがたぶん簡単な方法だと思うけど、うちの家族は私たちの本籍地からは少し離れたところに住んでいて頼みづらかったので、自分で取り寄せることにした。

本籍地のある区役所に国際電話をかけて問い合わせてみたところ、日本円も使えると聞いたので、郵送での請求用紙とともにお札を封筒に入れて送るというやり方をとった。返送方法については、以前Medi-Calの手続きをしたときに郵便事故を経験したことがあるので、念のためEMSを頼んだ。1,000円札を2枚送り、発行手数料450円とEMS代1,200円を差し引いた350円が、おつりとして日本の切手で返送されてきた。役所によって手続きの仕方は異なるけれど、たいていの場合は発行手数料と返送料をInternational Money OrderまたはInternational Reply Couponで支払うことができるらしい。

日本総領事館まではBARTで行くことができる。Embarcaderoで下車して徒歩2分で建物に到着、中に入るためには受付でパスポートなどの身分証明ができるものを提示して、許可証を発行してもらわなくてはいけない。総領事館は12時から13時までお昼休みがあるので要注意。何も考えずに行ってしまった私たちは午前11時53分に窓口に着いてしまい、受付の女性が急いで手続きを進めてくれた。

その間、写真を規定のサイズ通りに切ってきていないわ(「こちらで切りますので結構です」)、住所を英語で書くべきところを日本語で書いてきてしまうわ(「英語で書いてください」→「え?これ以上字を書けるスペースないよ?どうしよう」とヒソヒソ話→「こちらで書きますから住所を言ってください」)、申請用紙の裏面を白紙で出すわ(「パスポートに括弧付けでミドルネーム載せますか?」→「え?どうする?いらないんじゃない?」とヒソヒソ話→「不要 父母同意あり」と書かれる)など、ホントすいませんという感じのダメっぷりを披露してしまった。総領事館の方、ごめんなさい!

パスポートを受領するときは実にあっさりとした流れで、引換証と手数料を渡せば子どものパスポートをすんなり渡してもらえ、その場で記載されている名前と生年月日の確認だけして終了。


<在留届の提出>

申請時に聞かれたのが「お子さんの在留届は提出してありますか?」ということ。私たち夫婦の在留届については、渡米してきた翌月にインターネット上で提出を済ませていたけれど、息子についてはまだだった。息子が生まれてから手続きしようとしたら、アメリカのパスポートの旅券番号が必須項目となっており、その当時はまだパスポートを取得していなかったので入力できず、そのままにしていたのだった。

まだです、と伝えると「こちらでやっておきます」と(これ、何度目?)言われた。本当は申請に来る前に済ませておくものらしい。そういえば申請用紙に書いてあったような気がする…。


<国籍の選択>

息子は満22歳になるとき、日本国籍かアメリカ国籍のどちらかを選ばなくてはいけない。出産以降、いろんな方から「いやぁ、そうは言っても、私の知り合いのxxさんは二重国籍を維持しているよ」などという裏話が寄せられているのだけど、やはり法には従わなくてはいけない。息子が自分の将来のことを考えるようになったときに、国籍の選択については話しておかないと。あと10年以上は先になるのかな。

2014年1月2日木曜日

新しい年のはじめに

あけましておめでとうございます。この辺境ブログをいつも訪ねてくださる皆さん、ありがとうございます。今年はいよいよ帰国を控え、ここでお伝えできることにも限りが見えてきました。最後まで、自分にできる形で情報を発信していきたいと思います。

前向きに生きている方たちや心やさしき方たちのところにたくさんの幸せがやってきますように。昨年苦しい状況にいた方たちには、ごほうびにたくさんの喜びや楽しみがやってきますように。世界の片隅でひっそりと祈っています。

Sleep Trainingの記事を載せてから、ご近所の方をはじめいろんな方々から反響をいただいています。「うちも大変だったよ」と苦労をシェアしてくださる方や具体的なアドバイスをくださる方、「息抜きに遊びにおいで」と声をかけてくださる方、なかには「お子さんを一晩預かりますよ!」とおっしゃる方まで現れて、本当に人に恵まれているなぁとありがたく感じています。

一時期は好転したものの、息子は寝ない子に戻ってしまい再び試行錯誤の日々ですが、皆さんのやさしさや夫のユーモアや息子の成長やら、いろんなものに救われて生きています。ありがとうございます。