2013年12月9日月曜日

日本語の読み聞かせ

UC villageから一番近い図書館はThe Albany Libraryというところ。出産する前に訪れたときに、ここで日本語の読み聞かせをしていることを知り、子どもが生まれたら連れてきたいなぁと思っていた。

月に1回、土曜日の午後4時から4時半くらいまで、図書室の奥にある絨毯敷きの部屋でJapanese Storytimeは開催される。日本人女性2人と、UCバークレーで日本語を学んでいる学生さんが主催しているようだ。

11月に初めて参加したときは、逝去されたやなせたかしさんを追悼して、アンパンマンの最初の作品「あんぱんまんとごりらまん」で始まった。この頃のアンパンマンは現在のアンパンマンとは顔つきも体型も違う。ミッフィーちゃんもそうだけど、年数を経るにしたがってだんだん丸っこく、キャラクター化されていくのが面白い。ちなみにこの作品はすでに絶版になっていて、今では中古でしか手に入らないレアものらしい。お話を聞いているうちに、自分が小さいころに読んだことがあったことを思い出す。

手遊び歌や童謡、折り紙を交えながら3冊の絵本を読んで会は終了。この日参加していたのは全部で8組の親子で、そのうち3組は国際結婚されているご家庭だった。1歳半から3歳くらいの子が多くて、0歳児を連れていったのはさすがに私だけ。息子は小さいながらも楽しい雰囲気を感じ取ったり、まわりの女の子たちに触ってもらったりしてとてもご機嫌だったので、帰国までのあと数回、通おうと思っている。

場所は図書室に入って右の奥にある部屋だけど、図書室には「本日、Japanese Storytimeをどこの部屋で開催します!」というようなポスターの類はないので要注意。場所がわからなかった私は「この人、日本人じゃない?」と思ってアジア人についていったら韓国語の棚にたどりついたりしたので、素直に司書さんに聞けばよかったかも。

追記 今後のスケジュールについては、アルバニー図書館で配布しているマンスリーカレンダーを参照ください。

2013年11月22日金曜日

シャスタ旅行記

夫がにわかに「シャスタに行きたい」と言い出したのがきっかけで、やっとアメリカ生活初の旅行に行くことができた。いやぁ、旦那さんがGSPPに在籍していると勉強が忙しすぎてなかなか旅行に行かれないという噂は本当だった!

それにしても、免許なし車なしのChai家はどうやって旅行に行くのか?答えは、誰かに運転してもらうこと、である。でも車を持っている善良なお友達にタカるようなことはできないので、日本からの観光客を対象にしたツアーを利用することにした。いくつかのツアー会社に問い合わせをしてみて(アメリカに住んでいる日本人だけど利用できるのか、自宅近くまで送迎してもらうことは可能か、赤ちゃん連れだけど差し支えないか、赤ちゃんが参加する場合の料金はいくらか)、一番親切な返事をくれたMeow Groupに決定。お値段も良心的だし、なんと追加料金なしで自宅まで送迎してくれるというありがたさ!ちなみになぜmeow(日本語で言う「ニャー」で、猫の鳴き声)という名前なのかというと、代表者が動物愛護の活動をしていて猫を21匹育てており、大の猫好きだから。


<1日目>

シャスタに着いて最初は、公園(肝心な名前を失念!)の隅にある湧き水を飲む。ガイドさんによると、この場所は「世界ふしぎ発見!」で放送されたことがあるらしい。ポリタンクをいくつも持った人たちがひっきりなしに訪れては水を汲んでいた。

ここで私たちは日系のマコトさんという男性に出会う。お父さんはインド人でお母さんが日本人だという彼は、オレゴン州から来ていた。これは私たちにとっては不思議な出会いで、実はハワイにいたときにサブレットさせてもらっていたご家庭のご主人が、マコトさんという日系の方で、親戚がオレゴン州に住んでいるという方だったのだ。今年に入って2人目となる「オレゴン州に縁のある日系のマコトさん」。なんだか今後の人生で鍵となってきそうな気がする。

続いてBunny Flatに登ることに。ここはシャスタ山が眼前にそびえる、絶景スポット。山に登ると聞いていたのに何の準備もなく来てしまった私たちは、シャスタに着いてから息子を運ぶための背負子を求めてダウンタウンをさまよった。レンタルスキー屋さんで聞いてみたら「背負子があるかどうかはわからないけど、子ども用品を売っているお店なら近くにあるよ」と教えてもらい、そのお店に行ってみたら、ちょうど入荷したばかりで値札もまだ付いていない背負子を発見!中古品なので19ドルという安さで購入。

気温が0度と寒かったからか、寝ているのを起こして運んできてしまったのがいけなかったからか、息子が泣き出してしまったので途中までしか登れなかったけれど、シャスタ山を目の前にしながら森林浴できたことで生き返ったような心地がした。





それから宿へ。今回私たちが宿泊したのはBest Western Plus Tree Houseというホテル。ここはtree houseという名前のとおり、木のぬくもりを大事にした素敵な内装でとてもリラックスできた。レストランでの食事もとてもおいしかった!

<2日目>

まずはCastle Lakeへ向かう。10月までは泳ぐことができたそうだけど、11月半ばなのでさすがにもう無理。噂に聞いていたとおりの、鏡のような湖面に息を呑む。湖の近くには、誰かが何かの儀式を行った跡があった。



続いてLake Siskiyou。ここは人工湖で、ダムへと続いている。そしてシャスタ山が見える。



最後にBurney Fallsへ。The New York Timesで「世界で最も美しい滝」という評価を受けたことがあるという。滝へと続く遊歩道を歩いているうちから滝の音がすさまじく響き、近くでみると圧巻の美しさ!




シャスタの街を徘徊していたあいだ、どことなく違和感を感じていた。現地の人たちとのコミュニケーションがスムーズにいかないのだ。彼らの話す英語が口の中でこもったような話し方で聞き取りづらく、そしてこちらの英語を聞き返されることが多かった。おまけに、出会う人たちは白人のお年寄りが圧倒的に多く、アジア人は私たちしかいなかったし、南米系の人は観光客で1組すれちがっただけで、黒人については一人も見かけなかった。

あ、そうか、ここはバークレーとは違うんだ。カリフォルニア州といっても、バークレーとシャスタでは、東京と青森くらいの距離があるのだから、アクセントも土地の雰囲気も違っていて当然じゃないか、とやっと思い至る。全米で最もリベラルな街・バークレーと比べると、シャスタは保守的な雰囲気が漂う街だった。



2013年11月7日木曜日

Sleep Training

私は自分が育児を始めるまで、赤ちゃんというものはたくさん眠るようにできているものなのだと思っていた。何もしなくてもよく眠る赤ちゃんがいる一方で、まさか努力を重ねないと眠れるようにならない赤ちゃんがいるだなんて、想像もつかなかった!

息子は新生児のころから寝ない子だった。生後4週の時点で、一日の合計睡眠時間が6時間程度で、午前5時に目を覚ましてから午後6時まで一睡もせず、眠たそうな素振りも見せなかった。それが生後3ヶ月になると午前5時から午後9時まで一睡もしなくなり、おまけに生後4ヶ月になってからは夜泣きをするようになり、私は寝不足と疲労でフラフラになって、ついには幻覚まで見えるようになってしまった(家の中に巨大な毛虫がいる!と思ったらドアの蝶つがいだった…)。

何よりも気がかりだったのは、息子の成長のことだった。生後5ヶ月になった時点で、普通なら体重が6~8キロあってもよいはずなのに、息子は5.5キロしかなくて成長曲線から落ちこぼれてしまった。大食漢の子で、ミルクを1回に260ミリリットルも飲み干し、それを一日に7回も飲んでいるのに大きくならないのは、起きて活動している時間が長すぎるせいだろうか?それにしても、これだけ寝ていないのに息子が毎朝とてもさわやかに目覚めるのはなんでだろう?眠たくない赤ちゃんもいるのだろうか?

小児科で相談しても「寝ないのは普通のことよ」と言われてしまい、これは個性なのか、諦めるしかないのかと思っていたら、ご近所の方から「Sleep Trainingしてますか?」と言われ、いわゆる「ねんねトレーニング」のことを初めて知る。調べてみたところ、このトレーニングにはいくつもの方法があることがわかった。この3週間の格闘の結果を記しておきたいと思う。


 < Crying It Out >
アメリカの育児書をみると必ず載っているのがこの方法。これは、起きている赤ちゃんを一人でベッドに寝かせ、部屋のドアを一晩じゅう閉め切って、赤ちゃんがどんなに泣こうとも、様子を見に行くことも授乳も抱っこもしない、というスパルタ方式のやり方。本によっては、数分おきに様子を見に行くもの、抱っこで一旦泣き止ませてまた一人きりにするものもある。赤ちゃんにとってはものすごく辛いトレーニングで、泣いても誰も来てくれないストレスからベッドの柵を噛んだり、柵に頭を打ち付けたりといった自傷行為に走る子もいるらしい。この方法を3日も続けると赤ちゃんが一人で寝られるようになるというのだけど、私はどうしても賛同できないので、これは選択肢には加えないことにした。


< 夜中の断乳 >
赤ちゃんが夜中に泣いても、実際に空腹で泣いていることは少ないので、母乳やミルクはあげずに抱っこで寝かしつけるようにする、という方法。赤ちゃんも意外と早く適応してくれるようになると聞いていたのだけど、息子の場合は本当にお腹が空いて目を覚ましているようで、抱っこだけでは1時間ごとに泣くようになってしまったので2日で諦めてしまった。

あとで調べたり周囲に聞いたりしたところ、この方法は生後10ヶ月とか1歳になるころなど、もっと月齢が上になってから行うものらしいとわかった(息子よ、すまん!)。


< ジーナ式スケジュール >
夜泣きの原因は赤ちゃんの体内時計が乱れているからだという説がある。これは、特に夜泣き対策を謳ったものではないけれど赤ちゃんの体内時計を調整してあげる方法で、「7時 起床・授乳 8時 遊び 9時 朝寝」といったように赤ちゃんの一日のスケジュールが決められている。このスケジュールが驚くほど赤ちゃんの生活サイクルにぴったりで、無理なくスケジュールを守ることができる。たとえば8時50分ころに息子が泣き出したので、「9時 朝寝 とあるから、眠たいのかな」と思って抱っこでゆらゆら揺すってあげると、10分も経たずに熟睡してしまう。寝かしつけるのに30分以上もかかっていたのが嘘のようで、初日は本当にびっくりした!

日によって15~30分のズレはあるけれど、泣いている理由がすぐわかって対処が早くなったので、息子は一日中ご機嫌で過ごすようになった。そして、続けているうちに息子の体内時計が正常に戻ってきたのか、あくびを何度もするようになった。お昼寝の時間が最初は15分だったのが、次第に30分、1時間、1時間半とのびていった。夜は、最初はなんと1時間おきに起きてしまったのが、一度に寝られるのが1時間半、2時間とのび、3時間は寝てくれるようになった。


Sleep Trainingとは異なるけれど、息子の眠りを助けるためにしていることは以下のとおり。


< 添い寝 >
これはなかなか効果的で、息子がモゾモゾし始めたときに、息子のおなかや背中を優しくトントンしてあげると再び眠りに戻ってくれる。それまでは目が覚めたと同時に「わー」と大泣きしていたのが、すぐ隣に私がいることで安心するのか、泣かなくなった。私が自分のために時間を使いたくなったときは、息子を起こさないように細心の注意を払いながら私とクッションをすり替えている。


< バーストラウマの解消 >
息子はまた、よく泣く子でもあった。怖がりなのか、生後3ヶ月になるまではオムツ替えやお風呂の度に、まるでこの世の終わりであるかのような悲痛な叫び声をあげて泣いていたし、抱っこ紐を使うときなど初めてのことを経験するときにはたいてい大泣きしてしまう。

バーストラウマについては、これもやはりご近所の方から情報をいただいて初めて知ったものだった。生まれるときに長い時間がかかったり、陣痛促進剤などの人工的な処置を経て生まれたりした赤ちゃんや、生まれてすぐに保育器に入れられて母親から引き離された赤ちゃんは、「苦しい思いをした」「寂しい思いをした」という原始記憶が残ってしまい、よく泣く子や寝ない子になってしまう、という説。

実はこれには、ものすごく心当たりがあった。私が出産したとき、自然に陣痛が起きて分娩が始まったのではなく、妊娠36週のときに異常が見つかって緊急入院してそのまま出産することになったのだった。3日間にわたって陣痛促進剤などの人工的な処置を経て産まれてきて、生後すぐにNICUの保育器に入り、その後も黄疸の治療で再び保育器に入り…と、苦しさと寂しさをこれでもかというほど息子は味わっていたのだ。こういう経験をした赤ちゃんには、とにかくたくさん触れてあげることと、「もう大丈夫だよ」と語りかけてあげることが大切だという。

このことを知った日、私は息子に「たくさん苦しませてごめんね。ずっと寂しかったね。赤ちゃんなのにたくさん我慢させてごめんね。もう苦しくないよ、寂しくないよ。これからはいつでもママがいるよ。ずっとずっと一緒だよ」と何度も語りかけ、息子が起きている間はずっと抱っこし続けた。すると、その日の息子の合計睡眠時間は最長の13時間を記録し、翌日からお昼寝を2時間半するようになった。


< 語りかけ >
…ここまでいろいろと手を尽くしてきたけれど、息子はなぜか毎日、午前2時と4時に目を覚ましてしまうし、この間ずっと起きたままのことも多い。成長ホルモンが多く分泌される時間帯なので、母としてはできることならこの時間には息子に眠っていて欲しいところ。

そこで、息子を抱っこしながら、「××ちゃん、おねんねが上手になってきたね。うれしいねぇ。今度は、夜中の2時から4時までぐっすり眠れるようにがんばってみようか?この時間は××ちゃんが大きくなれる大事な時間なんだよ。大きくなって、おすわりできて、ハイハイできて、歩けるようになったら楽しいよ。××ちゃんが大きくなってくれたらママはとってもうれしいな」と話しかけてみた。

すると、息子は12時から朝の5時まで連続で眠ってくれて、夜間の睡眠時間としては最高記録を達成することができた。翌日以降も、4時まではきっちり眠ってくれるようになった(今度は、毎日午前4時に起きるというリズムがついてしまった!)。


…そんなこんなで、息子のねんねトレーニングはまだ迷走中だけど、もし今辛い思いをしているお父さんお母さんがこれを読んで、「諦める前に何かやってみようか?」と前向きな気持ちになってもらえたなら幸いです。赤ちゃんが寝ないこと、特に夜泣きは親にとっては本当に辛い。心と身体の両方から追い込まれていくので、ノイローゼになってしまう方がいるのもとてもよく理解できる。

赤ちゃんが泣くのは、誰が悪いわけでもなくて、そこには赤ちゃんからの何か必死の訴えがあるのかもしれない。赤ちゃんのためにもお父さんお母さんのためにも、それを汲んであげられる気づきの方法がうまく見つかりますようにと、願っています。

2013年10月22日火曜日

多国籍ベイビーシャワー

環境保護団体を通じて知り合ったメキシコ人の友人ミラが出産を控えているため、ギリシャ人の企画でbaby shower(出産の前祝い)をすることになった。私にとっては人生初のbaby showerなので、とても楽しみ。

しかしこのギリシャ人、やる気満々で連絡網をまわしてきたのに、開催日の1週間前になってから「会場が見つかってないの!誰か部屋を貸してちょうだい!」と言い出してきた。普通は会場を確保してから告知するものなんじゃないかというツッコミを胸のうちでしつつ、誰も名乗りを挙げないので我が家を提供することにした。すると今度は、開催日の2日前に「どうしよう~食器とテーブルクロスがないわ!誰か用意してくれる?」と慌て出したので「うちのを使っていいから!」とフォローすることに。…大丈夫かなぁ。

当日は、階下の住人に挨拶しに行った。私たちがハワイにいた間に住人が入れ替わっていたものの、まだ新しい住人に会ったことがなかったのだ。パーティーするので騒がしくなるからごめんねと伝えると、コロンビア人の奥さんはとってもにこやかに「いいのよ。これから先、何か困ったことがあったらいつでも来てね」と言って、生後6ヶ月の娘さんを紹介してくれた。

家に戻り、飾りつけ担当のギリシャ人とエジプト人の到着を今か今かと待つが、一向にやって来ない。1時半には来ると言っていたのに来ないので、もしかして会場が変更になっていて、知らないのは私だけなんじゃないかという不安に駆られているうちに、開始時刻の2時になってしまった。すると隣の家からチャイムの音と聞き覚えのある声が聞こえてきて、すぐに私の家のチャイムが鳴った。…ギリシャ人、遅刻のうえに家を間違えて登場。エジプト人は無断欠席。そして今回の主賓であるミラが「勝手に招待しちゃった7人のお友達」のうちの2人のスペイン人が飾りを持ってきてくれて、いそいそとデコレーション。2時半ころになってケーキ担当のイスラエル人がやってきて、ゲーム担当のグアテマラ人がやってきて、その他諸々、ノルウェー人とドイツ人とフィリピン人と中国人とメキシコ人(最多数)が集い、皆それぞれ子どもを同伴しているので招待したはずの倍の人数になり、絨毯の上にひしめきあって座る。



グアテマラ人が用意してくれたゲームは2種類あった。1つは、いろんな国の「baby」を意味する単語を紙に羅列してあって、それぞれの単語がどこの国の言葉なのかを当てるもの。皆、中国語と日本語(赤ん坊という表記)の区別がつかない。もう1つは、アルファベットを正方形になるようにランダムに並べてあって、その中からタテ・ヨコ・ナナメのどれかで「crib(ベビーベッド)」「diaper(オムツ)」などbabyに関連した英単語をできるだけ多く抜き出す、というもの。

ミラからのお願いで、皆でブレスレットを作ることになった。輪になって座り、1つの毛糸玉から毛糸を引っ張り出しながら隣の人に次々に渡していく。そうすると、1本の毛糸で皆がつながれている状態になる。ハサミを持ち、自分の分の毛糸を30センチくらい切りながらミラに一言メッセージを伝え、隣の人にハサミを渡していく。そしてこの毛糸を編んでブレスレットにする、というもの。

最初にミラが「We're all connected.このブレスレットを見て出産のときにがんばるわ」というと南米の人たちは一同、号泣。彼女たちは本当に友情に篤い。ミラのお母さんがミラにメッセージ(スペイン語なので内容はわからずじまい)を伝えると再び号泣。その後も、まもなく帰国するイスラエル人が泣き出したり、知り合って日が浅いはずの中国人まで泣きながら挨拶したりする度に、感極まってスペイン語(通訳してくれるほどの余裕は彼女たちにはない)→号泣→固い抱擁というサイクルを5ターンくらい繰り返す。

私は、部屋を提供したということが思いのほか高く評価され、出席者の一人一人から5回くらいずつ「ありがとう」と言われる。そ、そんなに言われるほどのことかしら?と思っていると、中国人が「あなたの部屋はものすごくきれいね。私の部屋は物だらけで汚いのよ」と言い、一同「うちもそうよ」とうなずく。会場の提供に誰も手を挙げなかったのはそういう理由があったらしい。

後片付けが済んだあと、ミラが去り際に言った。「あなたと初めて会ったときのことを今でも覚えているわ。二人で話したあと、あなたが最後にThank youと言ったから、You're welcomeを日本語で何というのか紙に書いて教えてもらったのよ。そのメモは今でも持っているの」ミラとお母さんが「アリガトウ」と言ってくれて、私は「どういたしまして」と答えて別れた。

小さな生命が無事に誕生してくれる日まで、私はブレスレットを外さない。



2013年10月14日月曜日

出生後の手続き(アメリカ編)

息子の誕生以降、いろいろと済ませてきた手続きをまとめてみました。アメリカでの出産を控えている方や検討している方のご参考になれば幸いです。


<出生届>

病院で出産した場合、翌日には病院のスタッフから出生届を渡されて子どもの名前を記入することになる。役所への提出については病院側で行ってくれるので、出生に関する手続きはこれで終わり(注:自宅出産した場合は手続きの方法が異なる)。

私たちは、息子が将来アメリカで暮らす選択をしたときのためにミドルネームを付けることにした。日本の出生届を提出する際には、ミドルネームを戸籍に載せないように頼むことができる。そのため、たとえばアメリカではTaro James Yamadaが正式名で、日本では山田太郎が正式名、という風に2通りの名前を持つことができる。


<小児科医選び>

お産のために入院することになったとき、手続きにあたって聞かれたのが「生まれてくる子どもの小児科医は誰か?」ということ。アメリカでは出生前に小児科医を決めておくのが普通で、生まれた赤ちゃんの状態を確認するのはあらかじめ決めておいた小児科医が行うことになっているのだ。当時、私はまだ息子の小児科医を見つけていなかったので正直に伝えてみたところ、Alta Batesの配慮によって、Alta Batesで雇用している小児科医が臨時で担当してくれることになったのだった。

産後、分娩を担当してくれたDr. Davenportに小児科医について相談してみたら、UC villageから徒歩圏内にあるKiwi Pediatricsを紹介してもらえたので、そちらに通っている。


<保険加入>

息子の保険については頭の痛い問題だった。なぜならMedi-Calから承認されたとき、今回は私の妊娠と出産のみを対象とし、家族については対象としない、という通知を受け取っていたから。毎月の収入については加入条件を満たしていたけれど、財産総額(私たちは車も不動産も持っていないので、たぶん預金残高のことだと思う)が条件より多かったので家族の分までは認められないらしかった。帰国するまでの1年間、どうすればいいだろうかと途方に暮れていたとき、ソーシャルワーカーに助けてもらえた。

私は知らなかったのだけど、Medi-Cal利用者の場合は、Alta Batesと契約を結んでいるソーシャルワーカーが出産の翌日に訪ねてきていろいろな相談にのってくれるサービスがあるのだ。息子の保険が決まっていないことを伝えてみると、「あなたの息子がMedi-Calに加入できるように、連絡しておくわ」と言ってくれた。たったそれだけのことで、出産から2週間も経たないうちに息子名義のMedi-Cal会員証が自宅に郵送されてきた。財産総額の条件はいったいどうなったのかは不明…。


<Social Security Numberの取得>

息子はアメリカで生まれたので、アメリカ国籍を有する。アメリカ人であると、外国人だと取得に苦労するSocial Security Number(SSN)が容易に取得できる。手続きについては上記の保険加入とほぼ同じで、ソーシャルワーカーから「子どもの分のSSNが欲しい?」と聞かれて「Yes」と答えた。ただそれだけで、生後2週にも満たないうちに息子名義のSocial Security Cardが自宅に郵送されてきた。通常なら発行されるまでに6~8週間かかると聞いていたのでびっくり!ソーシャルワーカーの力はなんて偉大なんだ!


<パスポートの取得>

私たちが帰国するとき、息子はアメリカのパスポートでアメリカを出国して、日本のパスポートで日本に入国することになる。そのため、帰国までに日米両方のパスポートを取得しておかないといけない(事情があって、パスポートの発行を待てずに緊急帰国する場合は特別な措置を図ってもらえるので、総領事館に相談するとよいそうです)。

申請に必要なものは以下のとおり。

申請用紙
(印刷して全部手書きにすることもできるけど、私はオンライン入力をしてから印刷した)

・出生証明書の原本
バークレー市役所で発行してもらったもの。発行してもらうためには病院から発行されるBirth Certificateが必要になる。発行は生後3週以降に可能)
※出生証明書はパスポート発行時に返送されてくる。

・子どもの写真1枚
(インターネットで調べると2枚必要だと書いてあったけれど、実際に手続きしてみたら1枚でよいと言われた。背景は白で、子どものみ写っていて正面を向いているもの、写真のサイズは2インチ×2インチ(5.1センチ×5.1センチ)顔の縦の長さについては指定されているので、申請用紙の写真貼付欄の枠をよく確認すること!)

・パスポート申請料金80ドル分の小切手もしくはマネーオーダー
(申請場所によってはクレジットカード払いもできるらしい。私はSolano郵便局でマネーオーダーを購入した。手数料は1ドル20セント)

・窓口で提示するもの
両親のI.D.(パスポートや、カリフォルニア州発行の身分証明証など)と、子どもがアメリカ市民であることを証明できるもの(私たちは息子のSocial Security Cardを見せたけど、出生証明書で足りるらしい)

パスポート申請ができる施設は、市役所関連の施設か郵便局。郵便局の場合は電話予約が必要になる。私たちの場合は、夫が授業や課題で多忙を極めていてスケジュールが読めなかったので、予約なしで行かれるAlbany City Hallを選んだ。申請に行くときは両親と子どもが必ず揃わないといけない。

担当者が書類の記載内容と顔写真のサイズの確認を済ませると、両親は右手を挙げて宣誓する。「提出した書類に誤りはありません。子どもは私たちの子どもです」。Albany City Hallの場合は、このあと別の窓口で手数料25ドルを支払って(デビットカードが使えた)、手続きは終了。4~6週間後に自宅にパスポートと出生証明書が郵送されてくるらしい。

パスポートの写真については、Costcoの写真サービスを利用したり有料サイトで作成することもできると聞いたけれど、自分たちでもできそうだなぁと思った私たちは、白いシーツの上に息子を寝かせてデジカメで撮影し、念のためにペイント機能を使って背景をさらに白く塗りつぶし、顔のサイズは申請用紙の枠をあてがいながらサイズを調整したうえで写真光沢紙に印刷する、という相当アナログな方法で作成した。

<2013.10.24 追記>
パスポートは申請から3週間と経たないうちに郵送されてきた。こんな感じになってます!






日本の出生届の提出とパスポート申請(まだ手を付けていないのです!)については、また後日掲載する予定です。

2013年10月6日日曜日

親切な中国人

以前このブログに登場したことがある、お隣の中国人のおばあちゃんと私はどうやら、浅からぬ縁で結ばれていたらしい。記事を掲載した後もずっと会話が成立せずにいたけれど、おばあちゃんは私に好意を持ってくれているようで、UC village内のあちこちで遭遇しては話しかけてくれた。

出産後に初めて会ったとき、おばあちゃんは自分の顔を上から下に軽く撫でながら何かを言ってきた。表情からすると何やら否定的なことを言われているっぽい。さては私の顔に不具合が生じているのか。返事に困っていると、おばあちゃんはどうしても伝えたいことがあったようで、娘さんを通訳に呼んできた。娘さんはUCバークレーで研究職に就いていて、生後9ヶ月になる女の子のママでもある。

娘さんの通訳によると、「あなたは痩せてしまった。身体は大丈夫か。母乳は出ているのか。何か手伝えることがあったら言ってほしい」とおばあちゃんは言ってくれていた。折りしも、その翌日に夫がハワイに出発することになっており、一人で新生児の世話をすることに私は不安を抱えていた。息子のためにもここは素直に助けを借りようと思い、そうした状況を伝えたところ、おばあちゃんは「母乳の出を良くする料理を持ってくるわ」と何度も言ってくれた。

翌日、夫を送り出したあと、おばあちゃんが訪ねてきた。豚足が入った湯麺を作ってきてくれて「これを食べると母乳が出るのよ」と(たぶん)言う。何とありがたい!これで育児をがんばろう!

その翌日。再びおばあちゃんが訪問。あれ?どうしたのかな?と思っているとニコニコと薬膳粥を差し出し、おばあちゃんは帰っていった。…その翌日も、その翌日も、おばあちゃんは毎日お昼ごはんを作っては届けにきてくれた。息子を見せたときには「元気な赤ちゃんが生まれてきてよかった」と(たぶん)言ってくれた。

しかし、こんなに親切にしてもらっても、買い物もままならない私には返せるものがない。娘さんを通じて、いずれお礼をしたいと伝えると、おばあちゃんは「そんなことはしなくていい」と言う。そしてこの頃うちの向かいの部屋で引越しがあり、中国人の一家が退去した後、新たに中国人の一家が越してきた。奥さんが挨拶に来てくれたとき、「あなたの隣の家の人から、あなたが新生児を一人で育てていると聞いている。手伝いが必要だったら遠慮なく言ってほしい」と言ってくれたのだった。

おばあちゃんの優しさに胸を打たれた私は、おばあちゃんと話せるようになりたいと思って中国語の勉強を始めた(振り返ってみれば、睡眠時間の確保がもっとも難しいこの時期に何もわざわざ勉強することはなかったかもしれない。でも当時は必死だったのだ)。

ハワイ行きを決めたことを伝えたとき、娘さんからは実は彼女たちがもうすぐ帰国する予定であることを知らされた。でも私たちがバークレーに戻ってきてからでも間に合うから、戻ったら何かお礼をしようと思って出発した。ところが戻ってみたら、おばあちゃんだけ先に帰国してしまったことを聞かされ、とても残念に思った。謙虚なおばあちゃんは何も言わずに去ってしまったのだ。

その後、娘さんたちが帰国するまでの一ヶ月間に親交を深め、娘さんとは互いの連絡先を交換して別れた。帰国したのち、研究者である娘さんだけがバークレーに戻ってくる予定なのだという。よかった!おばあちゃんへとつながる線はまだ生きている。

おばあちゃんに再び会える日が来るかどうかはわからないけど、人生の流れが「あなたは中国語を学びなさい」と言っているような気がするので、本腰を入れて勉強することにした。ちょうど夫も中国語のクラスを取っているので、教科書を拝借している。

おばあちゃん、あなたとはぜひもう一度会って、もっと深くわかりあいたいよ!

2013年9月30日月曜日

タイ人をおもてなし

夫のクラスメイトで、タイからの留学生であるターさんを夕食に招待した。英語がネイティブ並みに話せるターさんは、GSI(Graduate Student Instructorの略。英語で授業を受け持つアルバイト)をして学費を稼ぎながら学んでいる苦学生。夫から彼女はかなりの親日家だと聞いていたので、ぜひ一度会ってみたいと思っていたのだ。

お会いしてみたところ、ターさんは目がぱっちりとしていてとても可愛らしい。そしてまだ25歳とお若いのに、手土産に粉ミルクを選んでくれたという気配りはさすが。私が用意した料理はいたって普通のメニューで、切干大根の煮物にかぼちゃと小豆のはとこ煮、鮭のムニエル、わかめのお味噌汁。ターさんは切干大根を気に入ってくれたので、帰りがけに家にストックしてあった切干大根のパックを(彼女はアジア人らしい慎み深さで遠慮していたけれど)贈呈した。

ターさんによると、タイでは日本のテレビ番組が数年遅れで放送されているという。「NARUTO」についてはやはり、と思ったけれど、次に名前が挙がった「タケシ・キャッスル」に戸惑う。…タケシ・キャッスル?ターさんが説明してくれた。「石の上をジャンプしたりする…」ま、まさかそれは私が子どものころに放送されていた「風雲!たけし城」のこと?(注:後で調べてみたら、この番組はタイ以外の国でも放送されたりDVDが販売されたりしているらしく、熱烈なファンも多いようだった)

もうひとつターさんが好きな番組は「TVチャンピオン」。あの番組は今でも放送されているのかと問われたものの、長らくテレビから遠ざかっていた私たちは答えられず…。「プリンス・コバヤシが好きなの」と言うターさん。…プリンス・コバヤシ?と首をかしげていたら、ホットドッグの早食いで知られた小林尊さんのことだった。小林さんのルックスはタイ人女性のハートをつかんでいるのだとか!

高校時代に日本語を習ったというターさんは、日本語がなかなかお上手。食後のデザートにどら焼きを出したら、すかさず「ドラえもん」と言ってくれて、藤子・F・不二雄先生のファンである私たちはとても嬉しかった。

語学堪能で素晴らしい成績を収めているという彼女が、恋愛の話になったとたんに目を輝かせて楽しそうに語りだしたのを見て、どこの国でも女の子は女の子なんだなあと思った。



2013年9月19日木曜日

NICU

息子は出産予定日より3週間早く生まれたため、生後すぐに新生児集中治療室(Neonatal   Intensive Care Unit )に連れていかれ、あらゆる検査を受けることになった。NICUのことは、日本ではエヌアイシーユーと呼ぶけれど、アメリカではニキューと呼ぶ。

Alta BatesのNICUはセキュリティー管理がしっかりしていて、両親には入館証代わりのリストバンドが付けられ、赤ちゃんが退院するまでは外すことができない。親は、赤ちゃんの入院中は24時間いつでもNICUに出入りでき、いつでも電話をして赤ちゃんの状況について質問することができる。そしてNICUには親が宿泊できる部屋が2つあり、予約さえとれれば泊り込みで赤ちゃんに付き添うことができる。

息子が退院するまでの3日間、ちょうど私も発熱のために入院していたので何度も足を運んだ。出産当日は歩けなかったので車椅子を借り、翌日からは看護師に自分で歩くようにと言われたので、かなり辛かったけれど自力で歩いた。NICUに行くたびに、スタッフが入れ替わり立ち代わり、育児についてレクチャーをしてくれたのでありがたかった。赤ちゃんの抱っこの仕方、授乳の仕方、げっぷのさせ方、おむつの替え方など、ここで基本的なお世話の仕方を習うことができた。Alta Batesは母乳育児を推奨していて、授乳についてはかなり厳しくて結局8回も教えを受けた。

すでに書いたことがあるけれど、アメリカでは医師や看護師の言葉遣いがとても丁寧で、言葉を慎重に選びながら話しているというのが伝わってくる。ドクハラなんて言葉とは無縁で、不快な思いは一度もしなかった。私の分娩を担当してくれたDr.Davenportも本当に良い人だった。

そんな風に、配慮にあふれたスタッフたちに恵まれたけど、ひとつだけ「あれ?」と思ったことがあった。産後まだ日が経っていなくて立っているのも辛いという状況でも、スタッフが私を誘導するときにはスタスタと歩いて行ってしまうし、いつまでも立ったままで話をしなくてはいけないことがあったのだ。こういうときには自分から「もっとゆっくり歩いて欲しい」「椅子に座らせて欲しい」と頼まなくてはいけない。

退院する日、担当してくれた小児科医からは黄疸(jaundice)が心配だと言われたけれど、ひとまず家に連れて帰れることになった。けれどその後の検査でやはりひっかかってしまい、退院から2日後にNICUに逆戻りすることになってしまった。

顔なじみになったスタッフからは「あら、戻ってきたのね。What's the number?」と言われた。ナンバー?息子が入院している部屋の番号かな?と思って「24」と答えると驚愕の表情を浮かべる彼女。部屋番号ではなく黄疸の数値を尋ねていたらしい(そして標準の値というのは12か13くらいなのだ、と説明された)。そのあとも何度かナンバーについて聞かれることがあり、NICUでナンバーというと黄疸の数値のことを指す、ということを初めて知った。

しかし黄疸といわれてもアジア人の私たちにはぴんと来ない。息子の顔や胸を指して「ほら、黄色いでしょう?」と言われても、いったいどこが黄色いの?と思ってしまう。夫が「黄色といってもどんな黄色だと問題になるのか?」と尋ねると「オレンジイエロー」という返事。そう言われても、やはりわからない…。

黄疸の治療で、アイマスクをつけて紫外線照射を受けること2日間で幸いにも息子の数値は正常値に戻った。これで、ようやく落ち着いて3人で暮らせるようになった。

アメリカで出産したという日本人の方数人に聞いてみたところ、皆さん同様に、赤ちゃんが黄疸で入院した経験があるとのこと。「日本だったらきっと問題にならない程度だと思うんだけどね」というのが全員一致の見解だった。

そうはいっても、Medi-Calのおかげで無料でこれだけの医療サービスを受けることができたので、感謝してもしきれない。アメリカでは、保険に加入していたとしても一人出産するのに200万円くらいは自己負担しなくてはいけないと聞く。住民税も納めることができない、よそ者の私たちにまでこんなに手厚い医療を受けさせてもらえて、本当にありがたい。カリフォルニア、万歳!

2013年9月14日土曜日

ホノルル回顧録

夢のようだったホノルル暮らしを振り返ってみました。


<オートバイはノーヘルで乗る!>

外を歩いていて最初に気がついたこと。オートバイ利用者のヘルメット着用率が異常に低いのだ。1ヵ月半暮らしていて、ヘルメットを被っている人を見かけたのはたったの1回だけ。これって違法なんじゃないの?ホノルル警察は取り締まらないのかしら?と思っていたら、地元の方によると何と合法らしい!ハワイ州ではオートバイの走行中にヘルメットは被らなくてもいいのだという。…ホントに?その一方で、絶滅危惧種の鳥を撥ねてしまうと罰金100万円相当という法律もあるという。ハワイでは人より鳥の命の方が重いの?


<路上喫煙率が高い>

ホノルルでは建物内での喫煙を禁じていて、バーですらタバコを吸うことができない。厳しく制限されている反動か、屋外で歩きタバコをしている人が結構いる。バークレーでは喫煙者そのものをあまり見かけなかったので、妙な感じ。


<迷惑なスプリンクラー>

道ばたの植え込み用のスプリンクラーは、どういうわけか通行人にまで水を撒き散らす設計になっている。なかには、植木にではなくてひたすら消火栓に水をかけ続けているものもある。…なんで?


<The BUSがおもしろい>

移動手段として大いに役立ったThe BUS。乗り換えというシステムがあって便利だった。乗車賃2.5ドルを支払うと、時間が印刷された券を運転手がちぎって渡してくれる。この券を持っていると、最初に乗車したときから2時間以内であれば、無料でバスに乗り換えできるという。

実際には必ずしも乗り換え目的に使わなくてはいけないわけではなく、下車して手早く用事を済ませて、2時間以内に帰りのバスに乗るという場合でもこの手が使える。ショッピングモールに行ったときは、乗車時に運転手に「モールに行きますか?」と尋ねたことがあった。下車したときに券を見てみると、なんと親切なことに4時間後まで利用できるようにと運転手が時間を調節してくれていた、ということもあった。

AC Transitバスと違う点がもう一つあって、ベビーカーは必ず折りたたまなくてはいけないというルールがある。どんなに車内が空いていても、これを守らないと乗車させてもらえない。AC Transitだと折りたたまずにそのまま乗車できるため、てっきりアメリカのバスはこういうものなのかと思っていたので、これは意外な発見!


<ほぼ日本?>

日本を発ってから1年が過ぎ、そろそろ故郷が恋しくなってきていた。一時帰国のことが何度か頭をよぎったこともあった。ハワイに来てみたら、何かもうほとんど日本じゃないかというくらいに日本語が通じるし、日本人だらけだし、日本の食べ物屋さんがあるし…という感じで、ハワイ滞在のおかげでホームシックがすっかり解消されてしまった。

日本の居酒屋さんに寄ったり(S.King通りにある幸の鳥では焼き鳥が、Imanas亭ではちゃんこ鍋が食べられる)、最近できたローソン・カピオラニ店で久しぶりのコンビニおでんを食べたり、ブックオフで夫が俄然いきいきと輝きだして大量の本を購入したり(アラモアナショッピングセンターで一番気に入ったのはブックオフ!)と、日本の空気を満喫できた。


…バークレーに戻り、気がついてみれば帰国まであと1年を切ってしまっている。来年の夏にはきっと猛暑の東京で暮らしているのだろう。育児と家事で一日があっというまに過ぎていく日々だけど、引き続き情報を発信していきたいと思います。

2013年9月3日火曜日

子連れで飛行機

赤ちゃんのフライトについてインターネットで検索すると、不安にさせるような書き込みが割と多いので、実際にやってみたところ大丈夫だった、という経験談を書いておきたいと思う。

息子を初めて飛行機に乗せたのは生後7週のとき。そんな小さな赤ちゃんを飛行機に乗せたことに皆さん驚くと思う。私も当初、ハワイ行きは息子がせめて2ヶ月になってからにしようと思っていた。けれど迷った末に予定を早めることにした。理由は、安心して子育てをするため。夫がインターンシップに旅立ったあと、3週間のあいだ私一人きりで息子の世話をしていて疲労がピークに達してしまい、夫に手伝ってもらわないと母子ともに倒れてしまいそうだったのだ。

そんなわけで、一人で人生初の子連れフライトをすることになった。機内で泣いたらどうしよう、いざとなったら息子を抱えてトイレに駆け込もう!と悲壮な覚悟で臨む。


<搭乗前>

行きの手荷物検査ではどの係員も親切で、おろおろしている私を手伝って荷物を運んでくれた。260ミリリットル入りの哺乳瓶になみなみと入れたミルクは、X線検査を受けて問題がないことが確認できたので機内に持ち込むことができた。

帰るときには、手荷物検査の列に並んでいたら後方にいた人が、子連れには専用の入り口があるから並んで待つ必要はないのだと教えてくれた。搭乗するときにも子連れだと早めに機内に入れるし、こういうありがたいサービスがあるということは、自分が子どもを持ってみるまで知らなかった。

その後手荷物検査を受けていると、今回は哺乳瓶が引っかかってしまった!中身は問題ないけれど、容器がダメだという。ハワイで買ったAVENTの哺乳瓶なんだけど…。思いがけずテロリストの容疑をかけられ、手荷物の中身をひととおり見せて、ボディーチェックを受けるはめに。アメリカは子連れにやさしいはずなのに、なんで哺乳瓶がダメなの~?とぼやいていると、夫が「たぶんその哺乳瓶と同じものを使って不審物を持ち込んだ前例があるんじゃないかな」と言う。その場で疑いが晴れたので、哺乳瓶は無事に機内に持ち込むことができた。


<搭乗後>

離陸前に、近くの座席にいる人たちに声をかけておいた。「My baby might bother your flight. Maybe he cries a lot. I'm sorry about that.」と言うと、「大丈夫だよ、僕たちはみんなベイビーだったんだから」とか「あなたのベイビーは可愛すぎて、迷惑なんてかからないわ」など、温かい返事がもらえてほっとする。

離着陸時の耳抜きについては、出発前に小児科医に質問しておいた。「赤ちゃんを飛行機に乗せることによって、聴力に障害が出る可能性はありますか?」と尋ねると「それはないわ。気圧の変化で耳に不快感が生じるから赤ちゃんは泣くだけ。だからミルクを飲ませて気を逸らしてあげるといいわ」という回答だった。耳抜きがうまくできなかったら息子の聴力に支障が出てしまうかもしれないと心配していたので、医師の答えに安心した。

実際には息子は行きの便でも帰りの便でも、離着陸時に熟睡してしまっていて耳抜きができなかった。でもその後も問題なく育っているので、そんなに心配することはなさそう。


幸運なことに、往復の便で息子はほとんどずっと眠っていてくれたので助かった。着陸したときには周りの乗客から「Good Boy!」と褒めてもらい、何人もの方が荷物を運ぶのを手伝ってくれたりと、みなさん実に優しい。息子がいつ泣き出すかとヒヤヒヤしながら乗っていたので、子連れに対して温かい配慮をしてもらえると本当に救いになる。

そんなわけで、アメリカだからかもしれないけれど、生後1ヵ月半や3ヶ月の子連れで飛行機に乗っても何とかなります。親切な人が必ず現れるので、大丈夫です!

2013年8月21日水曜日

天台宗ハワイ別院

ひょんな成り行きで夫が講演をすることになった。3.11で被災した福島の子どもたち(「ふくしまキッズ」)がこの1ヶ月間をハワイで過ごしていて、彼らのためにハワイの自然エネルギーについて話をするのだ。会場は天台宗ハワイ別院。ハワイで寺社めぐりをするつもりはなかったのに、これもきっとご縁というものだろう。

バスに乗ってダウンタウンを通り過ぎ、山を登って、やっと到着。日本のお寺とは違う雰囲気だったので、思わず表札を確認する。



夫の講演が始まったので息子と私は部屋の外で待機していると、作務衣を着たおじいさんがふらりとやってきた。ダックスフントがトコトコと後をついてくる。ホームページで顔写真を見ていたので、この方が住職の荒了寛さんだとわかった。荒さんは奥の部屋からカメラを持ち出してきて、夫が講演をしている様子を「ふむ」とか「うん」とか言いながら撮影すると、再びふらりと外へ。この方がにこにこ了寛さんかぁ。

講演後、参加してくれたふくしまキッズの子たちが息子のもとへ集まってきた。どの子も素朴で純真で、まっすぐ育ったんだなあと思われる。触っていいよ、と伝えると怖々と息子の頬や足を撫でてみる女の子たち。息子の手相をチェックし始めたり、私の手に仏眼があるとわかると「霊感があるっていうけどホント?幽霊みたことある?」と聞いてきたりと、無邪気で可愛い。しばし幽霊談義をする。

この日はふくしまキッズのために、福島県人会の方々が食事を用意してくれているという。ぜひ食べていって、と暖かく声をかけていただいたので、私たちもご相伴にあずかることにした。住職である荒さんが福島県出身の方なので、福島県人会というものをこのお寺で開催していると伺った。

福島の郷土料理が食べられるのかなと思っていたら、チキンのガーリックソテーにはじまってアメリカンなお料理だった。それもそのはず、この会の方々のほとんどが日系2世・3世なのだった。日本語が通じないので、英語でやりとりする。見た目は日本人同士なのに、なんだか変な感じ。外国人と話しているのと変わらないのに、日本人特有の口に出さずとも伝わる思いやりが感じられるのが不思議。

荒さんは皆と同じテーブルにはつかずに、テラスで可愛いワンちゃんとともにお食事。名前を聞いてみると、「ん~、名前?チャ」という返事がかえってきた。…茶?その子は黒いんだが…と思いつつ荒さんの動向を見守っていると、チャちゃんにケーキを食べさせている。犬が生クリームを食べても大丈夫なのだろうか。ついでにいうと、チャちゃんはピンクの洋服を着せられていたので女の子かと思っていたら、御姿を観察したところ男の子だったので、チャくんであった。

食後、私が息子を抱いているのを見て、「あ~、こりゃ、おままごとだな」とつぶやく荒さん。…私が子どもに見えるらしい(息子を連れていると、ときどき「Your baby?」「How old are you?」と言われることがある)。「ひとつ、母親らしく抱いてみなさい」と言われて抱き直すと写真を撮られた。荒さんは食事中も皆の様子を写真に収めていたし、相当な写真好きなんだ、きっと。

お寺の応接室にあった本棚を眺めていると、ひろさちやさんの著書や仏教説話集が多いのはわかるのだけど、夢野久作全集とか高橋留美子作品集とかがあるので「はて?これはいったい誰の趣味だろうか」と首をかしげてしまう。本棚をみれば持ち主の人柄がわかるというけれど、あまりにも混沌としたチョイスに、どんな人物の所蔵なのかどうにも分析できなかった。でもこの混沌さがハワイの象徴でもあり日本人の宗教観でもあるような気がして(大げさ?)、割と好きだったりする。

今回の出会いは、思いがけないギフトだったと思う。いかにもハワイらしい柔らかい方法で、自分の思い込みを正してくれたから。被災した子どもたちはいつまでも悲しんでいなければいけないわけではないし、僧侶はひたすらストイックでなければいけないものではない。日系人は日本人とまったく同じではないけれど、まったく違う存在でもない。そんなの当たり前なんだけど、改めてひとつ自分のブロックを外してくれたような、そんな恵まれた出会いだった。


2013年8月5日月曜日

IZUMO TAISHA

神社が好きで、日本にいたころはしばしばお参りに行っていたのだけど(一人で榛名神社や箱根神社、鹿島神宮に行ったことも)、バークレーにはお寺はあれど神社はないので久しく参拝していなかった。けれどハワイに来てみたら、ホノルルに神社がいくつかあると知り、にわかに心浮き立つ。

金刀比羅神社もあったけれど、今回は出雲大社の分社に行ってみることにした。ホノルルを走るバス・The BUSに乗り、最寄りのバス停で降りてみたら、いきなり悪臭が漂う。治安の悪さを示すバロメーター、悪臭・落書き・散乱するごみの3拍子が揃っている。神社までの道のりにも、ホームレスがけっこういる。こんなところに神社があるのかなぁと思っているとあっさり発見。川を挟んだ向かい側にはチャイナタウンがあり、完全に異国ムードを放っている。



太い注連縄は本社から運んだものだという。狛犬がシーサーなのはなんでだろう?社殿には「IZUMO TAISHA」と書かれた札が掲げられている。御守りを買いたかったので社務所を探すと、社務所という名前ではなく事務所であった。中に入ると、巫女さんでも神主さんでもなく、普通の服を着た女性スタッフが応対してくれた。御守りは、交通安全、家内安全、心願成就などいろいろあるけれど、「スポーツ御守り」と「マラソン御守り」を見つけてびっくり。ホノルルマラソンを対象にしているのは明らかで、何やら商業主義的なニオイがする(もしかしたら、こういう御守りはありませんか?という問い合わせが多かったから作ったのかもしれないけど)。



本社の規模と比べると格段に小さい神社だけど、地元の方にとっては神社といえばここの神社を指すらしく、お宮参りや七五三などの大事なイベントでもここを訪れるらしい。

「子どもまもり」を5ドルで買ってみた。



2013年7月29日月曜日

ホノルルの身体によいお店

期間限定のハワイ生活。家で子育てをしているだけではもったいない!とばかりに、日が沈んでから近所を開拓する日々。いくつかおすすめできる良いお店を見つけたので、ホノルルを訪れる機会があったらぜひ足を運んでみてください。


<Peace Cafe>

オリジナルのヴィーガンメニューを扱うお店で、とてもおいしいのですっかりお気に入り。お店の内装も流れている音楽もメニューも、日本人の感覚に近いなあと思っていたら、料理を作っているのは2人の日本人だった。

ドリンクもスイーツも徹底してヴィーガンで、確固たる信念を持って経営されているこのお店は、決して目立つ外観ではないのだけど、閉店間際に行ったときでも食事時をずらして訪れたときでもお客さんが多い。

ハワイに来たといえどアメリカなので、おいしい食事ができるお店を見つけるのは難しいだろうなと思っていたら、さすがは日本人が経営するお店!ヴィーガンではない方でも(私もヴィーガンではないのだけれど)ぜひ行ってみてください。


<Down to Earth>

ガイドブックによると、ホノルルでオーガニックといえばここ、というくらい有名なお店らしい。お店のポリシーも扱っている商品も、私がバークレーで一番好きなお店・Natural Groceryとほぼ同じ。違うのは、こちらではデリコーナーがあること。スムージーやコーヒー、日替わりのお惣菜をお店の1階で売っていて、2階で飲食することができる。オーガニックを謳っているのでお値段は高い。けれどスムージーがおいしいのでついついリピートしてしまう。


<茶の間>(HPなし)

Kaimuki通りにある、台湾のお茶と日本の鍋料理を扱うお店。台湾人の若きオーナーが、流暢な日本語で台湾式の茶器やお作法について教えてくれる。食事は鍋料理のみで、漢方を取り入れたというオリジナルなお鍋。クコの実をはじめ漢方は控えめに配合されていて、だし汁まで全部飲み干してしまうおいしさ。漢方薬は苦手だという方でもたぶん食べられると思う。2歳の可愛い看板娘ちゃん(奥様は金髪美女!)がお出迎えしてくれます。


<rikitlomi>

夫がどこからか見つけてきたマッサージ師さん。お店はRikiさんという男性が一人で経営している。指圧、スウェーデンマッサージ、ロミロミの中から好きなものを選べる。肩と腰が凝っていて寝られないくらい痛い、と私が伝えるとRikiさんが「それではロミロミにしましょう」と言って、ロミロミを初めて体験することに。オイルを塗ってほぐしてもらうと、ゴリゴリと音がしそうなくらい効いている。自覚していた以上に凝っていたらしい。

Rikiさんは施術中は電話に出ないうえ、お店も施錠してしまう。また90分で60ドルという破格にも関わらず、チップは受け取らないと決めている。技術はもちろん、誠実な人柄も信頼できるので、夫婦でお世話になっている。


…こんな風に連日、ベビーカーを押して外にくりだしている。アメリカで子育てをしていて気楽でいいなと思うのは、小さい赤ちゃんを外に連れ出しても周囲の目が気にならない、ということ。

そんなの信じられない!という方もいるかもしれないけれど、ビーチに行ってもレストランに行っても、赤ちゃんを連れてきている人を何人も見かける。私たちが息子を連れていても、好意的に話しかけられることはあっても、「こんなところに赤ちゃんを連れてくるなんて!」というようなことは一度も言われたことがない。この点については賛否両論あるかもしれないけれど、少なくとも託児できる場所がない私たちにとっては、どこへでも息子と一緒に出かけられる環境というのはありがたいことだと思っている。

2013年7月17日水曜日

ハワイで暮らす

インターンシップに旅立った夫を追って、生後1ヵ月半の息子と共に5時間のフライトに乗って、たどりついたのはオアフ島。ホノルル空港に降り立った瞬間に肌に染み込んでくる熱気と湿気に、新しい人生の始まりを実感する。

夫とは3週間ぶりの再会。さぞ感慨深いものがあるかと思いきや、夫を見た私の第一声は「どうしちゃったの?」であった。夫の顔が呆けているのだ。魂が抜けているというか、覇気がないというか。こんな夫は見たことがない。話しかけても、ワンテンポどころかツーテンポくらい反応が鈍い。

日本にいたころもバークレーにいたころも、仕事や学業に追い立てられて毎日が修羅場みたいな生活で余裕がないことが多かったのに、いま目の前にいる夫は「ぼや~ん」としていて別人のよう。何を言ってみても、のらりくらりとしていて肩透かしをくう。いまや歩く速さまで変わってのんびり屋になってしまった。何だこれ。いくら南国だからって、楽園だからって、適応しすぎじゃないの?

私たちは今ホノルルに住んでいる。日本人Yさんがご家族と暮らす高級マンションにサブレットさせてもらっている。最初は夫が住んでいたハワイ大学の独身寮に子連れで同居しようとしていたのだけど断られて(←当たり前)困っていたら、夫の同僚が別荘を貸してくれるというので安心。…と思ったら出発の2日前になって、同棲していた彼女にフラレて追い出されたので別荘には僕が住むから貸せないよソーリー、ということになって、にわかに家探しを始めた夫。

当初Yさんの部屋はタイミングが悪くて断られてしまい、あわや赤子連れで4畳半の下宿部屋に住むはめになりそうだったところ、Yさんから「先約の方がいたのだけど、赤ちゃんがいることだし、どうぞ」とこちらが申し訳なくなってしまう親切さで受け入れてもらえたという、何ともハワイアンなゆるい流れに乗って現在に至る。

家の近くを散策してみると、アジア各国の料理屋さんもあれば日本料理屋さんもあるし、混沌とした街並みについてはバークレーと同じような印象。でも空の青さが、陽射しの強さが、そしてここで生活している人たちの顔つきが違う。

風になびくヤシの木と美しい海、澄んだ空に暖かい気候。ゆるまずにはいられない。そんなに頑張ることないじゃないか、ここにいる間は人生のごほうびなんだから、とでも言われているかのような空気が漂う。こんな贅沢な夏はきっとこれが最初で最後。生まれたての我が子を育てながら、少しのあいだの羽根休め。

小さなことも大きなことも、これまでのことは笑い飛ばそう。これからは笑って暮らそう。





2013年7月7日日曜日

Alta Bates Summit Hospital

アメリカでは高すぎる医療費を理由に、手術をしても1泊2日や2泊3日で退院させられることがほとんどだと聞く。私は出産までに3日間、産後に3日間で計6日間と、思いがけず長期入院することになってしまい、すっかりAlta Batesについて詳しくなってしまった。


・看護師の服装が自由

いわゆるナース服がなく、みな思い思いの服装をしている。なかにはネイルアートをしていたり香水をつけたりしている人もいた。患者も、入院中に化粧をしたければしていいらしい。


・病院食は美味しくない

帝王切開になる可能性があったため、出産までの3日間ほぼずっと絶飲食(一度だけ、入院から32時間ぶりに食事が許されたことがあったけれど、その後再び禁止され、水も飲めない状態で分娩に突入したので体力的にかなり辛かった)だった。そんなわけで、飢えに飢えた状態でやっと食事にありついたのだけど、残念なことにそんな状態でも食欲がわかない内容だった。看護師も「おいしくないよね…」と言っていた。野菜は申し訳程度に冷凍ミックスベジタブルが添えられるくらいで、肉とチーズを使ったメイン料理(こちらも冷凍食品と思われる)が多かった。飲食物の持ち込みは自由なので、近くにあるオーガニック系スーパーマーケットのWhole Foodsで夫が買ってきてくれた量り売りのスープやお惣菜を食べたりした。


・入院着が恥ずかしい

入院着が、前面からはスモックかワンピースのように見えるのだけど、背中側には紐しかないので背中もお尻も脚も丸見えという恥ずかしい代物だった。廊下を歩いている他の妊婦さんを見てみると、丈の長いガウンのようなものを羽織る以外に、この入院着を2枚向かい合わせるように重ね着して、おなか側と背中側の両方をうまく隠している人を何人か発見した。


・日本人に対する好印象

私たちが日本人だとわかると、好意的な反応を示してくれる看護師が多かった。「日本人は礼儀正しいから好きだ」「息子がウルトラマンのファンで日本語を勉強している」「夫が日米のハーフなの」などなど、社交辞令もあるだろうけど、こちらに歩み寄ってきてくれるのが嬉しかった。


・薬を処方することに躊躇がない

入院中は、約3時間おきに看護師がチェックにやってくる。点滴を打たれっぱなしのところに「痛みはないか」「気になることはないか」と聞かれ、少しでも痛みを訴えると飲み薬を処方されたり(どの看護師も、薬を呑み込むところを見届けるまで離れないのでごまかせない)点滴を追加されたりと、かなり薬漬けにされ、最後の方では気が滅入ってしまった。いろんな薬の副作用で足が変形するほどの浮腫や吐き気などの症状も出てきたので、早く退院したくてたまらなかった。浮腫は本当にひどいもので、退院後に毎日あずき茶を飲んで水分排出をはかったところ、5日間で10キロ体重が減って、やっと元の体型に戻れた。


・日本語が話せる看護師がいる

産後の病棟には、日本語が話せる韓国人の看護師が2人いた。そのうち1人は日本で生まれ育った方なので、日本人同士で会話するのと遜色ないレベルで話ができた。また、今回私はお会いできなかったけれど、聞いたところによると日本人の看護師が1人いるらしい。


・患者の権利が守られている

出産方法については、正直な気持ちとしては赤ちゃんさえ無事に生まれてくれれば何だってかまわないと思っている。けれど今回のお産では、事情があって帝王切開はできるだけ避けなければいけなかった。

出産にあたって帝王切開を望まないことを伝えたときに、医師が決して無理強いしなかったことはすごいなと思った。日本なら、少しでもリスクがあると帝王切開に踏み切る病院は少なくないし、患者がそれに対して異議を唱えて主張が通るなんてことはそう滅多にないだろう。担当の医師がたまたま私たちの言い分を聞いてくれただけかもしれないけど、本当にありがたかった。状況的に何度か帝王切開をすすめられたけれど、私たちがノーと言えば尊重してくれた。

そして予想もしていなかったけれど、私たちのこの姿勢が看護師たちに支持され、みな応援してくれた。「ドクターは帝王切開の話をしているけど、あなたは望んでいないのだからノーと言うのよ!幸運を祈ってるわ」とか、産後には「ねぇ、みんな!この小さな女性は大きなことを成し遂げたのよ。帝王切開に対してノーと言って、それを実現したのよ!」などと言われ、アメリカだからできた経験だったと思う。

もう1つ貴重な経験をした。薬漬けの入院生活にうんざりしていたので、医療拒否をしてみたところ、訴えが認められて薬から解放してもらえたのだ。

退院する前日、医師が私を診察したあとで「あなたの回復が早くて驚いているわ。もう大丈夫ね。あなたの赤ちゃんは明日には退院できるだろうから、一緒に帰りたいでしょ?あなたの病室は明日まで押さえておいたわ」と言った。そのあとでやってきた看護師が新しい点滴と採血検査をする、と言ってきたので、医師の言葉を盾にとり「自分にはもう薬は必要ないと言われた」とアピールしてみた。

看護師は機嫌を悪くしてしまったけれど(「医師があなたには治療が必要だと端末に記録しているから私は従っているのよ!」「そうよね、患者には医療を拒む権利があるものね!」)私は「病室をとってあるのは医療を受けるためではなくて、子どもと一緒に退院するため」なのだと訴え、看護師が医師に確認したところ、医師は「あ、端末に入力するのを忘れてたわ。彼女にはもう薬は必要ないわ」と言い、私は点滴からも薬からも自由になれた。


日本では「お医者様や病院のいうことは正しい」という風潮が強いので、日本でこんなことをしたらクレーマー扱いされてしまいそうだけど、これもまた自分で道を切り開く国・アメリカだからこそできた経験だった。

2013年6月29日土曜日

クリニック探し

今度は出産までのあいだ妊婦検診をしてくれるクリニックを探さなくてはいけない。これは、PPFAでもらったパンフレットにMedi-Calを受け付けているクリニックのリストがあるのでその中から自分で選んで予約を入れることになる。

バークレー近辺には3か所しか該当がなく、そのうちの1か所はリストに紹介されているにも関わらずMedi-Calを受け付けていないというし、他の2か所は電話をしても機械応答で、ガイダンスを聞いていても予約にたどりつけないという有様。こうなるとリッチモンドかオークランドまで足を運ばないといけなくなる。クリニックの所在地を地図で検索して、自宅からバス1本で通えるところを選び、電話をするとやっと機械ではなく女性が出てくれて、すんなり予約を取れた。

加入している保険の確認ではMedi-Calと告げ、念のために「Medi-Calは受け付けていますか?」と聞いてみると「受け付けている」との返事がきて安心する。それから質問を受けた。現在こどもはいるか、いま妊娠何週目か、そして最後に、今回が初めての妊娠か、と聞かれたときに「妊娠は二回目なんだけど、最初の赤ちゃんは亡くなって…」と答えると「ああ、あなたは流産したのね」と女性は声を落とした。彼女は丁寧で時おり優しさがのぞける受け答えをしてくれたので好感を持てた。

私が通うことにしたのはDr. Yogamという女医のもとで、後に彼女がAlta Bates Summit Hospitalで帝王切開に関して定評を持つ医者だということを知る。そしてそれが理由で(緊急手術を担当することが多く)予約日時のキャンセルが多かったのだけど、私は受付の女性が優しくて機転の利く方で好きだったので通い続けた。

ちなみに出産に関していうと、バークレー周辺で出産可能な病院はAlta Bates Summit HospitalかKaiser Permanenteの2つしかない。私はKaiser Permanenteの保険には入れなかったので、Alta Batesしか選択肢がなかった(あるいは自宅出産をするという選択肢もあるけれど、低身長のために帝王切開になる可能性がある私は病院での出産しか考えていなかった)。実際のところ、バークレーで出産する人のほとんどがAlta Batesを選んでいる。

後に詳しく紹介するつもりだけど、Alta Batesは全体的にみてかなり良かった(施設はきれいだし、医師や看護師はモラルの高い人が多かった)し、利用者へのアンケートを盛んに行ってフィードバックを取り入れようという意欲が高かったところも評価できると思った。バークレーで出産といえばAlta Bates、というほど名だたる病院なのに、謙虚な姿勢が感じられた。

出産の手続きは、妊娠後期に入ってからAlta Batesのホームページにて登録することで完了する。あまり早い段階で登録する必要はないと聞いていたので、私は悠長にかまえていたけれど、予定より早く生まれそうな兆候が見られたので結局妊娠34週になって登録した。

2013年6月20日木曜日

Medi-Calの加入手続き

PPFAでもらったパンフレットに書いてあった必要書類の案内に従い、以下のものを最寄りのAlameda County Office(アラメダ郡事務所)に速達で送った。

申請書類
(Medi-Calのホームページから印刷したもの。移民用に中国語やスペイン語などいくつかの外国語で表記されたものが用意されているけれど、日本語のものはなかったので英語版に記入。)

・妊娠証明書
(PPFAで書いてもらったもののコピー)

・婚姻証明を自力で英訳したもの
(注:パンフレットには必要だとは書かれていなかったけど、念のため)

・夫と私の分のパスポートのコピーと、ビザのコピー
(申請するのは奥さんだけであっても、家族全員についての提出が必要になるので、申請の時点でお子さんがいる方はお子さんの分も添付することになる)

・銀行の現在の預金残高を表記したページを印刷したもの
(→後でわかったけれど、これは無効だった!)


すると、送った日から10日後に手紙が来て、不足書類の提出を求められた。10日以内に返信するように、さもないと申請が却下される、と書かれていた。
提出を求められた書類は以下のとおり。

・過去一か月間の預金の出し入れが確認できる銀行の利用明細
(先述したように預金残高を表記したページでは無効、とのこと)

・移民ステイタスのコピー
(私たちの場合はUCバークレーから発行されたI-20のコピー)

・大学からの財政支援の証明書
(夫の場合は大学からの援助を受けていないので、代わりに会社からの財政支援を受けていることを証明するための英文と、そうした夫の事情を英文で説明する手紙を書いて添付)

・出産予定日の日付の入った妊娠証明書
(前回発行してもらった証明書には、出産予定日が書かれていなかったので無効だと言われる。もう一度エルセリートのクリニックに行って事情を話し、再発行してもらった)

・会社からの2か月分の給料明細
(日本語原文のコピーと、自力で英語に翻訳したものを添付)


2週間後、再び同じ内容の手紙が送られてきた。不足書類を早く送って欲しいと書かれていた。これはちょっとおかしい。急いで担当のインド人女性に電話してみると、「あなた、早く書類を送ってちょうだいよ!」と言われる。「あなたの情報がなーんにもないの。だから私はなーんにもできないの!」と少々お怒り気味の彼女。なんと、書類が届いていないというのだ!よりによってこんな大事な書類が郵便事故に遭ってしまったのだろうか?私も「2週間前に送ったのに…」と粘ったけど、ここで押し問答していても仕方がない。もう一度同じ書類を用意し、何かあったときに備えて私の携帯電話の番号を書いた手紙も添えた。そして今度は事務所ではなく、担当者の私書箱に送った。

再び書類を郵送した日から8日後、Medi-Calの担当者から電話が来た。「今朝あなたに、あなたの申請を拒否したという手紙を送ったの。書類が届かなかったから」と言う。そ、そんな!目の前が真っ暗になる。やはり日本に帰らなくてはだめなのか。妊娠した状態で11時間も飛行機に乗って大丈夫だろうか。そんなことを考えていると、担当者は話を続ける。「でも数十分前にあなたからの書類が届いたの。それで、申請を認めることにしたの。拒否の手紙が届くけど、それは間違いだから気にしないで」数秒前に聞いたdenied(拒否された)という言葉が頭の中をぐるぐるとまわっていたので、聞きまちがえたのかと思い「Can't?」と聞き返すと「Can」「え?Can't?」「You Can. You were approved(あなたは承認されたの).」と教えてくれて、申請が認められたことを知った。よかった!担当者にお礼を何度も言って電話を切り、夫と喜び合う。これでカリフォルニアで病院にかかれるし、お産もできる(2日後、宣告通りMedi-Calから拒否の手紙が届いた)。

最初に書類を送ってから1ヶ月半近くが経過したころ、やっとMedi-Calから封筒が届いた。2通届いたうちの1通目を開封してみると、3枚の紙が入っている。1枚目を開くと「Denial(拒否)」と書かれている。あれ?と思って2枚目を見るとこれもDenial、3枚目になってようやく「Approval(承認)」と書かれていた。承認してくれたのはありがたいけど、いったいなぜ拒否と承認の手紙を同じ封筒に入れるんだろうか…?

もう1つの封筒を開封すると、そこには待ち望んでいたMedi-Calの会員証があった。これで晴れて妊婦検診を受けられることになったので、今度はクリニック探しだ!

2013年6月13日木曜日

妊娠証明書の取得

妊娠が判明した後、最初にしたことは妊娠証明書を病院で発行してもらうこと。これがないとMedi-Calに申請できないのだ。問題は当時、保険に未加入の私がいったいどこの病院に行けばいいのか?ということ。さて、どうしよう?と、アメリカで妊娠・出産したという方たちのブログを見てまわったところ、多くの方は保険に関しては困らなかった様子(旦那さんがアメリカで働いているので、会社の保険でスムーズに初診から出産まで臨めたという人がほとんど)。検索ワードをいろいろ変えながらネットサーフィンすること数時間、ようやく一人だけ、私たちと似た状況の方のブログを見つけ、そこでPPFA(通称フリークリニック)の存在を知ることができた!

PPFA(Planned Parenthood Federation of America)というのは、低所得者のために医療サービスを無料で提供してくれる機関で、全米に250ヶ所くらいあるらしい。エイズ検査や妊娠検査なども無料で行っており、その方はそこで妊娠証明書を発行してもらったと書いていた。(無保険の人が病院に頼んで発行してもらうと、250ドルくらいかかるらしい)

アメリカでは初診は早くても妊娠8週あたりからと聞いたので、じりじりしながら待ち続け、自宅から一番近いエルセリートにあるクリニックに電話してみた。(注:実際に行ったところ、診察はしなかったので妊娠8週まで待つ必要はなかった)妊娠検査を受けたい、妊娠していたら妊娠証明書をもらいたい、とこちらの希望を言ってみると、電話に出た女性は「それなら今日でもいいし、いつでもあなたが来たいときに来てちょうだい。 Bye!」という返事で、予約は不要だった。

エルセリートには駅の近くにショッピングプラザがあって、スーパーマーケットや食事ができるお店や雑貨屋、本屋などが集まっている。そのなかにPPFAのクリニックがある。

受付の女性に妊娠検査を受けたいと伝えるとカルテを渡され、個人情報はもちろん、保険への加入状況や妊娠したと思われる日付などを記入した。その後「ユーリーンのサンプルを採ってきて」と言われたのだけど、ユーリーン(urineとは尿のこと)が何なのかわからず3回も聞き返し、採尿用の紙コップを見せられてようやく理解できた。医療関係の英語は難しい…。「Sorry、やっとわかりました」と言うと、受付の女性は「ごめんなさいね、あなたのせいじゃないのよ」と優しいフォローをしてくれた。

その後、女医さんに呼ばれる。診察かな、と思ったら実際には診察ではなくて問診だった。まず、尿検査の結果、妊娠していることを告げられる。そして妊娠証明書もすでに書いてくれていて、あっさりと渡してくれた。よかった!私が、この後Medi-Calに申請しようと思っていることを告げると、女医さんはにっこりしてくれた。

そして、妊娠に関していくつか質問を受けた。…けれど、これがまたしても苦戦を強いられることになってしまった。アメリカでは医療従事者のマナーが厳しいのか、質問の仕方が婉曲的すぎて初めて耳にする表現ばかりだった。たとえば、「あなたは結婚していますか(Are you married?)」のような直接的な表現はせずに「Are you currently in relationship?」と聞かれ、「relationship?」と聞き返すと「パートナーとか…」と言われてやっと理解でき、「結婚してます」と返事ができた。「×××が薬局で10ドルくらいで売られているので、それを1日おきに飲むといいんだけど、あなたは摂っているかしら?」という質問には「サプリメントのことですか?」と聞き返すと、「そうよ」という返事。(×××の部分は初めて聞いた単語だったので全く聞き取れず…。)

なかには、びっくりするような質問もあった。それは、「あなたは次のどれを望みますか?parenting, adoption,abortion?」というもの。parentingの意味がわからない…のはとりあえず置いておくにしても、adoption(養子縁組)とabortion(中絶)と言わなかった?!さっきMedi-Calに申請するって言ったのだから産んで育てたいに決まってるじゃない、と思いつつ、parentingというのはparentという単語から「親になる」という意味だろうと推測して(辞書によると子育て、という意味)、「Parenting.夫と私は赤ちゃんをずっと望んできたので」と答えると、女医さんは再びにっこり。

ちなみに、この問診の後に渡されたパンフレットを読んだら、Medi-Calに申請をしたあとに中絶をしたり、出産後に里子に出すという選択肢も掲載されていた。PPFAは低所得者に医療を受ける機会を提供するほかに、10代で望まぬ妊娠をしてしまった女の子の救済も行っているとあった。

それから最後に、「この妊娠は暴力によるものではないですね?」と確認され、違うと答えると女医さんはまたにっこり。「それが一番いいことだわ」と言う。

こうして妊娠証明書を取得することができたので、次はいよいよMedi-Calへの申請だ!

2013年6月9日日曜日

妊娠に関する保険

バークレーで暮らすにあたり、妻が保険に加入する方法にはいくつかの選択肢がある。
1.日本にいるうちに、海外駐在者用あるいは長期旅行者用の保険に加入しておく
2.UCバークレーの学生保険SHIPの、配偶者用のコースに加入する
3.アメリカに着いてから、民間の保険会社に個人的に加入する

私が当初調べた限りでは、この3つの方法があった。私はそのなかで選択股3を選んだ。なぜなら、選択肢1と2では妊娠と出産に関しては保険の対象とならないから。そして私たちはいつでも、子どもを望んでいたから。

そんなわけで、UC villageに入居してすぐに保険会社に申し込もうとした。目星を付けていたのはKaiser Permanente(カイザー パーマネンテ)という大手の保険会社で、アメリカでは珍しいことに保険会社と病院が一体になっている。日本人の方のブログで、ここで出産をしたけれど医療面でも保険面でもとても良かった!と絶賛されていたので、私もぜひ入りたい!と思っていたのだった。ところが…オンラインで申込手続きをしていたところ、「SSN(Social Security Number)を入力してください ※必須項目です」という指示が出てきてしまった。私のF2ビザではSSNは取得できないので、番号なんて持っていない。入力を避けようにも、前のページにも後のページにも移動できず、なす術なし…。20ページ近くまで入力を済ませていたものの、そのまま画面をオフし(自動的に30日間は入力した内容が保存される仕組み)、放置するしかなかった。
「Kaiser SSN」でインターネット検索すると、「妻がSSNを持っていなくて、加入を拒否された」という相談が何件か見つかった。そうか、そうだったのか。事前にここまで調べておけばよかったなぁと反省。後から考えてみれば、先述のブログの方はアメリカでお仕事をされているらしくSSNも持っているようで、そもそも私とはビザの種類が違ったのだった。

それで、次の選択肢は何だろう?と考えた。ここで「選択肢4 州のMedicaid(保険制度)を利用する」が浮上する。カリフォルニア州では、民間の保険に加入できない低所得者や移民のために、独自の保険制度を設けている。私はそれに賭けるしかない、と思った。カリフォルニア州の保険は以下の2種類がある。

<AIM(エイム)>
これは、カリフォルニア州在住で妊娠している女性のみを対象とするもの。加入条件は、一定の基準を満たした収入があること、申し込み時に妊娠していること(ただし妊娠30週6日までであること)、の2つ。日本語でAIMについて調べると、「カリフォルニアに6ヶ月以上住んでいること」という条件が触れられていることが多いけれど、現在は方針が変わったのか、AIMのホームページを見てもそのような条件は記載されていない。

AIMを利用すると、妊婦健診も含めて妊娠と出産にかかる費用の1.5パーセントを自己負担し、残りは州が負担してくれるという恩恵に預かることができる。

<Medi-Cal(メディカル)>
これは、カリフォルニア州在住で妊娠している女性や、子ども、65歳以上の人、障害を持つ人を対象とするもの。加入条件は、一定の基準以下の収入であること(AIMよりも、さらに収入の少ない家庭を対象にしている。目安は毎月の収入が3,000ドル未満であること)。妊娠について加入を希望する場合は、申し込み時に妊娠していることも条件に加わる。

Medi-Calを利用すると、妊婦検診も含めて妊娠と出産にかかる費用の全額を州が負担してくれるという、ありがたいことこのうえない助けを受けることができる。

…ということで、カリフォルニア州で定義するところの低所得者にあたる我が家の場合、もし私が妊娠したらMedi-Calの手続きをすることになるらしい。ここまでのことを突き止めることができたのが2012年の8月末の話。再び妊娠できる日なんてくるのだろうか?もし妊娠できたとしてもあと1年以上は先だろう、などと思っていたら、まさかの来客に気がついたのがその1ヶ月半後であった。

2013年6月2日日曜日

待ち人、来たる

結婚して7年。お母さんになりたいと願い続けながら日々を過ごしてきた。そしてこの度、幸運な巡り合わせのもとにようやく成就することができた。先日、ここバークレーにて男の子を出産。母子ともに元気に誕生の日を迎えることができ、いまは喜びでいっぱい。

望んでも授からないことへの苦しみと、失ったことへの悲しみ。苦労を知らない人生よりは苦労を知った人生の方が幸せなはずだと信じて、自分の心を支えてきた。

これから私は教育係として、息子にはできるだけ多くの世界に触れさせてあげたい。そうして息子には、自分で考え、自分で行動する人間になってもらいたい。そしてそのときに自分以外の、世の中のことも視野に入れておいてくれたら、と願っている(すでに多くを望みすぎている気もするけど)。私としては、物理的に一緒にいることが必ずしも幸せだとは思っていないので、たとえばもし息子が15歳くらいで思い立って一人立ちするとか、通信手段もないような辺境に旅立って地域の開発に賭けたいという使命感に燃えるようなら全くかまわないし、むしろそうして自分の使命を果たして欲しいと思っている。

また、息子が持って生まれた個性というものを尊重し、理解者でありたいと自分に対して願っている。たとえば彼が男性を愛するようになったり、障害を持っていたり、他にもいろいろと「人と違う」「普通と違う」と言われる何かを抱えていたとしても、息子には罪悪感や恥、劣等感などの後ろ向きな感情を持たないで欲しいと思っている。そんなことには何の問題もない、彼が選んだ人生なのだから、自分を貫いて生きていって欲しい。でも、周囲の無理解や偏見、差別で苦しむときには私は常に彼と同じ側に立ちたいと思う。自分の力で、ときには力を合わせて、人生を切り開いていこう。

やっと来てくれた天からの借り物を、これから慈しんで育てていきたい。

2013年5月20日月曜日

映画館


アメリカのいいところ、それは映画館の入場料が安いこと!大人は10ドル(土日になると週末割引で8ドルになる。さらに、平日の昼間だとbargainといって8ドルになるところが多い)、学生は8ドルで、多少の違い(プラスマイナス50セントくらい)はあるけれど、どこの映画館もだいたいこの通り。大学時代に約1,500本観たという映画オタクの夫にとっては天国のような安さ。夫婦で喜び勇んであちこちの映画館に行ってみた。


Cinema Rialto (エルセリートにある)

一番よく足を運ぶ映画館。上映するのはいわゆる封切の映画で、特にアクションものなど大衆受けしそうな作品を選んでいるようだ。「ルーパー」や「人生の特等席」、「クラウド・アトラス」をここで観た。Rialtoのウリは、食事をしながら映画鑑賞できるということ。ハンバーガーやピザといったアメリカンなメニューだけど、注文してから厨房で作っていて、なかなか美味しい。座席もゆったりしているし、車椅子の人専用の席も設けている。独自の試みとしては、月に1~2回、Bringing up baby!というイベントをしていて、お客さんは生後1歳未満の赤ちゃんを連れていくことができる。子育て中でも息抜きができるのはとても貴重だと思うので、こんな風に工夫をこらして頑張っている映画館はますます応援したくなってしまう。

新作ばかりではなくて、月に1~2作品ほど、昔の名作も上映している(「暗くなるまで待って」など)けど、そのときはチケットを前もって買っておかないと入場できないほど混み合う。

(夫から一言:クリスマス近くにフランク・キャプラの「我が家の楽園」をやってたんだけど、満員御礼で入れなかった。アメリカ人のキャプラ好きって本当なんだ、と実感しました)




Albany Twin (Solano通りにある)

ここはいわゆる名画座のような感じで、封切の映画ではなく、少し前に公開された作品をスタッフのチョイスで上映しているようだ。「アンナ・カレーニナ」と「The Oranges(日本では未公開)」を観た。座席は日本の映画館と同じくらいの狭さで、部屋自体も小じんまりしている。飲み物や食べ物の販売もしているけど、メニューもお味の方も正直に言っておすすめしないので、映画のあとにでもSolano Avenueにたくさんあるおいしいお店に足を運ぶのがいいと思う。この映画館の待合室にいる謎の魚の存在がいつも気になる。




Shattuck Cinema (BartのDowntown Berkeley駅の近くにある)

封切の映画を上映する、かなり規模の大きな映画館。常時8作品くらいを上映している。ここでは「世界に1つのプレイブック」を観た。公開終了間際の作品だったせいか、小さな部屋での上映で、座席もスクリーンも小さめ。飲み物や食べ物は、見たところ普通のアメリカン・ジャンクフードなのにお値段が高めだったので何も買わず…。

何度か映画館に行ってみて気がついたのだけど、日本では必ずというほど販売されている映画のパンフレット(あらすじやキャストなどについて書いてある冊子)を一度も見かけたことがない。あれは日本の映画配給会社の商戦なのだろうか?あと、映画を観終わってから日本版の公式サイトを見てみてわかったけど、宣伝の時点でずいぶんとネタバレしている気がする。「ルーパー」なんて、キャッチコピーで結末がわかってしまうし…。アメリカだと映画の予告編もストーリーが読めないように構成されていることが多いので、日本ではちょっと宣伝し過ぎなんじゃないかなと思ってしまった。

(夫から一言:日本では鑑賞困難な作品が公共図書館にたくさん揃っているのも嬉しかったですね。ビリー・ワイルダーの「少佐と少女」とか、フレデリック・ワイズマンの「チチカット・フォーリーズ」とか。まあここはアメリカなんだから当たり前っちゃ当たり前なんだけど)

2013年5月11日土曜日

お花屋さん


バークレーで過ごす初めての春。お散歩していると、今ぐらいの季節がもっとも目に美しいのかもしれないと思ってしまうほど、ありとあらゆる種類の花が咲いている。お気に入りの散歩コースであるCodonices Creek(UC villageの南側を敷地に沿って流れる小川)と、Gilman通りとSolano通りを結ぶいくつもの路地(富裕層が多く住むエリアで、きれいに手入れされたお庭が並ぶ)は、何度通っても飽きることがない。日本では見かけたことがない珍しいお花もたくさん。






ついつい家にもお花を飾りたくなって、Florist(花屋)を見かけるたびにのぞいてみるのだけど、どこを見ても日本よりお値段設定が高めな気がする。以前、個人で経営しているお花屋さんに行って、値札を出していないのでドキドキしながらも「ガーベラなら安いだろう」と思って買ったところ、カスミ草のような引き立て役のお花や葉ものを付けてくれて親切なのは嬉しいのだけど、何やかやで16ドルもしてしまいびっくりしたことがあった!

そのときは南米系のおばちゃん店員が、店内に飾ってあるお孫さんの写真を示しながら「私には子どもが4人いて…」と5本指を広げたので「え、4人?それとも5人?」と混乱しつつ(話を聞くと4人だった)身の上話などをしてそれはそれで楽しかった。

その後結局、Whole FoodsやBerkeley Bowlなどといったオーガニック系のスーパーマーケットで買うのが一番安いことがわかったので、たまの贅沢に花束を買って、自宅で生け直して飾っている。(しかし…お花を持って外を歩いていると、これがまた実によく声をかけられるのだ!)

植木や鉢ものを買いたい人はNurseryに行くとよい。Nurseryと聞くと「保育園?」と思ってしまうけれど、この場合は園芸店のこと。Gilman通りやSolano通りのお店を利用したことがあるけれど、日本のホームセンターの相場を知っている身からすると、やはり値段は高いと思う。手のひらサイズの鉢植えですら5ドル以上するので、買うのには勇気がいる。

そういえば不思議なことに、どこのお花屋さんに行っても売られているのが菊の花(英語ではmum「マム」と呼ぶ)。カリフォルニアの気候に合ってよく育つのか?それともオリエンタリズムへの憧れがあるのだろうか?日本ではすっかり仏花というイメージが定着していて、色も紫・黄色・白くらいしか思い浮かばないけれど、こちらで店頭に並ぶ菊は黄緑色やピンク、赤なんかもあるし、花の形もいろいろ種類があってかわいらしい。



2013年5月4日土曜日

バークレー周辺の治安(夜間編)


アメリカで夜間に出歩くなんて危険極まりない!とよく言われるけれど、実際のところバークレーではどうなの?という疑問をお持ちの方は少なくないと思う。そこで、怖いもの知らずで無謀な(?)私が夜歩きしてみた体験を、せっかくなのでレポートしてみたいと思う。

まず日没時間について書いておくと、4月半ばを過ぎた頃からは、20時くらいまでは日が出ている。これが8月にもなると21時まで外が明るいという状況。12月、1月あたりになるとさすがに18~19時くらいで暗くなる。これを踏まえて、日が暮れてから出歩くとどんな感じか、ということです。

<BARTのDowntown Berkeley駅の周辺>
平日の23時ころ、土日の20時ころに何度も徘徊した経験があるけれど、学生が多くてにぎやかで、ほとんどの飲食店が深夜まで営業している。ホームレスはいるけれどおとなしい。歩いていてもバス停にいても、不審者に声をかけられるということは現在までのところ一度もない。UC villageに向かう52番のバス内も安全で、おかしな人はいない。出歩くなら、もっとも人通りが多くて明るいShattuck通りを歩くのがいいと思う。細い路地に入るとどうなるかは、ちょっと保証ができないけれど。

<UCバークレー周辺>
敷地の北東に位置する、I-Houseをはじめとする単身者用の寮が並ぶあたりは、深夜まで学生(白人率が高い)が連日どんちゃん騒ぎをしていて、このあたりに住んでいる友人も「夜間はうるさい」と言っている。夜中でも出歩いている学生が多く、ハロウィンでもないのに庭先で仮装してダンスパーティーをしていたりする。人目が多いぶん、このあたりを歩くぶんには問題なさそう。

…ただし、と私には付け加えたいことがある。私がひとつ危惧しているのは、特に単身で留学される女性の身の安全のこと。今年発表された統計によると、大学の単身者用の寮内やクラスメイトとのパーティーなどでの強姦・強制わいせつ事件が急増している。2012年にバークレー周辺で起きた事件は警察に通報があったものだけで39件と過去最多、そのうちのほとんどが学生間で起きている(酒に酔った友人・知人に襲われたケース)という。以前書いた記事で扱った事件というのも、実は泥酔した男子学生が寮内にいた女子学生2人に対して強制わいせつをした、というものだった。大学で学ばれる女性の方には、こうした危険が起こりうるということを頭の片隅に入れておいていただきたいと思う。

<UCバークレーの敷地内>
これは、実をいうと夜間に歩いてみた経験がないので書けない。ただ言えることは、夜間にキャンパス内を移動する際には、専用の警備員を頼むための呼び出し器がキャンパス内にいくつもある、という事実があるということ。こういうものがあるということは…と思うと私もさすがに怖いので歩いてみたことはない。

<UC village周辺>
夜間になると昼間よりも歩行者がいないので、ある意味で安全だと思う。私はSan Pablo通りを歩いていると昼間の方が断然、おかしな人に遭遇する(どんなおかしな人たちがいるのかについては、いずれ記事にしたいと思っている)。大通りのSan Pablo通りに限らず、細い路地に入っても人が全然いないので怖い思いをすることも現在のところ一度もない。以前、マリファナらしきものを吸っている人たちを見かけたことはあったけれど、声はかけられないし襲われることもなかった。マリファナについては、「これがマリファナだ」と言われて嗅いだわけではないので断言はできないけど、煙草のような形状をしていながら臭いは煙草のものではなく植物を燃やしたときのような臭いで、かつ今までに嗅いだことがない独特の臭いだったので、おそらくあれはマリファナだったのではないかと思っている。

<El Cerrito>
バークレーとは離れているけれど、せっかくなので触れておきたいと思う。このあたりもSan Pablo通り沿いは、やはり歩行者自体がいないので不審者にも遭遇しない。22~23時くらいに歩いていても、怖い思いをしたことはない。

…と安心していたのだけど、最近になって地元民の方から「エルセリートは近年治安が悪くなってきている」という話を聞き、すっかり恐ろしくなってしまった。聞くところによると、2012年には82歳の女性が強姦され全身に激しい暴行を加えられて殺害されるという事件が起きているらしい(犯人は逮捕されていない)。それから、日系スーパーマーケットのyaoya-sanの駐車場で拳銃を使った強盗事件が起きた、とも。その方ご自身も、BARTのEl Cerrito駅の近くで不審者につけられた経験があるそうで、こうした話を聞くと、やはり油断はできないなと思ってしまった。

<おまけ>




でも大丈夫、UC villageの近所は警視庁のパトカーが巡回してくれるから。警視庁さん、まさか太平洋を越えてバークレーまで管轄しているとは驚きだぁ!…というのはもちろん冗談。先日こんな車を発見してしまったので、つい…(^_^;)ちなみに車の持ち主は、誠に失礼ながら、むしろ警視庁のお世話になったことがありそうな(と思わず夫と話し合ってしまった)人相の悪いアジア人男性であった。

2013年4月28日日曜日

これでわかる、AC Transit バス


以前は酷評してしまったAC Transit バスについて、日頃よく利用している立場から見えてきたことを追加でレポートしてみたいと思う。

<初めて利用する方への基本情報(Q&A方式)>

Q. 乗車賃はいくらですか?両替やお釣りの受領はできますか?
A. 大人は2ドル10セント(注:UCバークレーの学生は、乗車時に学生証を見せれば無料。この権利を受けるには、入学後に学生課のようなところで専用のシールを貼ってもらうことが必要)。乗車距離は問わず、一律料金です。バスによっては、ベイブリッジを渡ってサンフランシスコまで行くTransbayという種類もあり、その場合は4.2ドルかかります。
 両替はできません。また、防犯上の理由によりお釣りもでません。乗客は2.1ドルちょうどを用意するか、自分で他の乗客に声をかけて両替を頼むことになります。

 小銭の準備が面倒な場合や比較的よくバスを利用する場合は、clipperと呼ばれる電子磁気カード(日本のsuicaやicoca、pasmoのように、あらかじめお金をチャージしておけば電車やバスに乗るときに使えます。clipperだと地下鉄BARTにも乗れます)を用意しておくことを勧めます。clipperは、こちらでは割とどこにでもあるドラッグストア(Walgreens)の写真コーナーで扱っています。お金のチャージは同じくWalgreensの写真コーナーのレジか、もしくは地下鉄BARTの券売機でできます。BARTだと駅によってはできないこともあるそうですが、少なくともDowntown Berkeley、North Berkeley、El Cerrito、Ashbyの4駅ではチャージできることを確認済みです。

この券売機は操作方法が大変わかりにくいと評判なので、参考までにチャージのやり方を紹介しておきます。写真は券売機の一部です。青くて丸い部分をclipperのチャージに使います。現金を入れたあと、この青い部分にclipperを触れさせると、(写真には写っていないけれど左側に操作画面があります)画面の右側に「E Upgrade E-Purse」という表示が出るので、その隣にあるEの丸ボタンを押し、そのまま(clipperを触れさせたまま)待ち、画面に「complete」という表示が出れば、チャージ完了です。



Q. 「次はxxxです」というアナウンスが流れないのですが、どうすればいいですか?
A. 基本的には、アナウンスで次のバス停名を流すのですが、運転手によっては流さないこともあります。初めての場所に行くときは、乗車時に運転手に質問しておくのがよいと思います。そうすると、運転手は「これは行かないから、何番のバスに乗るといいよ」とか「ほら着いたよ、ここだよ」などと教えてくれます。こういうときは運転手はどんな人でも親切に答えてくれます。「これはxxxに行きますか?(Is this for xxx?)」、「このバスはxxxで停まりますか?(This bus stops at xxx?)」、「ここは私の降りるところですか?(Is this my stop?)」、この3パターンはとっさに言えるようにしておくと便利です。

Q. バスの乗り心地がよくないのですが…?
A. 日本のバスと違い、座席がふかふかしていません。金属でできた椅子に薄い布が被せてあるだけの座席で、おまけにカリフォルニアは全体的に道路の舗装状況がかなり悪いので、乗っているとお尻が痛くなります。その他にも、運転手によっては運転が荒いこともあるので、必ずしも快適ではありません。

Q. バス停ではない場所で停まったりすることがあるのは、なぜですか?
A. 運転手のなかには親切な人もいて、バスに乗りそびれそうになって慌てている人や手を振って停車を頼む人がいると、バスを停めて乗せてあげることがあります。

Q 走行中のバスが、どうやら本来のルートから外れているようなのですが…?
A 運転手のなかには、道を間違えてしまう人もいます。そういうときは、乗客が正しいルートを教えてあげます。

Q. 降車ボタンを押したのに、バスが停車しません。どうすればいいですか?
A. 運転手のなかには、ぼんやりしている人もいますし、ちょっと意地悪な人もごく稀にいます。停まってくれないときは、自分で運転手に声をかけましょう。「バスを停めてくれる?(Can you stop the bus?)」、「あなた、私の停車駅を飛ばしちゃったわね(Oh, you skipped my stop.)」などとアピールしましょう。この国では、困ったときに何も言わずに黙っていると自分が損をするだけのことが多いです。なので、権利は主張した方がよいと思います。


…こんな風に書くと、AC Transit バスって全然だめじゃん!という印象を与えてしまいそうだけど、もちろん良いところもあって憎めない可愛い奴なのだ。これは素晴らしいなと思っているのが、障害を持つ人に対する手助けが当たり前になっているところ。目が不自由だったり高齢だったりして杖をついている人がいれば、乗車時に車体を傾けてあげる。目の不自由な人には運転手は必ず行き先を尋ね、降りる場所を教えてあげる。車椅子の人が乗るときには、電動の渡し板を操作して、シートベルトで車椅子が動かないように固定するところまで運転手が担当する。降りるときも介助する。道を間違えたり停まってくれなかったりすることはあるけれど、この点についてはしっかりと社員教育されているようで、感心してしまう。

日本だと、たとえば時間通りにきっちり走行するとか、組織の秩序を守るためのマニュアル化は行き届いているけれど、こういうところで個人差が現れてくるような気がする。日本もぜひ見習って欲しいなあと思う。そしてさすがはアメリカ、弱者にやさしい国だなぁと、またひとつ好きになってしまうのだった。

2013年4月22日月曜日

ワイナリー巡り


先日、ソノマ郡(Sonoma County)のワイナリーへ出かけてきた。MBAの方々が主催するピクニックに便乗させてもらい、ドライブ気分で参加。

<HANNA>
引退したおじさんが一人で切り盛りしている、こじんまりしたワイナリー。まずはここで試飲させてもらうことに。私はワインが飲めないので香りを嗅ぐのみだったけど、最初に試した白ワインでいきなり心を奪われてしまった。お味の方も絶品らしい。他にも数種類のワインをテイスティングさせてもらったものの、夫をはじめ全員がこのワインをお買い上げ。おじさんによると、かつてJALのバイヤーが買い付けに来たことがあり、2年間にわたってファーストクラスにワインを提供したことがあるとか。


購入したワインはAlexander Valley 2006 Merlot。750ミリリットル入り、税込みで20ドル60セント


<Stryker>
先述のHANNAよりもだいぶ規模が大きく、商業化されている雰囲気が漂うワイナリー。ワインだけでなくオリジナルブランドのグッズもかなりの種類が販売されている。スタッフのおねえさんがかわいかった!







<SIMI>
この日車を運転してくださったおじさまのお勧めのワイナリー。日本で買うとかなりお値段が張るらしい。有名どころのためか試飲に訪れるお客さんが絶えない。ワイナリーの方は親切にも8種類ほど試飲させてくれた。スタッフが「これはデザートワインだよ」と薦めてくれたフルーティーな香りのワインを夫が気に入ったので購入してみることに。
※SIMIは身分証明に関して厳しいようで、パスポート以外で年齢が確認できるI.D.の提示を求められた。ちなみに上記のHannnaとStrykerでは身分証明は求められなかった。



購入したワインはAlexander Valley 2008 RIESLING。375ミリリットル入りで35ドルと、お高め。



ワインというとお金持ちの趣味のひとつだと思い込んでいたけれど、今回ちょっと覗いてみた感じでは初心者にも門戸が開かれているような印象を受けた。値段と味のよさ(もちろん好みの問題もあるけれど)が必ずしも比例するわけでもないようで、意外な発見であった。私はカクテル1杯で陽気になってしまうほどアルコールに弱い体質だけど、いつか少し足を踏み入れてみてもいいかな、と思ってしまった。

2013年4月14日日曜日

英会話の勉強


今回は、英会話がもっとできるようになるためには何から手をつければいいの?という方にぜひおすすめしたい本をご紹介。

アルク「英会話ペラペラビジネス100 CD2枚付き」 スティーブ・ソレイシィ、ロビン・ソレイシィ

100の例文(どれも難しい単語は含まないし、内容的には中学英語くらいのレベルで、「Hi.」の使い方や、相手の言ったことを聞き返す「Sorry?」の例文などから始まる)と、それぞれの例文を使った応用例が紹介されている。英会話に苦手意識のある方向け。

私は前職で、生まれて初めて外国人と電話でやりとりしたときに、頭が真っ白になって(と同時に、どうにかして相手の英語を聞き取ろうと必死すぎて相槌すら打てなかった)一言も発することができず、相手から「Hello?」「Sorry?」と何度も聞き返されてやっと「...yes,yes.OK」みたいな返事しかできなかったという苦い思い出がある。英語はある程度勉強してきたものの、会話することに慣れておらず、とっさの一言が出てこなくて困っていたときに、この本に出会った。おかげで、とりあえず言葉を繋ぐということが以前よりできるようになった。

この本のよいところは、1つの例文を何パターンもの場面で応用できて効率的なところ。たとえば、「This is for xxx.」という例文。これは、誰かに物をあげるときには「This is for you.」でいいし、誰かとレストランなどにいて自分の注文したものが運ばれてきたときには「This is for me.」と店員に言えばいい。初めての場所にバスで出かけるときには、運転手に「Is this for xxx? (これはxxxに行きますか?)」と聞けばいい。

日系スーパーマーケットで見知らぬアメリカ人につかまって「ナットウは何に効くのか?」と質問されたとき、血液の流れを良くする作用があるということを言いたかったのだけど英語で何と言うべきかわからず、悩んだ挙句「This is for blood.(これは血液のためのもの)」と苦しい回答をしたら、「ああ、circulation(血液循環)のことね!」と理解してもらえたことがあった。


アルク「起きてから寝るまで英語表現700 完全改訂版 CD付き」 吉田研作監修

必要最低限の会話はできるけど、もう少し話せるようになりたい、日本語で話しているような雑談みたいなものを英語でしてみたい、という方におすすめ。たとえば「洗濯物が溜まっちゃったわぁ」「今日は夕ご飯を作るの面倒くさいなぁ」というのを英語でどういえばいいのか書いてある。

テーマ別に和英対訳形式で日常生活に即した表現が紹介されていて、地道に1つ1つ読んでいくしかないのだけど、これをやっているとある日、映画やドラマを観ていて「あ、今のセリフ聞き取れた!」という自己満足に浸ることができるという、地味なメリットが得られる。

…とはいえ、はっきり言ってしまうと、必ずしも流暢に英語が話せなくても暮らせるので(あらゆる国の人が集まるカリフォルニアでは、外国人の友人ができたとして、彼らもまた英語が第一言語ではないことが多いので、そこまで高いレベルの英会話能力は実際のところ必要ない。妙に凝った表現を使うよりも、一番簡単な表現を使った方が通じることが多い)、「ネイティブと対等に交流できるレベルを目指したい!」という方以外は、それほど構える必要はないのでは、と思う。

大学で学ぶ方や研究職に就く方にとってはまた状況がずいぶん異なるけれど、大半の奥様にとってはUC villageとその周辺、という世界で暮らすことがメインだと思うので、参考までにUC villageの住人の第一言語に関する統計(2012年・village office作成のデータ)を紹介しようと思う。多い順に英語(35%)、中国語(17%)、韓国語(15%)、ドイツ語(6%)、スペイン語(6%)、イスラエル語(4% ※正確にいうとイスラエル語という言語はない。イスラエルの言語はヘブライ語をはじめいくつもの種類があるけれど、統計上では「イスラエル」と一括りにされていたので、そのまま記載してみた)、そして日本語については3%ということだった。1000世帯がここに住まうとして、日本人は30世帯くらい、ということらしい。

病院や警察でのやりとりはさすがにハードルが高いですが(^_^;)買い物や食事の注文さえできれば充分、生活していけます。あとは西海岸ならではの気安さからか、外食時に隣に座った人とか何となく目が合った人など、知らない人から気軽に話しかけられたりすることは割とよくあるので、そういうときにはぜひとも笑顔で(慣れないうちはテンパってしまうかもしれないけれど)応えてあげてください。

2013年4月6日土曜日

環境保護とフリーライダー


UC villageに住んでいて、これだけは何とかならないものかと嘆きたくなってしまうのが、ごみ捨て場の悲惨な状況。毎日、ここで暮らす一部の中国人たちがごみを漁っては散らかしていくのだ。UC villageの周辺にはごみ処理工場が多く、彼らは売り物になる瓶や缶、ペットボトル(回収に出すと1本あたり5セントが戻ってくる)をはじめ、壊れた電化製品でさえ持ち去っていく。

以前、ごみを捨てていたときに、赤ちゃんを抱いた中国人女性がやってきて、私が捨てたと同時に、ごみを回収し始めたことがあった。私が可燃ごみをまとめて入れた紙袋を逆さまにして中身をぶちまけた後、その袋に瓶やペットボトルを入れる、というやり方で、ごみをぶちまけたあとの無秩序は当然(?)そのまま。あ然としながらも「リサイクルしているんですか?」と聞いてみると「そうよ」との返事。赤ちゃんを片手に、紙袋を片手に去っていく女性を見て、そうか、こうやってごみ捨て場が荒らされるのか、と合点がいった。

私は環境保護団体に入っていて細々と活動しているのだけど、ここでもやはり、悲しい現実というものにしばしば直面することがある。昨年末、住人向けに講演会を開いた際(UC village全体の電力・ガス・水の消費状況やごみ排出量について発表したり、団体の紹介をしたりした)、参加者の4分の1近くを中国人のおじさんが占めていた。ふむ、中国人のなかにも環境意識の高い人がいるのだなあ、と思ったのは甘かった。彼らのお目当ては講演中に無償でふるまわれる食事だったのだ!善意で用意してくれたメンバーの思いをよそに、ここぞとばかりに何度もおかわりをし、講演の途中で帰っていく人たち。悲しかった。ひとり1ドルでもいいから参加費を徴収することで、意識の高い人たちだけに焦点を当てた方がよかったのかもしれない。

UC villageでは3月と5月、8月がもっとも大きな引越しシーズンなので、先月はそれにあわせて大規模なyard saleを行った(5月にも行う予定)。そのときもやはり、メンバーからは「配っている食べ物だけ食べて帰っていく中国人がいる…」という声が挙がっていた。善意で活動しようとするときに、free rider(ただ乗りする人)が出てくるのは仕方がないことなのだろうか?…いや、こちらも賢くならなければならない。

近く開催するkids clothes swap(子ども服の交換会。サイズが合わなくなったりして着られなくなった服を、捨てるのではなく皆で持ち寄って、欲しいと思う人にもらってもらう)では、受付で参加者の登録をしよう、という作戦に出ることに。受付で各自が持ち込んだ洋服の重さを計測し、持って帰る洋服の量は一人1袋まで、という約束事をする。会の最中には食事は出さない。などと方針を固めた。

どうやら環境のことだけ考えて活動していればいいというわけでもないらしい。対free rider作戦にも知恵を絞らないと。

2013年3月30日土曜日

アメリカンな服装事情


アメリカで暮らしていて、ここが好きだなあと思うところはいくつもあって、そのひとつが服装や見た目のことに対する大らかさ。

日本にいたときは、例えば季節の変わり目の時期になると、そろそろいいかなと思って春の装いで外に出てみたのに、周りの人がまだ冬の出で立ちだったりするときなんて、妙な恥ずかしさを感じたりすることがあった。こちらでは、半そで半ズボンに素足でサンダルという格好で歩いている人もいれば、冬物のジャケットにブーツで歩いている人もいて、そのちぐはぐさをまったくもって誰も気にしていない。

ベビーカーを押しているお母さんが刈上げ頭で鼻ピアスでヘソ出ししていても、誰も気に留めない。日本だったらどこからかヒソヒソ話が聞こえてきそうなものなのに。夏になると上半身裸で歩いている男の人もいるし、その辺の芝生でビキニになっている女の人もいるし、なんとも自由な感じ。初めて見たときは「?!」だったけど、ここはアメリカ。そんな空気が楽でここちよい。

大学周辺を歩いてみても、そんなに服装に気を遣っている感じの人は見かけない。UCバークレーのロゴ入りパーカーにジーンズにリュックサックという具合で、日本の女子大生みたいに全身コーディネートされた人なんて見たことない(日本から来たばかりの人を見かけると、おしゃれ過ぎて目立つほど)。UC village周辺を歩いていても、「えーと、そのジャンパー(この単語はまだ生きているのかしら…)は、いつ買ったものですか?」と尋ねたくなってしまうような年季の入った服を着ている人も多い。日本にいたころは、それほど興味を持っていなくても流行の移り変わりが目や耳に入ってきたのに、こちらに来てからは皆無。

…と、おしゃれには無頓着そうに見える(失礼!)アメリカ人でも、他人の服装や持ち物なんかはけっこう頻繁に褒めてくれたりする。スーパーマーケットのレジ係や初めて会った人でも気軽に声をかけてくる。これまでのいろんなやりとりのなかで、褒められ率が高いものが次の2つであることを発見した。

<ユニクロのフリース>  
夫が着ていると、毎回誰かしらから「素敵!」と言われるモテ服(?)。アメリカ人に限らず、インドやメキシコなど、日本以外の(日本人からは「あ、ユニクロね」という実に淡白な反応が来る)あらゆる国の人から支持される。授業中に黒人のクラスメイトから「Love the sweater man!」というテキストメッセージが夫に送られてくるほど。




<五本指靴下> 
日本では「ダサい」「人前で履くものじゃない」と言われがちで、健康によいという実力者ながらもどこか日陰のような存在の五本指靴下。これが、実に外国人ウケするのだ!「とてもキュートね!」「ペンギンみたいでかわいいわ」と好評。そういえば、日本在住のイギリス人の友人も五本指靴下の愛用者であった。外国人のお友達がいる方は、五本指靴下をお土産にしてみると意外と喜ばれるかも?





2013年3月24日日曜日

タイ料理にハマる


カリフォルニアに来て予想外の出来事、それはタイ料理の美味しさに目覚めたこと。このあたりはタイからの移民が多いらしく、大学近辺でもUC village近辺でもタイ料理屋さんをよく見かける。タイ料理というと激辛、というイメージがあったのでしばらくの間はお店の前を素通りしていたのだけど、試しに訪れてみたら辛くないメニューも意外と多いことがわかり、しかも美味しいお店が近所にあることもわかり、すっかり魅了されてしまっている。今回は現在お気に入りのお店を2軒ご紹介♪


Sabuy Sabuy Ⅱ (Gilman通りとSan Pablo通りが交わるあたりにある)

UC villageから徒歩圏内にあるタイ料理屋さん。ここはとってもおいしいうえに、気持ちのいい接客をしてくれる。ビーフが入ったマイルドカレーなるもの(名前がどうにも覚えられず…)を食べたら本当にまろやかで、子どもでも食べられそうな甘口だった。夫が頼んだナマズの揚げ物も、ピリ辛だけどおいしかった。サービスのよいお店で、アジア人のお客には箸を配ってくれて、食事中には温かいお茶を出してくれて、食後には手作りのアイスクリームまでくれた。(2種類盛られていたうち、ピンク色のアイスは桃で、黄緑色のアイスはメロンかな?キウイかな?と思ったらワサビだった…)夫と話しながら食べていると、店員さんから「オイシイデスカ?」と声をかけられてびっくり。

二度目に訪れたときも店内はやはり満席で、さらにテイクアウトのお料理を受け取りにくるお客さんが何組もいて、人気ぶりがうかがえた。このときに夫が頼んだシーフードのココナツカレーも美味しかった!(私は前回と同じビーフのカレー。一度気に入るとずっとリピートしてしまう性分なので…)


Bua Luang Thai Cuisine (Solano通りにある)

アメリカでは珍しいことに、お店の外の看板に料理の写真を載せている。こちらでは大抵のお店ではメニューに写真を載せておらず文章での説明のみなので、どんな料理かよくわからないままに何となく注文してみる、ということが多い。ちなみに料理のレシピ本も、できあがりの写真が載っているのはまだよい方で、ひたすら文章のみ、というものが多いような気がする。日本みたいに作り方の過程を逐一写真にしているレシピ本は今のところ見たことがない。(日本に来た外国人が、ガラスケースに入った食品サンプルを見て驚くのがよくわかった。サンプル作りの職人までいるくらいだし、あんなマメなことをするのって日本人くらいじゃないかな?)

ランチメニューは前菜とメインについて、決められた中から好きなものを組み合わせて選べる。私はトム・カー・スープという名前の、レモングラスとココナツを使ったスープと、BBQ(バーベキュー)のチキンの組み合わせでいつも頼んでいる。店員さんのなかにちょっと天然ボケ?の人がいて、注文したものがまだ揃っていないのに「料理の味はどうですか?」とか聞いてきたり、グラスに水がまだ結構残っているのに注ぎ足そうとしてきたりするのもご愛嬌。


おまけ Metta Traditional Thai Massage(エルセリートにあるマッサージ屋さん)

私は行ったことがないけど、夫が何回か通ったことがあって気に入っているタイマッサージ屋さん。うつぶせになったところをおばさんに足で踏まれるのがイイらしい。…と書くと変態みたいだけど、足踏みマッサージはタイ古式マッサージのひとつ。おばさんもさすがはプロ、夫の背中の頑固なコリを見つけてグリグリとほぐしてくれたそうな。学業が立て込んできてパソコンに向かう日々が続くと、夫は「ちょっと踏まれてくるわ」と言って出かけていく。1時間50ドル也。

2013年3月18日月曜日

アジアの晩餐会vol.2


昨年お呼ばれしたインド人のキャンディ夫妻から、再び夕食のお誘いをいただいた。近所に住む韓国人のリーさん一家の車に乗せてもらい、大学近くのアパートメントへ向かった。

キャンディの奥さんは本当にお料理上手で、次々とおいしい食事をふるまってくれる。5時間寝かせてから焼いたというチキンと、3種類のカレー(野菜を使ったもの、卵を使ったもの、チャナという名前のひよこ豆を使ったもの)、それからプリと呼ばれる変わった形をしたナン。プリは風船のように丸くふくらんでいて、一口食べると中の空気が抜けて(中は空洞になっている)ぺしゃんこになるのが面白い。

前回ごちそうになったときは、お皿に目いっぱい盛ってくれるうえに、お皿が空きそうになるとすかさずお替りをよそられてお腹がはちきれそうになってしまった。今回はお皿を空にしないようにちびちびと食べる作戦にでていたら、しきりにキャンディから「このカレーをもっと食べたいか?ライスはもっと欲しいか?」と勧められ、それでも断っていたらしまいには「君はホ~ントに食べるのが遅いね!」と言われてしまった!サービス精神旺盛な彼は料理をよそってあげたくてうずうずしているらしく、リーさんにも夫にもプリ攻撃。わんこそば?と思うほど次から次へと盛られるのでさすがに男性陣もギブアップ。

食事をしながらキャンディが昔、日本人のペンフレンドとやりとりしていたという話をしてくれた。僕は日本のお辞儀を知っているんだ、と披露してくれたのだけど、えーと…ち、違う…(*_*)あえていうなら執事カフェだろうか?片腕を肘から曲げてお辞儀をして「Welcome!」と言っているのだけど、あまりに得意満面に繰り返してくれるので、それはかつての宗主国イギリスの文化では、とはとても言えなかった。

それから、戦後の日本経済の発展について称賛してくれた。私たちを二度も招いてくれたあたりからもしかして、と思っていたけれどやはり親日家だったらしい。…と思っていたら、リーさんが「日本の経済は朝鮮戦争のおかげで飛躍的に成長したのだ」と発言したので、どきりとしてしまった。どうしよう、こんなときどうやって返事をするのがよいのだろうか、と凍りついているとリーさんは「経済発展の陰には戦争が付物だ」とさらりとした調子で付け加え、その会話は終わった。(反日的な言葉を耳にしたときは、どういう反応を返すのが正解なのだろう?いまだにわからずにいる。論理武装しておくべきか、それとも相手を刺激しないように沈黙を保っているべきか…)

韓国人のなかには日本のことが嫌いだという人もいるけれど、リーさん一家は親日家で、すぐ近所に住んでいることもあって何かと親切にしてくれる。奥さんが昔アメリカに留学していたころ、韓国人の知人が一人もいないなかで日本人のルームメイトに助けられたのだと以前話していた。日本食にもかなり詳しいし、娘さんがいるからか日本のキャラクターについてもずいぶんと知識がある。奥さんと娘さんはリラックマのファンだと話していた。

テーブルにはリー家から持ってきたチヂミ、うちから持ってきたいなり寿司が加わり、さながらアジアの宴。いなり寿司を見たキャンディ夫妻は、これは何で作られているのか、と興味深々。「酢で味つけしたご飯が入っている」と答えると今度は、この茶色い皮は何かと尋ねてくる。私が一瞬答えに詰まると、リーさんの奥さんが「大豆でできている」とすぐさまフォローしてくれた。

すっかりご機嫌のキャンディが自慢のイケメン息子の写真を見せてくれて(まだ20歳だという息子さんは大変落ち着いた雰囲気だったので、35歳くらいかと思ってしまった。黙っていてよかった)、お見合い結婚だったという奥さんとは終始とても仲むつまじい様子。

最後に、にんじんと牛乳と砂糖を使ったヨーグルトのようなインドのデザート(残念なことに名前を覚えられず)をいただいて、今宵はこれにてお別れ。リーさんと夫によると、普段キャンディは授業中には白人を相手に、舌鋒鋭い質問を投げかけたりして近寄りがたい雰囲気を放っているのだという。インドにいたころは、アメリカでいうところのCIAのような組織に身を置いていたとも聞く。目の前にいる彼は、にこにこした人のいいおじさんといった風情なので想像もつかないけど、いつか彼の人生について聞いてみたいな、と思う。

2013年3月5日火曜日

American Bach Soloists


バークレーに来てから、手頃な料金でクラシックコンサートに行かれることに味を占めた夫(2週間に1回くらいの頻度で勝手に出かけていく)が、今度は教会にて開催されるというコンサートのチケットをどこからか手に入れてきた。American Bach Soloists(略してABS。もちろん車とは関係ない)という、バッハをメインに演奏する団体のコンサートらしい。今回のチケット代も2人分で42ドルという破格であった。

会場はFirst Congregational Church of Berkeleyという小さな教会で、UCバークレーの敷地からほど近い。Telegraph Avenueのすぐそばで、少し歩くとたちまち周囲がにぎやかになる。

どんな曲目が演奏されるのかも知らずに私たちは来てしまったけれど、教会でバッハを聴くのはいったいどんな人たちだろうかと思っていたら、白人のお年寄りばかりだった。杖や歩行器、電動車椅子でゆっくりゆっくり歩を進め、顔には品のよい微笑をたたえたおじいちゃんおばあちゃんたちであった。私は教会に入るのは生まれてはじめて。仕切りのない長椅子や、座席に備え付けられている賛美歌の歌集、壇上のパイプオルガンにどことなくわくわくしてしまう。

当日の演目は、以下のとおり。クラシックにあまり詳しくない私は、はずかしながらどの曲も初めて聴くものだった。ヴィヴァルディの「Beatus vir」と「Concerto for Viola d'amore in D major」、バッハの「Concerto for Oboe d'amore in A major」、ヘンデルの「Dixit Dominus」。Beatus virとDixit Dominusには賛美歌だけにクワイアが付くのだけど、これがとても美しかった!

教会でバッハ、というと堅苦しそうなイメージが浮かぶかもしれないけれど、この団体はどうもゆるい感じがした。休憩時間に、メンバーの一人がやおら挨拶を始めたので耳を傾けてみると、団体のスポンサーを求めているらしい。それも、「僕たちABSのチケット、安いよ。どう?買わない?買うといいことあるよ。スポンサーはいつでも募集中だから」と実に軽い調子で寄付のお願いなんぞしていた。おまけに、休憩時間中にオーボエ奏者がひとり舞台の上に残ってずっと練習していたので、次に演奏する「Concerto for Oboe d'amore in A major」のネタバレ(?)になってしまい、サビになると「これ、さっきまで散々聴いていたメロディーじゃあ…」という状態であった。

教会内ではバッハグッズの販売もしていた。CDはもちろん、バッハTシャツ、バッハトートバッグにバッハ水筒、バッハエプロンまである。夫と私はパンフレットにて紹介されていたバッハマグカップに心を引かれるも、あいにく在庫切れだとか(そんなに人気アイテムなんだろうか?)。ちなみに夫は、子だくさんのバッハにちなんで、子宝・安産グッズとしてバッハグッズを売り出せばもっとこの団体は儲かるんじゃないかなどと、いつものように、ためになるんだかならないんだかよくわからないことを言っていた(^_^;)




2013年2月19日火曜日

渡米準備にかかった費用


時期的にそろそろ、留学が決まって渡米準備を始める方々が増えてくると思うので、我が家では何にどれくらいの経費がかかったのかをまとめてみました。将来留学しようかなとお考え中の方も、ご参考までに。

<UC villageへの入居に関して>
・入居申請手数料 たしか50ドルくらい?
(注:この金額については記憶があやふや…。郵便局から国際為替で送金しなくてはいけなかったのと、小さな郵便局に行ったらそこでは国際為替なんて稀なケースだったらしくて局員さん達を困らせてしまったことは覚えているんだけど…。国際為替を申し込むにはパスポートと印鑑が必要だったはず。送金とは別に、手数料が2,000円くらいかかったこともうっすら覚えている)

・部屋が確保できたのち、手付金250ドル+1か月分の家賃(1527ドル)を再び国際為替にて送金
(家賃は間取りによって異なる。私たちはUC village内のWest区画にある2LDK+1bathroomという部屋に住んでいる。入居後の家賃の支払いは、授業料と同じようにバークレーの学生用のホームページからインターネット上での操作で支払うことができる。小切手を書いて送ったりする必要はないので楽)

※2013.5.4追記 先日UCバークレーから家賃値上げの通知が届いたので、うちの家賃は今年の7月1日から1550ドルになった。全戸について1.5パーセントの値上げらしい。

<19日分のホテル滞在費>  約1500ドル
(直前になって探し始めたため、いわゆるホテルには予約が取れず、1泊2人で80ドルくらいのモーテルを転々とすることに…。なぜこんなことになったのかはコチラからどうぞ)

<SEVIS手数料> たしか130ドルくらい?でクレジットカード払いのみ可だったはず。

<アメリカ大使館にてビザ申請手数料> 160ドル×2人分

<成田→サンフランシスコの片道航空券> 約20万円×2人分
(往復航空券の方がはるかに安く済むのだけど、往復航空券を買って復路の分を破棄するという裏技は通用しないらしい。現在は復路の利用について調査されているようで、利用しなかった場合には航空会社からペナルティが課される、とインターネットで学んだ)

<アメリカへの船便> 10万7500円
(クロネコヤマトの単身者パック、段ボール14箱コースを利用。日本から発送する時点で現地での住所が未定でも、到着先で1ヶ月間は荷物を預かってもらえるというサービスが、アメリカでの住所がなかなか判明しなかった私たちにはありがたかった)

<引越し代> 7万7千円
(渡米にあたって東京のアパートメントを引き払うため、夫の実家に家具や荷物を預けるための引越し。ハトマークを利用。仕事が速いし安いので、うちは何度もハトマークのお世話になっている。…と、しっかり書いたのでハトマークさん、帰国時にはひとつよろしくお願いします)


※保険加入について

夫はバークレーの学生のため、SHIPとよばれる学生保険に加入することになっている。これは、既に他の保険会社に入っているから、などといった理由で大学側に権利放棄(Waive)しない限り自動的に適用され、授業料にも保険料が含まれる仕組みになっている。

妻は現地に着いてから個人的に民間の保険会社に加入するつもりで、何の準備もなく渡米してしまった。実はこれがまたいろいろと大変な道のりがあり、最近ようやく保険に入れた(つまり半年近く無保険でアメリカ暮らしというギャンブルな生活であった)。これについてはまたいずれ掲載予定。

だけど、ひょっとして私のような無謀なマネをする奥様が現れたらどうしよう…と責任を感じてしまうのであらかじめ公開しておくと、Fビザではアメリカの民間の保険会社に加入できない!という事実を私は体験した(^_^;)実は保険会社の方で、SSN(Social Security Number)を持っていることを加入にあたっての必須条件としているため、SSNがない人は門前払いされてしまうのだ。
F-1(留学生ビザ)もF-2(留学生の同行家族ビザ)も、アメリカで基本的には就労できないので、「就労できない→アメリカに税金を納められない→SSNの発行を受けられない」→つまり保険会社に入れないということらしい。し、知らなかった!

たいていの方は、ご主人が留学先の学生保険に入り、奥さんとお子さんは日本を発つ前に海外赴任者用の保険に加入してくるものらしい(三井海上、JALなど)。うちは変わり種なもので、これについては経験がないので何も書けず…。

2013年2月12日火曜日

日本製品で重宝しているもの


今回は、外国で暮らしてみてわかる日本製品のよさについて、主婦の視点から紹介してみようと思う。

<メラミンスポンジ>
昨年末に帰国された日本人の方から、実はあらゆる便利グッズをいただく幸運に恵まれた。ソファーとフロアランプを破格で買っただけにも関わらず、日本製の(アメリカ製はちょっとなあ…と購入を渋っていただけにありがたい!)掃除機や、トイレクリーナーやクイックルワイパー、延長シャワーや食器やタッパー(外食時に大活躍している)などなど、申し訳なくなるほどの宝の山であった。

今回いただいたなかで、その実力に感激しているのがメラミンスポンジ。水をつけてこするだけでシンクの水垢もガスコンロや五徳の焦げ付きも食器の茶渋もするんと落とせて、惚れ惚れするはたらきをしてくれる。バークレーではどこで手に入るのかまだ突き止めていないので、小さく切り分けては大切に使っている。


<ミヨシ油脂の純石鹸・食器洗い用>
渡米時に持参したミヨシ油脂の純石鹸・洗濯用にものすごくお世話になっていた。ホテル暮らしのときにはこれで洗濯していたけど(コインランドリーを使うためには25セント硬貨を大量に集めなくてはならず、これが大変だったので、主として手洗いしていた)、充分な洗浄力を発揮してくれた。食器を洗うのにも、素手でこの石鹸を泡立てた程度で汚れが落とせた(油もののときは、拭き取りしたのちに重曹を水で練ったものでねりねりしながら洗う)。そんなこんなで純石鹸に魅了され、その後も愛用してきたのだけど、先月とうとう使い果たしてしまった。

どうしよう、困った…とオーガニック系スーパーマーケットをまわってみたものの、入浴用以外の固形石鹸というものを見つけられずにいた。ふと日系スーパーを訪れたときに日本の石鹸類が売られているのを見つけ、探してみたらやっと発見!El Cerritoにあるyaoya-sanにて1個3ドルちょっとという輸送費込みの高値?で販売されていた(残念ながら洗濯用のものは取り扱いがなかった)。

普段はこれで食器を洗い、下着や靴下、小さめのタオルなどを手洗いするときにも使っている。手荒れしないのがありがたいし、必要以上に泡立たないところも好きなポイントである。


<オーガニックコットンのレッグウォーマー&腹巻>

渡米時は8月だったけどカリフォルニアは夏でも朝晩は寒いと聞き、あわてて購入して荷物に加えた品々。このおかげで冬も乗り越えられているし、身体が冷えやすい人にとっては一年中役に立つので本当におすすめ。以前はオーガニックコットンにはちょっと懐疑的だったのだけど、化学繊維で作られた他製品と比べると全然暖かさが違うので虜になってしまった。

そんなわけで、大事に手洗いしては慈しんできた腹巻が先日無残な姿でお風呂場に打ち捨てられていたのを発見したときには、心の底から絶叫した。裏も表も余すところなく油で真っ黒に煤け、変わり果てた我が子。飄々と帰ってきた夫を問い詰めると、雨に濡れたよしお(自転車)を拭いた、雑巾っぽい場所に雑巾っぽい布が置いてあった(確かに私は、帰宅したら洗濯しようと思って腹巻を洗面台に置いて外出していたけど、それにしても…!)ので使った、とけろりと答える夫に怒りが頂点に達する。泣きながら洗濯するも純石鹸では油汚れに歯が立たず、仕方なく市販の洗剤(Ecover)を使って何度も溜めすすぎを繰り返した。…けれど結局もとの生成り色には戻らず、シマウマのようなまだら模様が入った姿を受け入れざるをえなくなった。悲しい。

カリフォルニアは実をいうとオーガニックコットンの産地のひとつ。探してみたらMaggie'sという会社の製品がEl CerritoにあるNatural Grocery Storeで手に入ることがわかったので、試してみたいと思っている。日本のものより安価(原料の99パーセントがオーガニックコットンなのに、靴下1組で8ドルくらい。日本でこのくらいの純度だと靴下1組で2,500円くらいするのに!)なので、これはぜひ買ってみなくては!と思っている。


<2.25追記>

日本から船便で送って、毎日役に立っている家電があることを書くのを失念してしまっていた(>_<)それは何かというと、加湿器。うちで使っているのはPanasonicのnanoeで、持ってきて本当によかったと思っている。
カリフォルニアは乾燥がひどく、部屋の換気をするために数十分間窓を開けているだけで、湿度計がときには30パーセント未満を指してしまうこともある。心なしか、こちらに住み始めてから肌の乾燥が気になる(普段何もせずにいてある日ふと鏡でまじまじと見てみると、肌が干からびていたりする!)うえに、以前からのどが弱い体質なので、寝るときには必ず使っている。

2013年2月5日火曜日

DMVに行ってきた


在米中に自分が関わることはないだろうと思っていたDMVにとうとう行ってきた。DMVというのは自動車局のことで、日本でいうところの運転免許センターのようなもの。実は、身分証明書欲しさに仮免許を取得しようと思い立ち、筆記試験を受けるために勉強していたのだった。身分証明書(I.D.)としてはパスポートがあれば足りるのだけど、ごくたまに、たとえばお酒を買ったり飲んだりするときなどにお店によってはパスポート以外の写真付き身分証明書を提示するように求められたりことがあるし、そもそも普段パスポートを持ち歩くのは危ないし、といろいろ思うところがあったのだった。

そんなわけで、本免許(筆記試験と実技試験の両方に合格することが必要)の取得を狙う夫に便乗し、仮免許の取得をめざしてOakland(オークランド)のDMVへ出陣!事前にDMVのホームページから予約を入れておいて、バスで30分かけて向かった。

到着してみると、予約なしで訪れた人たちが建物の外にまで行列を作っていた。私たちは予約済みの列に並び、5番目くらいに窓口にたどりついた。筆記試験を受けたい、と言ってパスポートを見せると、「I-20は?」と窓口のおじさんに言われる。え?I-20(大学から発行された、移民情報を記した身分証明書)が必要なの?そんなことホームページのどこにも書いてなかった気がするけど…。持参していない、というと「それがないとダメだ」と言われてしまった。そ、それじゃあ試験は受けられないのだろうか?と思っていたら何だかよくわからないけど結局そのおじさんから申請書類を渡されて記入するように言われる。記入を済ませると今度は受付番号を書いた紙を渡され、番号が呼ばれるから待っているように、と言われる。さっきはI-20がないとダメだと言ったのに、筆記試験は受けられるの?うーん、さすがアメリカ、どうにもわからない!

ほとんど待つことなく、夫が先にカウンターに呼ばれ、次に私が別のカウンターに呼ばれた。私の担当は黒人の若いおねえさん。Hi、とスマイルを浮かべて挨拶したのに黙殺される。一瞬、えっ…(^_^;)と思うものの気を取り直して申請書類とパスポートを見せると、「licenseを取りに来たのね?」と確認され、続いて「I-20は?」と聞かれる。「今日は持って来ていなくて…」と答えると、おねえさんは冷ややかに「それじゃ試験は受けられないわ。受けたいなら持ってきて」と一蹴。とりつくシマなし。AC Transitバスや郵便局、宅配便のやりとりですっかり「黒人=フレンドリーで親切」と思い込んでいた私は落ち込む。そうか、そうだよね、フレンドリーじゃない黒人だっているよね。

とぼとぼと待合席に戻ると、なんと夫の方はI-20なしでも筆記試験を受け、親指の指紋採取と視力検査を受け、写真撮影まで全部終えて仮免許を取得していた(実技試験については別途予約をして受験することになる)。これぞアメリカ、「担当者によって全然違う対応をされる」の巻を体験するはめになってしまった。

おねえさんのブリザードのごとき空気にすっかりやる気を失っていた私が、ふと夫の仮免許を見てみると、「この免許には身分証明書としての効力はありません」と書かれている。なんですと?!それじゃあ仮免許を取得できたとしても意味がなかったのか!もはやいったい何しに行ったんだかわからない一日であった。(その後、DMVでは運転免許とは一切関係なく、写真付きの身分証明書だけを発行してくれるサービスがあると知ったので、もうそれでいいやと思った)

今度はEl Cerrito(エルセリート)にあるDMVへ。夫が仮免許の不備(!)を修正してもらいに行くというので私もくっついて行った。実は仮免許には2通りあって、カリフォルニア州の筆記試験に合格した後、自国での運転免許を持っている人にはtemporary licenseという資格が与えられて(実技試験に合格する前であっても)一人で運転できるようになり、自国での運転免許を持っていない人にはpermitという資格が与えられて本免許を持つ同乗者がいる場合にのみ運転できる、という違いがある。オークランドのDMVで仮免許を取得した際、夫は本来ならtemporary licenseを発行してもらえるはずだったのに、担当者に日本の運転免許証を見せたところ「私は日本語がわからないからダメ」と言われ、自国の運転免許を持っているにも関わらずpermitを発行されたというなかなか理不尽な目に遭っていたのだった。

夫がカウンターで手続きを始めたころ、窓口を見てみると今日はどうも空いているようなので、予約していないけど列に並んでみた。すぐに私の番がきて、運転免許ではなくI.D.が欲しいというと、申請書類と番号札を渡される。待合席で記入を済ませ、番号が呼び出されるまでしばらく待つ。

今回も私の担当はやはり愛想のかけらもない黒人のおばちゃん。I.D.を作るための身分証明にはI-20は必要なく、パスポートだけで足りた。何やかやと端末に入力していくおばちゃん。同僚の女性とは笑顔を浮かべて会話をしているのに、私には能面のごとき無表情で接してくる(-"-)途中で右手の親指の指紋を採取したりしつつ15分くらい待って、ようやく最後の写真撮影を済ませて終了。今後、運転免許を取得するつもりがあるか、と聞かれてノーと答える。それによって、費用が異なるらしい。将来的に運転免許にグレードアップしたいのであれば32ドル、そのつもりがなくてI.D.のみで済ませたいなら27ドル、ということだった。申し込みを受け付けた、という紙でできた仮証明書のようなものを渡され、今日は終了。I.D.は後日(この後日というのが一年後だったりするという噂もあり)自宅へ郵送されると説明された。

(※2013.4.18追記 その後まったく送られてくる気配がなかったので、もう届かないのではないかと心配していたけれど、2日前に無事に普通郵便にて郵送されてきた)

夫の方も、事情を話して日本の運転免許証を見せたところ、「ん~、このアジア人が何か言ってるからとりあえず手続きしちゃえばいいんじゃない?」みたいなやる気のない様子の担当者があっさりとtemporary licenseに修正してくれたらしい。これで何度目かの、「大丈夫なのか?アメリカ!」を心の中で叫んだのは言うまでもない。

2013年1月23日水曜日

日中友好ショッピング?


夫が通っているアダルト・スクールには、実に多国籍のクラスメイトたちがいる。ひと月ほど前に新たに加わってきたドンメイ(漢字では冬梅)さんという人は、「日本人が大嫌い!」と公言する中国人女性。「日本人は中国から漢字を盗んで、今度は尖閣を盗もうとしている!今年中にきっと戦争になる!」と愛国心に燃えている。

なかなか個性的な彼女は授業中にしばしば脈絡のない質問をして授業の流れを止めてしまうところがあって、どうもクラスメイトから敬遠されてしまいがち。先生と夫が根気よく付き合ってあげて、彼女の「あれは何?これは何?」の波状攻撃に答えてあげていたらしい。とてもガッツのある女性で、わからないことは躊躇なく質問し、決してうやむやにしないという、周囲は少々手を焼いてしまうけれど学ぶ意欲にあふれる人なのだ。

そんなこんなで、夫の陰の努力が功を奏したのか対日感情が和らいできて(?)、日系スーパーで買い物をしたいから手伝って欲しいと頼まれ、夫と一緒に(夫では料理や食材の説明に不安があると言うので)ドンメイさんに会うこととなった。

自宅から一番近いTokyo Fish Marketで待ち合わせ。彼女によると、中国人仲間のあいだで巻き寿司を作ることになった(「大嫌い!」の割にはずいぶんと短期間で親日派になったのでは…?)という。その材料に何を選んだらよいのかわからないので教えて欲しい、ということだった。

会った時点ですでに海苔を3パックも買い物かごに入れている彼女から、噂に聞いていたとおり質問攻めにされる。スシを作るには酢が必要なはずだが、いったいどの酢を買えばよいのか?(すし酢というものが売っていたので薦めてみた)、米を炊く前に酢を入れるのか?(ご飯が炊けたあとに酢をかけて、かきまぜるの)、巻き寿司を作った後で、食べるときにもう一度酢をかけるのか?(かけなくてよい!)、魚肉ソーセージを中に入れると決めているんだけどどこで売っているのか?(夫も私も魚肉ソーセージと聞いてびっくりしたが、きっと魚は高いから代用するんだろうなと思って突っ込まずにおいた)、わさびとは何か、スシに使うんだろう?マスタードのことか?(違う植物からできていて色も味も違う、とWasabiチューブを見せるとドンメイさんは素早く買い物かごに入れてしまった。巻き寿司にわさび…止めればよかったかしら)。

ふと目に入ったカニカマを見て、大興奮するドンメイさん。「Crab meat(蟹肉)と書いてある!これはスシにぴったりではないか?蟹はスシに使うんだろう?」と興味深々。えーと、Crab Meatの前にImmitation(偽物)と表示されているのだが、そこは問題ないのだろうか?と思いつつ、「きゅうりとよく組み合わせて使われるよ」と言ってみる。(しかしきゅうりは買わなかったドンメイさん)カニカマに心を奪われた彼女は、これは茹でるのか?と聞いてくるので、「調理の必要はなくて、好きな大きさに切って、そのまま食べられるの」と説明すると、感極まった様子で「本当に料理しなくていいの?!すごい、すごい!」と言ったあと中国語で何やら(たぶん)感嘆の言葉をもらしていた。

お店の中をぐるぐると回っていると、再び興奮するドンメイさん。たくあんを指して、「これだ!これをスシに入れるんだろう?」と喜んでいる。夫と私で「えっ…、もしかしてこの大根まるごと一本漬けたものを買う気なんじゃ…この量ではたくあん巻きになってしまいそうなんだが…」とひそひそ話。彼女に聞いてみると、案の定たくあんを食べたことがないと言う。口に合わなかったときのリスクが高すぎるので、さすがにたくあんは薦めずにおいた。

ドンメイさんとはそこで別れ、彼女は意気揚々と会計を済ませて友人宅へ向かった。果たして、巻き寿司パーティーはうまくいったかしら?日本人に教わって作ったのにおいしくなかった!日本人は信用ならん!なんて、また反日に戻っていたりして…。

2013年1月18日金曜日

事件後の対応


昨年11月末に不幸に遭遇して以来、たくさんの方からご心配いただいているので、感謝の気持ちと無事を伝えるために、その後のことを記してみようと思う。直接メッセージをくださった方も、お会いできずとも胸を痛めてくださった方も、ありがとうございました。


UC villageの対応

事件のことを知らせたその日のうちに、住民あてに事件について伝える一斉メールが送信された。アジア人女性を狙った事件とみて、英語だけでなく中国語と韓国語、日本語でもそれぞれ翻訳されたものが送られてきた。日本語のメールを見たら、いかにも自動翻訳ソフトを使って機械的に訳したという感じの変てこな文章だったけど、言葉の壁がある住民にも伝えたいというoffice側の意図がよく伝わってきて、ありがたいと思った。


警察の対応

事件から2週間のあいだに3回も警官が自宅を訪ねてきて、容疑者かもしれない男性の写真照合を行った。最初の1回は制服を着た警官で、あとの2回は私服警官だった。私服警官のときは玄関で警官自ら銀色のバッジを見せて身分証明してくれた。

写真照合の前には毎回注意喚起を受ける。それは何かというと、メガネやヒゲの有無など簡単に変化をつけられる項目だけを理由に犯人かどうかを判断しないように、というもの。A4サイズの用紙に6人の写真を載せるというのがどうやら決まりらしく、毎回6人の顔写真が配置されていた。

残念ながら3回とも犯人とおぼしき男の写真はなかったけれど、警官の話では警察でも9月の事件と11月の事件は同一犯によるアジア人女性を狙ったケースとしてみているということと、私服警官をUC villageに派遣して巡回させているということだった。実際、UC villageの敷地を歩いていると5分のあいだに3台もパトカーを見かけたこともあるし、ジョギングしている夫によると夜間にも警察官が警戒にあたっているということだった。軽犯罪だからといって、ないがしろにせずにいてくれることが嬉しい。

ミーガン法(ミーガンちゃんという女の子を襲った悲劇をきっかけに制定された、性犯罪の前科を持つ人物の個人情報を公開することを求めた法律)に基づいて作られたFamily Watchdogというサイトでは自分が住んでいるエリアを検索すると、近所に住む前科者について顔写真とフルネームに住所まで情報が公開されている。試みにアルバニー周辺の情報を探してみたけど、犯人の情報は得られなかった。警察の写真照合にも該当がなかったので、きっとあの男はまだ逮捕歴がないのだろう。

また、被害者への支援制度として、財政的なサポートを受けられることも教えてもらえた。事件に巻き込まれた影響で、病院に通ったり精神的なリハビリのために習い事を始めたりした場合、かかった費用が警察から返還されるという。結果的には私はこの制度を利用せずに元気になれたけれど、こういう制度があるということにびっくりしてしまった。


ソーシャルワーカー

当初の話では2回カウンセリングをしてくれるということだったけど、実はすでに4回も会っている。さらに今後もひと月に1回のペースでカウンセリングを続けてくれるという。親切な人で、ご本人も外国人として日本で暮らした経験があるためか、異国の地で犯罪に遭った私の立場をとても思いやってくれる。私が英語に詰まったときは日本語でも話せることもありがたい。


心情の変化

事件直後は怯えて暮らしていて、玄関のチャイムが鳴るたびに、スツールに乗って(背が低いので台がないと届かない…)ドアの覗き窓から様子を伺ってからチェーンをかけて応対する、という日々が続いた。宅配便のおにいさんに「僕を怖がらなくていいよ」と言わせてしまったこともあった(>_<)

今はもうすっかり元気になって、怯えるどころかむしろ犯人を見かけたら写真を撮って警察に提出してやろう!と構えているぐらいで、外出時にはデジカメと携帯電話を持って行くことにしている。犯人はこれまでに2回も目的を達成できているので、調子に乗っていつか本当に小さい女の子に危害を加えるとも限らない。何かしらの形で逮捕につながる証拠をつかむことができれば、と切に願っている。

2013年1月11日金曜日

お気に入りのアジアン料理店


UC villageから徒歩もしくはバスで行かれる範囲内には、かなりの数のレストランがある。カリフォルニアではアジアからの移民が多いせいか、アジアの各国料理が気軽に食べられるので外食するのもまた楽しい。今回は、うちで気に入っているお店を紹介。


Nong Thon Authentic Vietnam Restaurant (ベトナム料理)

UC villageがあるAlbany(アルバニー)の隣町 El Cerrito(エルセリート)にある。夫婦でベトナム料理を熱愛しており、このお店にはもう何度通ったかわからない。外観からは店内の様子がわかりづらくておまけに「ランチやってます」などといった看板も出していないので、営業しているのかどうかわかりづらいのだけど、中に入ってみるとランチ時でもディナー時でもかなりにぎわっている。

フォーはもちろん、チャージョー(揚げ春巻き)やゴイクン(生春巻き)、シュリンプケーキにパインセオ(オムレツ)など、どれもおいしくて良心的な価格なのでおすすめ。ランチでもディナーでもほとんど料金が変わらないので(お店によっては同じメニューでもランチとディナーとで料金設定が変わることもある)、私たちは夕食時に訪れることも多い。

従業員が店内の定位置で自分の子どもを遊ばせながら仕事をしていて、皆で仕事の隙をみては入れ替わりで遊んであげたりしているのも微笑ましい。


小香港 (中華料理)

同じくEl Cerritoにあるお店。日本人の奥様のあいだで評判になっていたので訪ねてみたら、本当に名店だった!おいしくて安いのはもちろんだけど、食事の量の多さにもびっくり。食べきれないほどの量が出されると聞いていたので、用意周到にタッパーを3つも持参した(お店の人はもちろん持ち帰り用の紙箱に包んでくれる)。

ディナーで1人10ドルのコースを頼んだら、ラーメン丼級の器になみなみと入ったスーラータンに餃子、生春巻きに酢豚、ナッツの炒めもの、チャーハンという大盤振る舞い。どれもおいしくて箸がすすむのに、いかんせん量が多すぎてとても食べきれない。どの料理も3人前くらいはある。
タッパー3つがたちまち満杯になる。食器を下げにきた店員が私たちのタッパーを見て何やら喜んでいる。あなたたちはボックスを持ってきたのか、それはとてもいいことだ、それはどこのお店で買ったのか、メーカーは何か、と質問と高評価を受ける。それまでは愛想のないおばちゃんだなと思っていたら、ここに来て一変。汁物だからさすがに持って帰れないだろうと諦めていたスーラータンを、「スープ用の容器に入れてあげるわ」と包んでくれた。

中華料理は当たりはずれの差が本当に大きくて、バークレーに来てからも何度もお店選びで失敗してきた(某中華料理店では冷凍チャーハンを出されたことがある!それ以来、店内から厨房が見えるかどうかもお店を選ぶ基準に決めた)のだけど、ようやく「おいしい!」と言えるお店に出会えてよかった。


Kiku Sushi(日本料理)

昨年の9月に、Gilman通りにオープンしたお店。目印は鯉のぼりの飾りつけ。バークレーには日本料理屋さんはいくつもあるけど、感想としてはどのお店もまあそれなりのお味かな、というものだった(Ichiban、Sushi Sumo、Sushi Genki、Toyo、Anzu…どこも中国人が経営しているのは何でだろう?)。

そんなわけで、このお店にもそれほど期待せずに先月初めて寄ってみたのだけど、寿司ネタの新鮮さ&おいしさに関してはこれまで行ったなかで一番よかった!(Solano通りにあるSugataもなかなかおいしいと思うけど、お寿司についてはこちらに軍配があがると思う)私たちが席に着いたとき、隣の席で食事をしていた白人男性が退店するところで、店員に「とてもおいしかった」という賛辞を残していたのでもしや…と胸を高鳴らせていただけに、当たりを引いた喜びもひとしお。少々お値段は張るけど、おいしいものをおいしく食べる幸せが得られるので、悪くないお金の使い方だと思う。

Gilman通りのあたりは白人の富裕層が多く住んでいるエリア(美しく手入れされたお庭と高級外車が並ぶ)だからか、お客さんは私たち以外は白人だった。経営しているのはやはり中国人の一家だけど、スシについてアメリカ人に誤解してほしくない(スシを食べたけど、そんなにおいしくなかったよ、なんて言われたくない!)と思っているだけに、こういう良店には末永くがんばって欲しいなあと応援したくなる。その後お店の前を通りかかるたびに、店内はお客さんでにぎわっている様子なので、そんな心配も必要なさそうだけど。

2013年1月2日水曜日

謹賀新年

あけましておめでとうございます。
日本や世界が少しでもよい方向へ進むよう、少しでもたくさんの方がより幸せになれるよう、一個人としてひそやかに祈っています。そのために、まずは自分自身の足元を固めながら、世の中のことにも自発的に携わっていきたいと思っています。

昨年は、これまでの自分には絶対に無理だと思っていたことから壁が取り払われていった、そんな一年でした。このブログの開設も内向的でアナログな自分にしてはかなり思い切った決断でしたが、誰かの何かの役に立てれば、という気持ちで細々と続けていこうと思います。はじめましての方も、度々のぞいてくださる方も、どうぞ今後ともよろしくお願いします。

今までストイック過ぎる生き方をしては心身を追い詰めてしまうところがあったけれど、苦しい勉強はもう卒業。これからは楽しく笑って日々を暮らし、幸せを満喫していきたい。手に届く幸福を子どものように素直にありがたく享受したい。そんな風にして蓄えた力を別の形でどこかの誰かに循環していけたらいいな。そう思っています。

どこまで役に立つのかよくわからないけど、今年もバークレーから情報を発信していきます。