2013年10月22日火曜日

多国籍ベイビーシャワー

環境保護団体を通じて知り合ったメキシコ人の友人ミラが出産を控えているため、ギリシャ人の企画でbaby shower(出産の前祝い)をすることになった。私にとっては人生初のbaby showerなので、とても楽しみ。

しかしこのギリシャ人、やる気満々で連絡網をまわしてきたのに、開催日の1週間前になってから「会場が見つかってないの!誰か部屋を貸してちょうだい!」と言い出してきた。普通は会場を確保してから告知するものなんじゃないかというツッコミを胸のうちでしつつ、誰も名乗りを挙げないので我が家を提供することにした。すると今度は、開催日の2日前に「どうしよう~食器とテーブルクロスがないわ!誰か用意してくれる?」と慌て出したので「うちのを使っていいから!」とフォローすることに。…大丈夫かなぁ。

当日は、階下の住人に挨拶しに行った。私たちがハワイにいた間に住人が入れ替わっていたものの、まだ新しい住人に会ったことがなかったのだ。パーティーするので騒がしくなるからごめんねと伝えると、コロンビア人の奥さんはとってもにこやかに「いいのよ。これから先、何か困ったことがあったらいつでも来てね」と言って、生後6ヶ月の娘さんを紹介してくれた。

家に戻り、飾りつけ担当のギリシャ人とエジプト人の到着を今か今かと待つが、一向にやって来ない。1時半には来ると言っていたのに来ないので、もしかして会場が変更になっていて、知らないのは私だけなんじゃないかという不安に駆られているうちに、開始時刻の2時になってしまった。すると隣の家からチャイムの音と聞き覚えのある声が聞こえてきて、すぐに私の家のチャイムが鳴った。…ギリシャ人、遅刻のうえに家を間違えて登場。エジプト人は無断欠席。そして今回の主賓であるミラが「勝手に招待しちゃった7人のお友達」のうちの2人のスペイン人が飾りを持ってきてくれて、いそいそとデコレーション。2時半ころになってケーキ担当のイスラエル人がやってきて、ゲーム担当のグアテマラ人がやってきて、その他諸々、ノルウェー人とドイツ人とフィリピン人と中国人とメキシコ人(最多数)が集い、皆それぞれ子どもを同伴しているので招待したはずの倍の人数になり、絨毯の上にひしめきあって座る。



グアテマラ人が用意してくれたゲームは2種類あった。1つは、いろんな国の「baby」を意味する単語を紙に羅列してあって、それぞれの単語がどこの国の言葉なのかを当てるもの。皆、中国語と日本語(赤ん坊という表記)の区別がつかない。もう1つは、アルファベットを正方形になるようにランダムに並べてあって、その中からタテ・ヨコ・ナナメのどれかで「crib(ベビーベッド)」「diaper(オムツ)」などbabyに関連した英単語をできるだけ多く抜き出す、というもの。

ミラからのお願いで、皆でブレスレットを作ることになった。輪になって座り、1つの毛糸玉から毛糸を引っ張り出しながら隣の人に次々に渡していく。そうすると、1本の毛糸で皆がつながれている状態になる。ハサミを持ち、自分の分の毛糸を30センチくらい切りながらミラに一言メッセージを伝え、隣の人にハサミを渡していく。そしてこの毛糸を編んでブレスレットにする、というもの。

最初にミラが「We're all connected.このブレスレットを見て出産のときにがんばるわ」というと南米の人たちは一同、号泣。彼女たちは本当に友情に篤い。ミラのお母さんがミラにメッセージ(スペイン語なので内容はわからずじまい)を伝えると再び号泣。その後も、まもなく帰国するイスラエル人が泣き出したり、知り合って日が浅いはずの中国人まで泣きながら挨拶したりする度に、感極まってスペイン語(通訳してくれるほどの余裕は彼女たちにはない)→号泣→固い抱擁というサイクルを5ターンくらい繰り返す。

私は、部屋を提供したということが思いのほか高く評価され、出席者の一人一人から5回くらいずつ「ありがとう」と言われる。そ、そんなに言われるほどのことかしら?と思っていると、中国人が「あなたの部屋はものすごくきれいね。私の部屋は物だらけで汚いのよ」と言い、一同「うちもそうよ」とうなずく。会場の提供に誰も手を挙げなかったのはそういう理由があったらしい。

後片付けが済んだあと、ミラが去り際に言った。「あなたと初めて会ったときのことを今でも覚えているわ。二人で話したあと、あなたが最後にThank youと言ったから、You're welcomeを日本語で何というのか紙に書いて教えてもらったのよ。そのメモは今でも持っているの」ミラとお母さんが「アリガトウ」と言ってくれて、私は「どういたしまして」と答えて別れた。

小さな生命が無事に誕生してくれる日まで、私はブレスレットを外さない。



2013年10月14日月曜日

出生後の手続き(アメリカ編)

息子の誕生以降、いろいろと済ませてきた手続きをまとめてみました。アメリカでの出産を控えている方や検討している方のご参考になれば幸いです。


<出生届>

病院で出産した場合、翌日には病院のスタッフから出生届を渡されて子どもの名前を記入することになる。役所への提出については病院側で行ってくれるので、出生に関する手続きはこれで終わり(注:自宅出産した場合は手続きの方法が異なる)。

私たちは、息子が将来アメリカで暮らす選択をしたときのためにミドルネームを付けることにした。日本の出生届を提出する際には、ミドルネームを戸籍に載せないように頼むことができる。そのため、たとえばアメリカではTaro James Yamadaが正式名で、日本では山田太郎が正式名、という風に2通りの名前を持つことができる。


<小児科医選び>

お産のために入院することになったとき、手続きにあたって聞かれたのが「生まれてくる子どもの小児科医は誰か?」ということ。アメリカでは出生前に小児科医を決めておくのが普通で、生まれた赤ちゃんの状態を確認するのはあらかじめ決めておいた小児科医が行うことになっているのだ。当時、私はまだ息子の小児科医を見つけていなかったので正直に伝えてみたところ、Alta Batesの配慮によって、Alta Batesで雇用している小児科医が臨時で担当してくれることになったのだった。

産後、分娩を担当してくれたDr. Davenportに小児科医について相談してみたら、UC villageから徒歩圏内にあるKiwi Pediatricsを紹介してもらえたので、そちらに通っている。


<保険加入>

息子の保険については頭の痛い問題だった。なぜならMedi-Calから承認されたとき、今回は私の妊娠と出産のみを対象とし、家族については対象としない、という通知を受け取っていたから。毎月の収入については加入条件を満たしていたけれど、財産総額(私たちは車も不動産も持っていないので、たぶん預金残高のことだと思う)が条件より多かったので家族の分までは認められないらしかった。帰国するまでの1年間、どうすればいいだろうかと途方に暮れていたとき、ソーシャルワーカーに助けてもらえた。

私は知らなかったのだけど、Medi-Cal利用者の場合は、Alta Batesと契約を結んでいるソーシャルワーカーが出産の翌日に訪ねてきていろいろな相談にのってくれるサービスがあるのだ。息子の保険が決まっていないことを伝えてみると、「あなたの息子がMedi-Calに加入できるように、連絡しておくわ」と言ってくれた。たったそれだけのことで、出産から2週間も経たないうちに息子名義のMedi-Cal会員証が自宅に郵送されてきた。財産総額の条件はいったいどうなったのかは不明…。


<Social Security Numberの取得>

息子はアメリカで生まれたので、アメリカ国籍を有する。アメリカ人であると、外国人だと取得に苦労するSocial Security Number(SSN)が容易に取得できる。手続きについては上記の保険加入とほぼ同じで、ソーシャルワーカーから「子どもの分のSSNが欲しい?」と聞かれて「Yes」と答えた。ただそれだけで、生後2週にも満たないうちに息子名義のSocial Security Cardが自宅に郵送されてきた。通常なら発行されるまでに6~8週間かかると聞いていたのでびっくり!ソーシャルワーカーの力はなんて偉大なんだ!


<パスポートの取得>

私たちが帰国するとき、息子はアメリカのパスポートでアメリカを出国して、日本のパスポートで日本に入国することになる。そのため、帰国までに日米両方のパスポートを取得しておかないといけない(事情があって、パスポートの発行を待てずに緊急帰国する場合は特別な措置を図ってもらえるので、総領事館に相談するとよいそうです)。

申請に必要なものは以下のとおり。

申請用紙
(印刷して全部手書きにすることもできるけど、私はオンライン入力をしてから印刷した)

・出生証明書の原本
バークレー市役所で発行してもらったもの。発行してもらうためには病院から発行されるBirth Certificateが必要になる。発行は生後3週以降に可能)
※出生証明書はパスポート発行時に返送されてくる。

・子どもの写真1枚
(インターネットで調べると2枚必要だと書いてあったけれど、実際に手続きしてみたら1枚でよいと言われた。背景は白で、子どものみ写っていて正面を向いているもの、写真のサイズは2インチ×2インチ(5.1センチ×5.1センチ)顔の縦の長さについては指定されているので、申請用紙の写真貼付欄の枠をよく確認すること!)

・パスポート申請料金80ドル分の小切手もしくはマネーオーダー
(申請場所によってはクレジットカード払いもできるらしい。私はSolano郵便局でマネーオーダーを購入した。手数料は1ドル20セント)

・窓口で提示するもの
両親のI.D.(パスポートや、カリフォルニア州発行の身分証明証など)と、子どもがアメリカ市民であることを証明できるもの(私たちは息子のSocial Security Cardを見せたけど、出生証明書で足りるらしい)

パスポート申請ができる施設は、市役所関連の施設か郵便局。郵便局の場合は電話予約が必要になる。私たちの場合は、夫が授業や課題で多忙を極めていてスケジュールが読めなかったので、予約なしで行かれるAlbany City Hallを選んだ。申請に行くときは両親と子どもが必ず揃わないといけない。

担当者が書類の記載内容と顔写真のサイズの確認を済ませると、両親は右手を挙げて宣誓する。「提出した書類に誤りはありません。子どもは私たちの子どもです」。Albany City Hallの場合は、このあと別の窓口で手数料25ドルを支払って(デビットカードが使えた)、手続きは終了。4~6週間後に自宅にパスポートと出生証明書が郵送されてくるらしい。

パスポートの写真については、Costcoの写真サービスを利用したり有料サイトで作成することもできると聞いたけれど、自分たちでもできそうだなぁと思った私たちは、白いシーツの上に息子を寝かせてデジカメで撮影し、念のためにペイント機能を使って背景をさらに白く塗りつぶし、顔のサイズは申請用紙の枠をあてがいながらサイズを調整したうえで写真光沢紙に印刷する、という相当アナログな方法で作成した。

<2013.10.24 追記>
パスポートは申請から3週間と経たないうちに郵送されてきた。こんな感じになってます!






日本の出生届の提出とパスポート申請(まだ手を付けていないのです!)については、また後日掲載する予定です。

2013年10月6日日曜日

親切な中国人

以前このブログに登場したことがある、お隣の中国人のおばあちゃんと私はどうやら、浅からぬ縁で結ばれていたらしい。記事を掲載した後もずっと会話が成立せずにいたけれど、おばあちゃんは私に好意を持ってくれているようで、UC village内のあちこちで遭遇しては話しかけてくれた。

出産後に初めて会ったとき、おばあちゃんは自分の顔を上から下に軽く撫でながら何かを言ってきた。表情からすると何やら否定的なことを言われているっぽい。さては私の顔に不具合が生じているのか。返事に困っていると、おばあちゃんはどうしても伝えたいことがあったようで、娘さんを通訳に呼んできた。娘さんはUCバークレーで研究職に就いていて、生後9ヶ月になる女の子のママでもある。

娘さんの通訳によると、「あなたは痩せてしまった。身体は大丈夫か。母乳は出ているのか。何か手伝えることがあったら言ってほしい」とおばあちゃんは言ってくれていた。折りしも、その翌日に夫がハワイに出発することになっており、一人で新生児の世話をすることに私は不安を抱えていた。息子のためにもここは素直に助けを借りようと思い、そうした状況を伝えたところ、おばあちゃんは「母乳の出を良くする料理を持ってくるわ」と何度も言ってくれた。

翌日、夫を送り出したあと、おばあちゃんが訪ねてきた。豚足が入った湯麺を作ってきてくれて「これを食べると母乳が出るのよ」と(たぶん)言う。何とありがたい!これで育児をがんばろう!

その翌日。再びおばあちゃんが訪問。あれ?どうしたのかな?と思っているとニコニコと薬膳粥を差し出し、おばあちゃんは帰っていった。…その翌日も、その翌日も、おばあちゃんは毎日お昼ごはんを作っては届けにきてくれた。息子を見せたときには「元気な赤ちゃんが生まれてきてよかった」と(たぶん)言ってくれた。

しかし、こんなに親切にしてもらっても、買い物もままならない私には返せるものがない。娘さんを通じて、いずれお礼をしたいと伝えると、おばあちゃんは「そんなことはしなくていい」と言う。そしてこの頃うちの向かいの部屋で引越しがあり、中国人の一家が退去した後、新たに中国人の一家が越してきた。奥さんが挨拶に来てくれたとき、「あなたの隣の家の人から、あなたが新生児を一人で育てていると聞いている。手伝いが必要だったら遠慮なく言ってほしい」と言ってくれたのだった。

おばあちゃんの優しさに胸を打たれた私は、おばあちゃんと話せるようになりたいと思って中国語の勉強を始めた(振り返ってみれば、睡眠時間の確保がもっとも難しいこの時期に何もわざわざ勉強することはなかったかもしれない。でも当時は必死だったのだ)。

ハワイ行きを決めたことを伝えたとき、娘さんからは実は彼女たちがもうすぐ帰国する予定であることを知らされた。でも私たちがバークレーに戻ってきてからでも間に合うから、戻ったら何かお礼をしようと思って出発した。ところが戻ってみたら、おばあちゃんだけ先に帰国してしまったことを聞かされ、とても残念に思った。謙虚なおばあちゃんは何も言わずに去ってしまったのだ。

その後、娘さんたちが帰国するまでの一ヶ月間に親交を深め、娘さんとは互いの連絡先を交換して別れた。帰国したのち、研究者である娘さんだけがバークレーに戻ってくる予定なのだという。よかった!おばあちゃんへとつながる線はまだ生きている。

おばあちゃんに再び会える日が来るかどうかはわからないけど、人生の流れが「あなたは中国語を学びなさい」と言っているような気がするので、本腰を入れて勉強することにした。ちょうど夫も中国語のクラスを取っているので、教科書を拝借している。

おばあちゃん、あなたとはぜひもう一度会って、もっと深くわかりあいたいよ!