2013年9月30日月曜日

タイ人をおもてなし

夫のクラスメイトで、タイからの留学生であるターさんを夕食に招待した。英語がネイティブ並みに話せるターさんは、GSI(Graduate Student Instructorの略。英語で授業を受け持つアルバイト)をして学費を稼ぎながら学んでいる苦学生。夫から彼女はかなりの親日家だと聞いていたので、ぜひ一度会ってみたいと思っていたのだ。

お会いしてみたところ、ターさんは目がぱっちりとしていてとても可愛らしい。そしてまだ25歳とお若いのに、手土産に粉ミルクを選んでくれたという気配りはさすが。私が用意した料理はいたって普通のメニューで、切干大根の煮物にかぼちゃと小豆のはとこ煮、鮭のムニエル、わかめのお味噌汁。ターさんは切干大根を気に入ってくれたので、帰りがけに家にストックしてあった切干大根のパックを(彼女はアジア人らしい慎み深さで遠慮していたけれど)贈呈した。

ターさんによると、タイでは日本のテレビ番組が数年遅れで放送されているという。「NARUTO」についてはやはり、と思ったけれど、次に名前が挙がった「タケシ・キャッスル」に戸惑う。…タケシ・キャッスル?ターさんが説明してくれた。「石の上をジャンプしたりする…」ま、まさかそれは私が子どものころに放送されていた「風雲!たけし城」のこと?(注:後で調べてみたら、この番組はタイ以外の国でも放送されたりDVDが販売されたりしているらしく、熱烈なファンも多いようだった)

もうひとつターさんが好きな番組は「TVチャンピオン」。あの番組は今でも放送されているのかと問われたものの、長らくテレビから遠ざかっていた私たちは答えられず…。「プリンス・コバヤシが好きなの」と言うターさん。…プリンス・コバヤシ?と首をかしげていたら、ホットドッグの早食いで知られた小林尊さんのことだった。小林さんのルックスはタイ人女性のハートをつかんでいるのだとか!

高校時代に日本語を習ったというターさんは、日本語がなかなかお上手。食後のデザートにどら焼きを出したら、すかさず「ドラえもん」と言ってくれて、藤子・F・不二雄先生のファンである私たちはとても嬉しかった。

語学堪能で素晴らしい成績を収めているという彼女が、恋愛の話になったとたんに目を輝かせて楽しそうに語りだしたのを見て、どこの国でも女の子は女の子なんだなあと思った。



2013年9月19日木曜日

NICU

息子は出産予定日より3週間早く生まれたため、生後すぐに新生児集中治療室(Neonatal   Intensive Care Unit )に連れていかれ、あらゆる検査を受けることになった。NICUのことは、日本ではエヌアイシーユーと呼ぶけれど、アメリカではニキューと呼ぶ。

Alta BatesのNICUはセキュリティー管理がしっかりしていて、両親には入館証代わりのリストバンドが付けられ、赤ちゃんが退院するまでは外すことができない。親は、赤ちゃんの入院中は24時間いつでもNICUに出入りでき、いつでも電話をして赤ちゃんの状況について質問することができる。そしてNICUには親が宿泊できる部屋が2つあり、予約さえとれれば泊り込みで赤ちゃんに付き添うことができる。

息子が退院するまでの3日間、ちょうど私も発熱のために入院していたので何度も足を運んだ。出産当日は歩けなかったので車椅子を借り、翌日からは看護師に自分で歩くようにと言われたので、かなり辛かったけれど自力で歩いた。NICUに行くたびに、スタッフが入れ替わり立ち代わり、育児についてレクチャーをしてくれたのでありがたかった。赤ちゃんの抱っこの仕方、授乳の仕方、げっぷのさせ方、おむつの替え方など、ここで基本的なお世話の仕方を習うことができた。Alta Batesは母乳育児を推奨していて、授乳についてはかなり厳しくて結局8回も教えを受けた。

すでに書いたことがあるけれど、アメリカでは医師や看護師の言葉遣いがとても丁寧で、言葉を慎重に選びながら話しているというのが伝わってくる。ドクハラなんて言葉とは無縁で、不快な思いは一度もしなかった。私の分娩を担当してくれたDr.Davenportも本当に良い人だった。

そんな風に、配慮にあふれたスタッフたちに恵まれたけど、ひとつだけ「あれ?」と思ったことがあった。産後まだ日が経っていなくて立っているのも辛いという状況でも、スタッフが私を誘導するときにはスタスタと歩いて行ってしまうし、いつまでも立ったままで話をしなくてはいけないことがあったのだ。こういうときには自分から「もっとゆっくり歩いて欲しい」「椅子に座らせて欲しい」と頼まなくてはいけない。

退院する日、担当してくれた小児科医からは黄疸(jaundice)が心配だと言われたけれど、ひとまず家に連れて帰れることになった。けれどその後の検査でやはりひっかかってしまい、退院から2日後にNICUに逆戻りすることになってしまった。

顔なじみになったスタッフからは「あら、戻ってきたのね。What's the number?」と言われた。ナンバー?息子が入院している部屋の番号かな?と思って「24」と答えると驚愕の表情を浮かべる彼女。部屋番号ではなく黄疸の数値を尋ねていたらしい(そして標準の値というのは12か13くらいなのだ、と説明された)。そのあとも何度かナンバーについて聞かれることがあり、NICUでナンバーというと黄疸の数値のことを指す、ということを初めて知った。

しかし黄疸といわれてもアジア人の私たちにはぴんと来ない。息子の顔や胸を指して「ほら、黄色いでしょう?」と言われても、いったいどこが黄色いの?と思ってしまう。夫が「黄色といってもどんな黄色だと問題になるのか?」と尋ねると「オレンジイエロー」という返事。そう言われても、やはりわからない…。

黄疸の治療で、アイマスクをつけて紫外線照射を受けること2日間で幸いにも息子の数値は正常値に戻った。これで、ようやく落ち着いて3人で暮らせるようになった。

アメリカで出産したという日本人の方数人に聞いてみたところ、皆さん同様に、赤ちゃんが黄疸で入院した経験があるとのこと。「日本だったらきっと問題にならない程度だと思うんだけどね」というのが全員一致の見解だった。

そうはいっても、Medi-Calのおかげで無料でこれだけの医療サービスを受けることができたので、感謝してもしきれない。アメリカでは、保険に加入していたとしても一人出産するのに200万円くらいは自己負担しなくてはいけないと聞く。住民税も納めることができない、よそ者の私たちにまでこんなに手厚い医療を受けさせてもらえて、本当にありがたい。カリフォルニア、万歳!

2013年9月14日土曜日

ホノルル回顧録

夢のようだったホノルル暮らしを振り返ってみました。


<オートバイはノーヘルで乗る!>

外を歩いていて最初に気がついたこと。オートバイ利用者のヘルメット着用率が異常に低いのだ。1ヵ月半暮らしていて、ヘルメットを被っている人を見かけたのはたったの1回だけ。これって違法なんじゃないの?ホノルル警察は取り締まらないのかしら?と思っていたら、地元の方によると何と合法らしい!ハワイ州ではオートバイの走行中にヘルメットは被らなくてもいいのだという。…ホントに?その一方で、絶滅危惧種の鳥を撥ねてしまうと罰金100万円相当という法律もあるという。ハワイでは人より鳥の命の方が重いの?


<路上喫煙率が高い>

ホノルルでは建物内での喫煙を禁じていて、バーですらタバコを吸うことができない。厳しく制限されている反動か、屋外で歩きタバコをしている人が結構いる。バークレーでは喫煙者そのものをあまり見かけなかったので、妙な感じ。


<迷惑なスプリンクラー>

道ばたの植え込み用のスプリンクラーは、どういうわけか通行人にまで水を撒き散らす設計になっている。なかには、植木にではなくてひたすら消火栓に水をかけ続けているものもある。…なんで?


<The BUSがおもしろい>

移動手段として大いに役立ったThe BUS。乗り換えというシステムがあって便利だった。乗車賃2.5ドルを支払うと、時間が印刷された券を運転手がちぎって渡してくれる。この券を持っていると、最初に乗車したときから2時間以内であれば、無料でバスに乗り換えできるという。

実際には必ずしも乗り換え目的に使わなくてはいけないわけではなく、下車して手早く用事を済ませて、2時間以内に帰りのバスに乗るという場合でもこの手が使える。ショッピングモールに行ったときは、乗車時に運転手に「モールに行きますか?」と尋ねたことがあった。下車したときに券を見てみると、なんと親切なことに4時間後まで利用できるようにと運転手が時間を調節してくれていた、ということもあった。

AC Transitバスと違う点がもう一つあって、ベビーカーは必ず折りたたまなくてはいけないというルールがある。どんなに車内が空いていても、これを守らないと乗車させてもらえない。AC Transitだと折りたたまずにそのまま乗車できるため、てっきりアメリカのバスはこういうものなのかと思っていたので、これは意外な発見!


<ほぼ日本?>

日本を発ってから1年が過ぎ、そろそろ故郷が恋しくなってきていた。一時帰国のことが何度か頭をよぎったこともあった。ハワイに来てみたら、何かもうほとんど日本じゃないかというくらいに日本語が通じるし、日本人だらけだし、日本の食べ物屋さんがあるし…という感じで、ハワイ滞在のおかげでホームシックがすっかり解消されてしまった。

日本の居酒屋さんに寄ったり(S.King通りにある幸の鳥では焼き鳥が、Imanas亭ではちゃんこ鍋が食べられる)、最近できたローソン・カピオラニ店で久しぶりのコンビニおでんを食べたり、ブックオフで夫が俄然いきいきと輝きだして大量の本を購入したり(アラモアナショッピングセンターで一番気に入ったのはブックオフ!)と、日本の空気を満喫できた。


…バークレーに戻り、気がついてみれば帰国まであと1年を切ってしまっている。来年の夏にはきっと猛暑の東京で暮らしているのだろう。育児と家事で一日があっというまに過ぎていく日々だけど、引き続き情報を発信していきたいと思います。

2013年9月3日火曜日

子連れで飛行機

赤ちゃんのフライトについてインターネットで検索すると、不安にさせるような書き込みが割と多いので、実際にやってみたところ大丈夫だった、という経験談を書いておきたいと思う。

息子を初めて飛行機に乗せたのは生後7週のとき。そんな小さな赤ちゃんを飛行機に乗せたことに皆さん驚くと思う。私も当初、ハワイ行きは息子がせめて2ヶ月になってからにしようと思っていた。けれど迷った末に予定を早めることにした。理由は、安心して子育てをするため。夫がインターンシップに旅立ったあと、3週間のあいだ私一人きりで息子の世話をしていて疲労がピークに達してしまい、夫に手伝ってもらわないと母子ともに倒れてしまいそうだったのだ。

そんなわけで、一人で人生初の子連れフライトをすることになった。機内で泣いたらどうしよう、いざとなったら息子を抱えてトイレに駆け込もう!と悲壮な覚悟で臨む。


<搭乗前>

行きの手荷物検査ではどの係員も親切で、おろおろしている私を手伝って荷物を運んでくれた。260ミリリットル入りの哺乳瓶になみなみと入れたミルクは、X線検査を受けて問題がないことが確認できたので機内に持ち込むことができた。

帰るときには、手荷物検査の列に並んでいたら後方にいた人が、子連れには専用の入り口があるから並んで待つ必要はないのだと教えてくれた。搭乗するときにも子連れだと早めに機内に入れるし、こういうありがたいサービスがあるということは、自分が子どもを持ってみるまで知らなかった。

その後手荷物検査を受けていると、今回は哺乳瓶が引っかかってしまった!中身は問題ないけれど、容器がダメだという。ハワイで買ったAVENTの哺乳瓶なんだけど…。思いがけずテロリストの容疑をかけられ、手荷物の中身をひととおり見せて、ボディーチェックを受けるはめに。アメリカは子連れにやさしいはずなのに、なんで哺乳瓶がダメなの~?とぼやいていると、夫が「たぶんその哺乳瓶と同じものを使って不審物を持ち込んだ前例があるんじゃないかな」と言う。その場で疑いが晴れたので、哺乳瓶は無事に機内に持ち込むことができた。


<搭乗後>

離陸前に、近くの座席にいる人たちに声をかけておいた。「My baby might bother your flight. Maybe he cries a lot. I'm sorry about that.」と言うと、「大丈夫だよ、僕たちはみんなベイビーだったんだから」とか「あなたのベイビーは可愛すぎて、迷惑なんてかからないわ」など、温かい返事がもらえてほっとする。

離着陸時の耳抜きについては、出発前に小児科医に質問しておいた。「赤ちゃんを飛行機に乗せることによって、聴力に障害が出る可能性はありますか?」と尋ねると「それはないわ。気圧の変化で耳に不快感が生じるから赤ちゃんは泣くだけ。だからミルクを飲ませて気を逸らしてあげるといいわ」という回答だった。耳抜きがうまくできなかったら息子の聴力に支障が出てしまうかもしれないと心配していたので、医師の答えに安心した。

実際には息子は行きの便でも帰りの便でも、離着陸時に熟睡してしまっていて耳抜きができなかった。でもその後も問題なく育っているので、そんなに心配することはなさそう。


幸運なことに、往復の便で息子はほとんどずっと眠っていてくれたので助かった。着陸したときには周りの乗客から「Good Boy!」と褒めてもらい、何人もの方が荷物を運ぶのを手伝ってくれたりと、みなさん実に優しい。息子がいつ泣き出すかとヒヤヒヤしながら乗っていたので、子連れに対して温かい配慮をしてもらえると本当に救いになる。

そんなわけで、アメリカだからかもしれないけれど、生後1ヵ月半や3ヶ月の子連れで飛行機に乗っても何とかなります。親切な人が必ず現れるので、大丈夫です!