2012年12月31日月曜日

カーシェアリング

渡米前から夫婦で決めていたことのひとつに、マイカーは買わずにカーシェアリングを利用する、ということがあった。夫婦二人での生活にはそこまで車は必要ないのではないか、住まいから徒歩圏内に何軒かスーパーマーケットもあることだし、と。

UCバークレーの周辺ではZip Carというカーシェア会社の車をよく見かけたので、私たちもあの車に乗るのね、と思っていたらUC villageではCity Car ShareというNPOと契約を結んでいることがわかり、そちらを利用することに。UC villageでは敷地内に2台の車が用意されている。車種はトヨタのプリウスと、サイオンのXBという車。


申し込みはホームページから。いつものように(?)夫の代わりに私が手続きをする。申し込み画面で「大学生」であるというボタンをクリックすることがコツ。そうすると学割がきく!(通常なら年会費50ドルと月会費10ドルがかかり、あとは利用時間に応じて料金が加算されるところが、学生だと月会費が無料になるうえ、最初の2時間は無料になるサービスが受けられる)あとは、やはりいつものように個人情報を入力して送信。
すぐに登録したメールアドレスに返信がくる。「受付完了したので、下記のURLをクリックしてね」と書いてあるのでクリックすると、いきなり乗車にあたってのガイダンスが始まってしまった。あれ?これって私が見ても意味ないんじゃ…と思いながら、予約の仕方や車のロック解除の方法、電子キーの使い方、Gas Card(ガソリンの補充は利用者が行うが、ガソリン代についてはCity Car Shareが負担する仕組みで、その際に使うクレジットカードのこと)についての説明などを学んでいく。ところどころ、小テストまであるのでまじめにやらないといけない。こうして10分後、私はいつでもCity Car Shareを利用できるだけの知識を手に入れた。免許ないけど。
その後、再びメールが送られてきて、必要な書類の提出を求められた。必要なのは、カリフォルニア州の運転免許証のコピー(なければ自国の運転免許証のコピーと国際運転免許証のコピーの2つ)と学生番号が確認できるもの。夫はカリフォルニア州の運転免許を持っていなかったので、日本の運転免許証と国際運転免許証、それから学生証を写真に撮ったものを添付してメールで送り、正式に申し込み完了。日本から持ってきた英文の無事故・無違反証明書は出番なし…。
後日、電子キーが郵送で(普通郵便で送るのって、無防備すぎない?!)届き、予約用のIDももらえたので、さあこれでいつでもドライブできる♪…というのが数ヶ月前の話だった。その後夫は学業が忙しく、車の運転にまで手がまわらないというのが現状だった。12月半ば、冬休みに入りようやく夫が運転に取り組んでくれることになったので、これからは少し遠くまでおでかけできるかな、と楽しみにしている他力本願な妻。(だってみんながChaiは鈍くさいから運転はやめろって言うから!)

プリウスを密かに愛車にしようと企んでいる

2012年12月23日日曜日

人間万事、塞翁が馬


人生、何が幸せに転じるものなのか、つくづくわからないものである。いま私はちょっとした転機を迎えていて、そもそものきっかけは例の変質者だった。(その後の警察の対応は素晴らしいもので、私は通報してよかったと思っている。どんな対応があったのかについては、いずれ詳しく書くつもり)

はた迷惑なその男に遭遇したあと、この不運を打開したい!と家中の掃除にいそしみ、「1人とんでもない人に出会ってしまったので、私がこれから先に出会う10人はめちゃめちゃいい人たちであって欲しい」という煩悩を込めながら魔除けにホワイトセージを焚いた。トイレの神様(?)にも、「私はそこそこ苦労してきたと思うので、そろそろいっぱいの幸せが欲しいんですけど」と訴えてみた。その欲望が天に届いたのか、以前から天が定めていたレールに乗っただけなのかはわからないけど、おかげでソーシャルワーカーの紹介でUC villageで活動する環境保護団体との縁が生まれたという、まさに縁は奇なものなり。

2012年に発足したという小規模なグループだけど、多国籍なメンバーで構成され、みな第一言語が英語ではないというchallengingな条件下で情熱的に活動している。子どもたちへの環境教育(自転車に乗ろう!というイベントや読み聞かせによる啓蒙活動)を行ったり、住民の意識改革のために会議を開いたり、提携している50世帯に家庭訪問をして消費状況の調査をしたりしている。ほかには子どもの洋服やおもちゃの交換会を主催するなど、さまざまな手段で環境保護を訴えている。2011年に団体の立ち上げに着想し、UCバークレーから正式にNPOとして承認されて助成金をもらっており、決して主婦たちのお遊びではないのだ。

リーダーの話によると、UC villageには約1000世帯が住まいながらも、電気・ガス・水道の使用メーターがたった一つしかないのだという。そのため各家庭は自分たちがどれだけの消費をしているのか知る術がない。そしてたとえどれだけ無駄使いしようとも家賃(光熱費代も含まれている)は変わらないので、住民の省エネやエコに対する意欲を駆り立てにくいという環境なのだ。また、ここを訪ねた人ならきっと誰もが驚愕するであろう、ごみ捨て場の惨状も放ってはおけない問題のひとつだ。生ごみの山を見ては、UC village内には畑もあるのだしコンポストがあればいいのに、とため息をついていたのだけど、グループの先人たちの努力によって来年の春に導入されるという話を聞き嬉しく思っている。

私は環境教育に興味があるので、重曹とお酢(それと、もしバークレーで純石鹸が手に入るのならこちらも推奨したいと思っているのだけど、これは要調査)を使った環境に負荷をかけない掃除(eco-friendly cleaning)を住民に紹介することを自分の最初の活動にしようと思っている。グループから住民へメール送信するnewsletterに掲載する記事をこの年末年始に練る予定。ゆくゆくは、UC villageから出たごみが処理される過程を調べて住民にプレゼンテーションしたいとも思っている。

大学で環境保護と法政策について学んだこと(卒業論文のテーマは水の汚染だった)、大学時代に子どもへの読み聞かせ活動をしていたこと、最初に就職した先で会計の仕事をしたこと(リーダーからは会計の経験があることを喜ばれている)、転職先で外国人たちと共に働き英語で仕事をしたこと。そうした私の過去のひとつひとつの点がこれから、一本の線になろうとしている。

バークレーに来てから人生に追い風が吹いているかのように、小さなトラブルはあっても人間関係に恵まれ楽しい日々を送っている。このmulticulturalな環境で、社会に携わる活動をしたいというポジティブな思いが湧き上がってきていて、今の自分の背中を押してくれている。

2012年12月19日水曜日

オペラ「トスカ」


サンフランシスコにあるWar Memorial Opera Houseにてプッチーニの「トスカ」が上演されると聞き、夫と足を運んだ。

「トスカ」は恋愛をめぐる悲劇で、劇中歌の「歌に生き、恋に生き」があまりにも有名なオペラ。私がこの曲を初めて耳にしたのは小学校低学年のときで、ビールのCMに使われていたのを一度だけ聞いたのだった。その旋律やソプラノ歌手の声に衝撃を受け、それ以来ずっと忘れることができず、あれは誰の何という歌なのだろうと悶々としていた。10年近く経って、ソプラニスタの岡本知高さんのCDを聴いていたときにやっと念願叶って曲名にたどりつくことができた、という思い入れのある曲なのだ。

バスと地下鉄を乗り継いでCivic Centerという駅へ。到着したのは18時過ぎで、外はすでに暗くなっていた。着いてからまずは食事をしよう、とあたりを歩いたのだけど、Burger KingやSubwayなどのチェーン店がちらほら目につくくらいで、この辺はオフィス街だから仕方ないのかな、と諦めムードになる。すると角を曲がったところで「ベジタリアン」の文字が目に入り、見てみるとインド料理屋さんがあって、お客さんでかなり賑わっていて雰囲気もよい。迷うことなく入店。メニューには肉や魚は一切含まれず、アルコールも置いていないというストイックぶり(ケーキは置いてあったけど)。サフランライスとひよこ豆のカレーとラッシー(ローズの風味がした)を頼んでみたらとってもおいしくて、当たりのお店だった!(お店の名前を控えておけばよかった…)夫と「絶対にまたここに来よう!」と誓い合う。

オペラは20時開演なので、夜道をてくてくと歩く。このエリアにはLouis M. Davis Symphony HallやCity Hallといった美しい建物が並び、ライトアップされている。おまけに街灯も充分な数があるので夜でも怖くはない(「地球の歩き方」には、Civic Center駅の周辺は日没後には治安が悪くなると記載されている)。ホームレスはたくさんいるものの、通行人にからんでくるようなことはなかった。

会場に到着すると、豪華な建物に圧倒される。外観には細やかな彫刻が隅々まで施されているし、内装はシャンデリアに赤絨毯で気後れしてしまいそうになる。中には見るからに敷居が高そうなレストランまで併設されていた。正装したご婦人方がワイングラス片手に談笑している様子を遠目に見つつ、自分たちの席を目指す。いつものように最上階の隅という控えめな席なので、エレベーターでどんどん上へと上がっていく。そうして着いたのはいいのだけど、座席を探すのにひと苦労。なぜかというと15番の隣が通路を挟んで137番とかになっているので、いったいどういう配置になっているのだろう?と思いつつあちこち移動しながらやっと見つける。席を探しているうちに上演時間になったため場内の照明が落ちてきて座れなくなってしまう人も結構いたので、これはもうちょっとわかりやすくして欲しいなと思う。

舞台の上に小さなスクリーンがあり、上映中はそこに英語で字幕が表示される。私たちの席からはかろうじて読めるかどうかという感じだったので、せっかく観劇するのだから双眼鏡でも持ってくればよかったなと少し後悔。

上演中以外は撮影OKだったので、中の様子を撮ってみた。


舞台演出にも衣装にもこだわっていて、非現実感を楽しむことができて満足。生で聴く「歌に生き、恋に生き」には鳥肌が立ってしまった。窮地に立たされたトスカが神に救いを乞う歌詞が胸を打つ。旋律も美しくてやはりとても好きな歌だな、と思う。

War Memorial Opera Houseの外観 

2012年12月11日火曜日

Citibankのその後


今年の8月にCitibank N.A.で口座開設して以来のことを書いていなかった。結局、授業料の納入は期日に間に合ったのか?というあたりは、実はとっても恥ずかしい経緯があったので沈黙を保っていたのだけど、今年の恥は今年のうちに晒しておこうという前向きな?気持ちになったので公開してみようと思う。まるで参考にはならないけど、こんな人たちでもアメリカで生きていけるんだという励ましにでもなればと思っている。

ときは8月上旬(渡米直後)、Citibank N.A.にて夫婦共同名義で当座預金を開設できた。口座開設時に夫が学生であると告げると、口座維持手数料やATMを利用するときの手数料が一切無料になったのでありがたい。書類を書いていると、私のことも「学生」と書くように銀行員から言われる。「私は違うんだけど…」と言うと、手続き上だけの話だから大丈夫よ、と言われる。身分詐称とかにならないのかな?と思ったけど、銀行員がそうしろと言うのだからたぶん大丈夫なのだろう。今のところ何の問題も起きていない。

口座開設後、次にやるのはCitibank Japanにて海外送金先登録という手続きを行うこと。これをやらないとCitibank Japanの口座からCitibank N.A.の口座へお金を振り込むことができないのだ。

Citibank Japanのホームページから申込用紙を印刷できるので、記入を済ませたら郵送で日本へ送ることになる(ファックスやEメールでの申し込みは受け付けていないので)。このとき私たちはホテル暮らしだったので、プリンターを持っていなかった。申込用紙をUSBメモリーにダウンロードして、コピー屋さんに行ってUSBから印刷するというちょっと面倒な手順を経なければいけなかった。そしてとにかく急がないと!という思いで(授業料の納入期限はこの時点であと10日後に迫っていた)、FedExのオフィスまで行って書類を送った。送料は85ドルほど(約6,800円)高い、高すぎる!でも背に腹は変えられない!

それから毎日Citibank Japanのホームページで、送金先が登録されたかどうかチェックしていたのだけど、いつになっても反映されない。次第に焦ってくる私たち。Citibank Japanにこれで何度目かの電話をかけて質問してみた。書類を受け取ってから通常は何日くらいで手続きが終わるのか、と。返ってきた答えは「2~3日以内」というものだった。それ以上待っているけど反映されない、と訴えると「書類に不備があったのではないか?たとえば届出印の不相違など」と言われてしまった。何か不備があったかしら…?と思っているとCitibank Japanから書類が返送されてきて、別添の手紙には「届出印と申込用紙に押した印鑑の不相違」のため再提出が必要だと書かれていた…。(ねえ(^_^;)届出印はこの印鑑に間違いないってあなた言ってたよね?あれ?聞いてる?お~い…)

この時点で納入期限まであと2日。どうする?とテンパる妻に夫が一言。「支払いシステムにはきっとタイムラグがあるはずだから、とりあえず支払い手続きをやってみよう!」インターネットで支払い手続きをしてから実際に口座から引き落とされるまでに日数がかかるだろうから、その間に送金先登録が間に合うかもしれないという。いったいどこでそんな悪知恵を身につけたのだろう?と思いつつおそるおそる支払い手続きをしてみる。すると…「Paid.(支払い済み)あなたの支払いは完了しました」というメッセージが表示された。「?!」いいの?私たちの口座(Citibank N.A.)は預金0ドルなんだけど、18,000ドルも支払ったことにしちゃって本当にいいの?!

その後再びコピー屋にて申込用紙を印刷し、今度は日本から持ってきた印鑑3種類を全部押印して(届出印がどれだかわからないと言ったらこうするようにCitibank Japanの人に薦められた)、今度は郵便局から速達で送った。送料は27ドル(約2,160円)。そして連日、Citibank Japanのホームページにて登録されたかどうかを執拗にチェック。早く、お願いだから早くして~!

それにしても悪事というものはばれるものである。納入期限から3日後。大学から夫へメールが届いた。あなたの授業料の支払いが確認できませんでした、1ヵ月以内に延滞金を含めた総額を振り込んでください、と。え、延滞金…(>_<)

そしてCitibank N.A.からも夫宛てにメールが届いた。連絡が欲しい、とだけ書かれていたので、すわ口座閉鎖のお知らせか?と怯える私たち。低姿勢で「あ、どうも。実はちょっと問題が起きてしまって。日本からの送金が遅れてるみたいで、えっと、1週間くらいで解決すると思うんですけど。すみませんね」と返信する。それに対する返事は「No worry. Enjoy your days.」というカジュアルすぎるものだった。副店長からのメールだというのにMr. もBest regardsもなく、ビジネスメールの体裁すら整っていない。しかも新規顧客への単なる挨拶だったという…。大丈夫だろうか、この国は。

その後、待てど暮らせど送金先が登録されない。いったいどうしたのか。持っている印鑑は全部押したし、その中のどれか1つが合っているはずなのに…と思っていると、再びCitibank Japanから書類が返送されてきた。「届出印に一部欠けが見られるので、再度捺印のうえご返信を」と書かれている。まさかと思って書類を見てみると、3種類の印鑑のうち1つだけ、用紙の端にかかって欠けている。印鑑を押したのは私…。己のうっかり加減にがっくりと膝を突く。とりあえず届出印を突き止めることはできた、と自分を励ましつつ印鑑を押しなおす。どうせもう延滞金を払わないといけないんだと血の涙を流しながら、今度は普通郵便で送った。送料は1ドル5セント(約84円)。

そしてようやく送金先登録が完了し、期限から2週間遅れで授業料を納入。延滞金は468ドル、その後Citibank N.A.にも悪事が露見して罰金34ドルを課せられ、合計で502ドル(40,160円)の痛い出費となった!

みなさん、留学するときは、できれば授業開始の2週間前くらいには引越しして生活の基盤を整えておきましょう(夫は授業開始の2日前まで日本で仕事をしていた)。そして契約時の届出印はきちんと把握しておきましょう。…って、こんなことするのは私たちくらいだと思うけど。

2012年12月5日水曜日

意外と日本に近いチリ


このごろは国際交流が続く。今度はチリ人のクラスメイト(通称パトさん)からお夕飯に誘われた。ぜひご一緒しましょう!と返事したのはいいものの、チリという国について恥ずかしながらほとんど知識がない…。食生活は、文化は、歴史はどんなものなのか?あわててインターネットで検索する。ああ、手土産には何を持っていこう?

食文化はどうもお肉とワインが中心、地域によっては魚介類も食す、ということがわかって、うーん肉じゃがはどうだろうと悩む。そんなとき、実はパトさんの奥さんがご懐妊中で、かなりお腹が大きいという情報を夫から得て、たちまち狙いを「妊娠後期の女性におすすめの料理」に定めなおす。妊娠後期に必要な栄養素は、鉄分にカルシウム、食物繊維にビタミン…要するに全部だよね(^_^;)?と行き詰る。考えがまとまらないままスーパーマーケットをさまよい、山積みになっていたサツマイモを見て、これなら美味しいしビタミンCも食物繊維もあってよさそうだと買って帰り、ケーキを作って持っていくことにした。(これが奥さんにとっても喜ばれた。「食物繊維?私にぴったりね!夫にはあげないわ、私が一人で全部食べるの♪」と。)

パトさんの自宅には、チリの自然や家族の写真がたくさん飾られていて、立派な国旗も掲げられていた。故郷を離れて学ぶ同志として胸が熱くなる(私は学んでないけど)。リャマの写真を見つけて思わず「リャマ!」と言うと、よく知ってるね、と驚くパトさん。間欠泉の写真には「これ、日本にもあるよ!」とはしゃぐ私たち。チリにも温泉があるらしい。パトさんが温泉卵の説明をしてくれたので思わず笑ってしまう。(あ、やっぱりみんな同じことをするんだ!)

食前に軽くつまめるスナックを出してくれた。夫がはまっているトルティーヤと、「セサミ・スナック」というもの。このセサミ・スナック、どう見ても胡麻せんべい。食べてみても、やっぱり胡麻せんべい。夫と顔を見合わせる。「これって、せんべいだよね?」はて、チリの食べ物は日本と似ているのだろうか?(セサミ・スナックにはクリームチーズを塗って食べるのがチリ流。)

その後いよいよ、奥さんの手料理をごちそうになることに。チリの伝統的な料理よ、といって並べてくれたのが、ひき肉の上にコーンクリームを重ねてオーブンで焼いたもの。これが、日本人の舌になじむ味つけでとってもおいしい!薄味で食べやすくて、それほど油っこくもない。それから、ほうれん草とクルミを使ったサラダとトマトを使ったサラダ。デザートには手作りのレモンケーキ、と身体によいメニューが続いた。チリの料理がこんなに日本食に近い味つけだなんて、想像もつかなかった!

食事をしながら、会話が進む。パトさん夫妻は若きインテリご夫婦で、とっても流暢に英語を話す。南米の人の英語もなかなか癖があって私にはハードルが高いのだけど、このお二人にはほとんど訛りがないので驚いた。チリで弁護士をしていたという奥さんは、昨年UCバークレーのLaw Schoolを卒業し、今度は入れ違いにパトさんがUCバークレーの公共政策学科に入学することになった、という優秀すぎるご夫婦。この二人の間に生まれる赤ちゃんはさぞや素晴らしい遺伝子を引き継いでいるに違いない!

ふと話題が銃のことになったときに(この前地下鉄の駅で、警察がちょっと行動が不審だっただけの人を射殺してしまった事件があったんだよ。信じられないよね?とパトさん)、「日本ではどういう人が銃を持っているのか?」という質問をされて、私は何気なく「うーん、警察とヤクザかな」と答えてしまった。すると、初めて耳にした「ヤクザ」という単語が、二人の知的好奇心を思いがけず刺激してしまった!

ヤクーザ(ジャパニーズ・マフィア)というのは特定の一派の名称なのか?それともマフィアの総称なのか?、ヤクーザはマフィアと言うからにはドラッグを扱っているのだろうが、他には何をしているのか?、誰がヤクーザなのか、どうやって見分ければよいのか?、一般人はヤクーザを見たら急いで逃げなければならないのか?と質問攻めにされるはめに。

私たちもひとつひとつ、真摯に回答する。ヤクーザは総称で、ドラッグの他には売春なども斡旋していて、見るからに派手なスーツを着ているからすごく目立つよ、ヤクーザは一般人を襲うことはないから大丈夫だ、などなど。するとパト夫妻は、「チリにはギャングはいるけど、ヤクーザのように組織化されてはいないわね」と話し、「やはりそれは細長い国だからか?」と、夫が的を得ているのかいないのかよくわからない質問をした。(それにしても、せっかくならもうちょっとまともな日本文化を紹介したかったのに…ああ、失敗!)

それから、私たちが日本人だということで自然と津波の話題になった。チリでも2010年に大地震と津波があって、そのときに政府が避難勧告を出すのが遅すぎたために大きな被害を出したのだ、と教えてくれた。2011年に日本で震災が起きたとき、チリではすぐにその影響力を調べて海を越えてやってくるかもしれない被害に備えていたのだ、とも。地球の反対側に位置しているのに、互いの国の地震や津波が大きな影響力を持っている。案外、近い国なのかもしれない。

そんなことをしみじみ考えながらも、好奇心旺盛で語学堪能な彼らは、食事のあいだに次々と日本語を覚えていく。2時間で彼らがマスターした単語は、「こんにちは」、「ありがとう」、「トモダチ」、「乾杯!」、「さよなら」、そして「ヤクーザ」!

私にとって、一気にチリへの親近感が湧いた出会いだった。パトさんは終始、チリなんて誰も知らない国だよ、と遠慮がちに言っていたけど、もっと知ることができたら互いの国の文化も痛みもわかりあえる気がする。もっと多くのことが「知らない国の知らない出来事」なんかじゃなくなれば、もっと多くの人が一緒に幸せを作っていけるんじゃないかな、なんてことを思った夜だった。

2012年11月30日金曜日

アメリカの警察で事情聴取


アメリカで犯罪被害に遭って警察から聴取を受けるという貴重な経験をしたので、どんな感じだったのか少し詳しく書いてみようと思う。私が感心したのは、性犯罪に対する警察の対応が日本のときと全然違い、被害者の心情や希望を伺い、最優先させてくれたことだった。

~Officeでの聴取(警察官とofficeのスタッフ、ソーシャルワーカーと私の4人)~

部屋に通された後3人から、今の気持ちはどうか、あなたが話したいと思うまで待つので、座ってお茶を飲んでリラックスして、と言われる。この3人はこのとき初めて顔を合わせたそうだが、冗談を交わしたりしていて、こちらを和ませようとしてくれているのがわかる。特にソーシャルワーカーは日本語で自分のことをいろいろと話してくれたり、常に私の近くにいるように気を遣ったりしていてくれた。

警察官から、聴取を開始していいか、と確認される。I'm ready.と答えると、「私と二人だけで話したほうがいい?それともこの場で他の二人に聞かれる形でもかまわない?」と聞かれる。私が、たぶんときどき日本語でのヘルプが必要になると思う、とソーシャルワーカーを見ながら答えると、彼女は「オーケー。もちろん通訳します」と微笑んでくれて、警察官もそれならここで話しましょう、と言って聴取開始。

最初に全員のIDを警察官に提示する。カリフォルニア州の運転免許証を持っているか?と聞かれたけど私は持っていないので、代わりにパスポートを提示。他の二人はUCバークレー関係者の身分証だった(ちらっと見た感じでは学生証と同じような体裁をしていた)。それから、全員の氏名と電話番号とメールアドレスを警察官は紙に書きとった。

次に私の詳細を書いていく。「人種はアジアン、髪の色はブラックね、瞳の色はブラウン…」身長と体重を聞かれたとき、とっさにインチとポンドに換算できなかったので、センチメートルとキログラムで言っていいですか?と聞くと「いいわよ」と言われる。私の回答を聞き取ったofficeのスタッフが手持ちのi Phoneで単位換算してくれた。「軽い!軽すぎるわ!私が子どものころの体重よ!」と言いながら。

私は事前にoffice宛てに事件の詳細や犯人の服装などをメールで送っていたので、そのメールを全員が印刷して持っていてくれた。とてもわかりやすい、こんなに詳しく覚えているなんてすごい、と褒めてもらいつつ、事件の顛末を説明する。

警察官からは、犯人の服装について予想以上にかなり詳しく聞かれた。たとえば私が、男はカーキ色のcap(つば付きの帽子)を被っていた、としか言わなかったら、「capと言ってもどんなcapだったのか、つばの大きさは大きかったか小さかったか、帽子の素材は何か、帽子に何かロゴは付いていたか、帽子から髪の毛は見えていたか」などといったレベルで聞かれるので、私も記憶をたどりながら描写していく。そんな感じでジャケットと、中に着ていたものについて(私が男はジャケットの前を開けていた、と答えたので)、ズボンと靴、持ち物について答えていく。

次は犯人の外見について。「男は白人で50歳くらいとあなたは言っていたわね」と確認されてから、髪の色と長さ、髪はカールしていたかストレートか、ひげは生やしていたか、刺青をしていたか、アクセサリーをつけていたか、など聞かれる。私が何気なく、男は清潔できちんとしていて(clean and neat)、uglyではなかった、悪い印象はしなかったのでてっきりここの住民だと思っていた、と話すと、officeのスタッフが「イケメン(good-looking)だった?!」と身を乗り出してくるので皆で笑ってしまう。うーん、イケメンではなかった、ただこちらを警戒させる印象はなかったの、と説明し直す。

そして、男から露出されて白いものを出されたときのことになるとさらに詳しく聞かれる。Officeのスタッフがここでまた「(男が放ったものは)あなたの身体にかかっちゃったの?!」と慌てる。男とは1メートルくらい離れていたのでそれはなかった、と答えると「よかった!でもそんな近くでなんてあんまりだわ」といたわってくれる。警察官からは、その瞬間の男の着衣の様子、言動はどうだったか、私に襲いかかることはあったか、私が逃げたときに追いかけてきたか、などと聞かれた。

また、事件の内容が内容だけに、はっきり言ってかなりきわどい質問もあった。(男のズボンはずいぶん汚れたのではないか?という質問は聞き取れなかったので、通訳してもらった。)英語での性的な表現については映画や本である程度知ってはいたけれど、まさかその知識を使って英文を組み立てて話す日が来るなんて夢にも思わなかった!アメリカン・テレビドラマの中のガールズトークをしているような気持ちになった。

事情聴取はここで終了。警察官から、あなたがよければ現場検証をしたいけどかまわないか、と聞かれてもちろん、と答える。4人で歩いて自宅まで行って、事件の流れをあらためて説明しながら当時の具体的な立ち位置を説明する。この場所で私は男の存在に気がついて、階段のここで話しかけられて、再び歩き始めたらまた声をかけられて立ち止まったのがここ、というように。

そして現場検証も終了。「ありがとう!あなたは本当によくやってくれたわ。あんなに怖い出来事があったのにこんなに覚えていて。多くの女性は性犯罪に遭うと黙ってしまうの。でもあなたのおかげでこんなに情報が得られて助かったわ」と警察官。「私はもうすぐ誕生日なの。誕生日までには犯人の証拠が見つかって、家の居場所をつきとめて、警察が家にいったら犯人がちょうど家にいて逮捕するのよ!そうなったら最高のプレゼントだわ!」とofficeのスタッフ。

私が、あの男はきっとまた同じことを繰り返すし、もっとひどいことをすると思う、私が一番おそれているのは、他の女性がもっとひどい目に遭うことなの、と言うと「あなたはすばらしい女性よ!とても誇りに思うわ」と皆から握手され、ハグをした。

そのあと私はソーシャルワーカーとofficeに戻り、カウンセリングを受けた。日本語と英語を交えつつ、さりげなく個人的な話もしながら、リラックスするための方法を具体的に提示してもらったり、ヨガや瞑想などvillageで行っているサークル活動も紹介してもらったりした。


~翌日(警察官と私の2人)~

昨日と同じ警察官が自宅を訪ねてきた。あなたに確認したいことがあって、と言う。
「もし警察が犯人を逮捕したら、あなたはどうしたい?」と聞かれた。私が、犯人の顔を確認したいというと彼女は大きく頷く。そして「あなたは犯人を刑務所に送って欲しい?」と質問される。うん?どういう意味だろう?と思っていると、彼女は警察の仕組みを説明してくれた。

強盗や強姦のように身体に直接危害を加えるような凶悪犯罪の場合は、警察は犯人を逮捕したあと被害者の希望とは関係なく自動的に刑務所送りにする、そして今回のように身体に直接の被害が及んでいないような、比較的危険度の低い犯罪の場合は(「でも、今回の事件ももちろん深刻なものよ」)、犯人を刑務所送りにするかどうかは被害者の希望によるのだ、と。

私は、犯人を刑務所送りにして欲しい、なぜならあの男は今後も犯罪を繰り返すだろうし、おそらくもっと有害な行為をするであろうと思うから、と答えた。警察官は「私と同じ見解でうれしいわ。私も犯人は刑務所に入れなければいけないと思うの」といい、話を続けた。
「あなたは30歳だというけど、ずいぶん若く見えるわ。小柄だし、girlに見えるのよ。犯人は小児性愛者かもしれないから、女の子たちに被害が出ないようにしなければならないわ」(個人的には、この手の話題は慣れているし理解もできるので、私は特に失礼なことを言われたとは思わない。事実として私は5フィート未満と背が低くて童顔で、欧米人からは小学生に見えるといわれるので)

そしてよければ私の写真を撮らせてほしいと言われたので、かまわないと答える。犯人はこういうタイプの女性(女の子?)を狙うということを警察で把握して、マークしておきたいのだと言う。もし犯人を見かけたり、もしくはまた別に怖い思いをすることがあったりしたらすぐに電話して、と言って彼女は去っていった。

事件後の対応というのはこれでひととおり終了した。伝えたいことは全部伝えることができたので、それについては満足している。ただ、何しろほんの数日前の出来事なので、実はまだよく眠れないし食欲もない。自分で思っていた以上に恐怖を感じていたようだ。ありがたいことに、来週にはもう一度カウンセリングをしてもらえるので心強い。あせらずに時間をかけて恐怖心を克服していこうと思う。

2012年11月29日木曜日

UC villageで再び、犯罪発生


Village内でまたしても性犯罪が起きてしまった。今回被害に遭うこととなったのは、実は私。

先日の夕方、アパートメントに隣接するランドリールーム(住民専用に洗濯機と乾燥機を設置してある部屋)に寄った帰り道のことだった。私がアパートメントの階段を上っていると後ろから男性が上がってきたので、てっきり同じ建物の住民なのかと思っていたら、つけられていたのだった。見た目には怪しい様子はなかったので、話しかけられたときもまさかあんな目に遭うなんて思いもしなかった。

結果的に言うと男は露出(と放出!)することが目的だった。実はそのとき自分の部屋のすぐ近くまで来ていたのだけど、瞬間的に「自分の家を知られるのはまずい」と思って自宅の前を素通りして、アパートメントの廊下を走って逃げた(この対応は後で警察官から褒められた)。幸いにも男は追いかけてくることもなく、振り向いたときには立ち去っていた。不幸中の幸いだったのは、こちらの身体に危害を加えてくるようなことはなかったことと、男が銃やナイフなどの武器を持っていないようだったことだろう。

そのあと、今年の9月にやはりvillage内で起きた性犯罪(男が水道業者を装って部屋に入り、露出した事件)について書かれたビラを改めて読んでみて、犯人の特徴から同一犯だと確信した。本当はすぐ警察を呼んだ方がよかったのだろうけど、動揺が収まらなかったし、一人きりで警察官と話せる自信がなかった。

結局、翌日になってからUC villageのofficeにメールを送って通報した。すると、すぐにofficeから電話がかかってきて、「メールを読んだわ。本当に怖い思いをしたわね、お気の毒に。あなたさえよかったら警察に報告したいんだけど、大丈夫かしら?」と言われた。私はぜひ警察に話したいから、とofficeに出向くことにした。(officeのスタッフは親切にも、「外に出るのがまだ怖ければ、あなたの家に警察官を派遣することもできるわよ」と言ってくれた)

Officeに到着すると、3人の女性が待っていた。警察官とofficeのスタッフ、それからソーシャルワーカー(後でカウンセリングをしてくれた)だった。隠れ家的な場所にある建物に案内され、終始こちらの心情を気遣われながら、事件の詳細や犯人の特徴を説明した。幸運なことに、ソーシャルワーカーさんはとても上手に日本語が話せたので、警察官の質問の意味がわからないときには彼女が通訳してくれた。(彼女は、メールに書いてあったあなたの名前を見て、あなたは絶対に日本人だと確信していたの、と話してくれた。彼女には日本人の旦那さんがいて、日本に5年間住んだことがあるらしい)

怖い思いをしたのに、よくこんなに覚えていたわね。アメリカに来たばかりでこんな嫌な思いをさせて本当にごめんなさいね。こういう思いをした人は胸に秘めてしまうことが多いのだけど、あなたはとても勇気があって同じ女性として誇らしいわ。そんな風に励まされたり労わられたりしながら、現場検証(男が放ったもののDNA採取も)も含めて調査を終えた。

私がもっとも恐れているのは、犯人がこの次にはもっと悪質な行為を他の誰かにするかもしれないということ。犯罪の内容が9月の事件と比べてエスカレートしていたから。だから報告したかったし、住民にもどうか知らせてほしい、と伝えた。

UC villageに住む女性のみなさん、50歳くらいの白人男性でカーキ色の衣服を着た人を見つけたら、どんなにもっともらしく声をかけられても無視して逃げてください!見知らぬ男性に必ずしも親切にしてあげる必要はありません!
(追記:officeの発表によると、前回の被害者もアジア人女性だったことが判明。)

Villageにいると、芝生や公園で子どもたちが遊んでいたり、みんなで助け合って暮らしていたりして、ついほのぼのしてしまうのだけど、外部から誰でも入ってこられる構造をしている以上、やってくるのは「いい人」ばかりではないのだ。

それにしても、アメリカに来てからまだ4ヶ月だというのにすでに2回も怖い目に遭っている。(以前、ホテルの部屋に侵入されたことがある)。そういえば、スーパーマーケットで男性店員から卑猥な冗談を言われたこともあった。

一歩家を出たら安全の保証はない、ということを学習できたと思って、日々警戒して暮らしていくしかない。あと一年半、ここで生きていくわけだから。

2012年11月27日火曜日

郵便局


月に一度か二度、郵便局へ行く。京都に住む姉とバークレーで暮らす私との、そして4歳の甥っ子と30歳の叔父さんとの文通のために。

私がいつも行くのはDowntown Berkeley駅の近くにある、少し規模の大きい郵便局。



中に入ると、まるでヘアドライヤーのような形をしたケースがあり、手動で番号札を取って自分の番号が呼ばれるのを待つ。日本のように機械化されていて「22番の番号札をお持ちの方は、3番窓口までお越しください」なんていうアナウンスは流れない。

アメリカの郵便局で提供されるサービスは、手紙を送るか、小包を送るか、もしくは郵便局留めにしていた小包を受け取るか、くらいのもの。日本みたいに預金はできないし、保険なんて扱っていないし、ふるさと小包便なんて粋なサービスにはお目にかかれない。葉書の販売すらしていない。おまけに日本だったら当然のように、お客さん用にボールペンや糊が置いてあるものだけど、こっちでは盗難防止なのか、そういったものは置いていない。ときどき「誰かペン持ってる?」「持ってるわよ、どうぞ」とお客さん同士でやりとりしている。すっかり見慣れた光景だ。この国では不便さは助け合いで補うものなのだ。

初めて郵便局に行ったとき、窓口に着いてから、そういえば普通郵便って英語で何と言うんだろう?と思い、苦しまぎれに「この手紙を普通の方法で(regular way)で送りたいの。速達じゃなくて(Not express)」と言ったらわかってもらえた。言ってみるものだ(^_^;)ちなみにアメリカでは普通郵便のことはfirst-classというらしい。日本まで1ドル5セント(約84円)という安さで封書を送れることにびっくり!(届くのには1週間くらいかかる)

この前などは番号札の用紙が切れてしまっていたのに、窓口の黒人の恰幅のよいおばちゃんは気がつかずに番号を次々に読み上げていくので(番号を呼ばれたら即座に返事しないと、容赦なく次の番号が呼ばれてしまう!)、すかさず「番号札がないんです!」とアピールしたら、おばちゃんは補充してくれるわけではなく、「レバーを下げて、ふたを開けて、中の紙を引っ張り出すのよ!」と、慣れた調子で教えてくれた。
どうもこの番号札は、札を千切るときに自分の後の人のことを考えて長めに外に引き出してから千切らないと、次の人は札を取れなくなる構造らしい。おばちゃんに言われたことを頭の中で反芻していたら(ええと、まずレバーで、それからふたで…)、近くにいた他のお客さんが手早く中の紙を引き出してくれた。

窓口のおばちゃんたちはいつでもフレンドリーで、スタッフ同士やお客さんと冗談を交わしながら大きな身体を揺すって豪快に笑う。見ていて明るい気持ちになるのでなかなか気に入っている空間だ。

先日私は速達で書類を送りたかったので、郵便局に備えてあったそれらしき封筒に入れたのだけど、どうも封筒を間違えていたらしい。おばちゃんは「この封筒では速達にならないのよ。こっちの封筒に入れてあげるわ。速達だとあと5ドルかかるわよ」と教えてくれた。以前、黒人特有の早口の英語に戸惑って聞き返したときにも丁寧に説明し直してくれたりと、いつも親切にしてくれる。

郵便局で手紙を投函してホカホカとした気持ちになったところで、お気に入りのMorgan's cafeに寄ったりベトナム料理屋さん・Saigon Expressでフォーを食べたりする。それから図書館で本を借りて、raw energyでジンジャーたっぷりの野菜ジュースを買って、バスに揺られて帰る。これが私の、たまに過ごす楽しい一人時間。

2012年11月18日日曜日

インド人のお宅訪問


先日、夫のクラスメイトで南インドからやってきたというキャンディさんのおうちで夕食をいただいた。

キャンディというと何だか女の子みたいな名前だけど、実は50歳すぎのおじさん。本名が外国人には難しい名前なので、キャンディと名乗っている。初めましてと挨拶すると、瞳をキラキラと輝かせながら微笑み、大きな肉厚の手で握手してくれた。全身で「Welcome!」と伝えてくれているようだ。

キャンディと奥さん、同じくクラスメイトで南インドからやってきたウジャラと旦那さん、やはりクラスメイトで韓国人のリーさん一家と私たち夫婦。総勢9名、アジアの晩餐会となった。

この日はインドの暦ではお祭りにあたるらしく、キャンディ夫妻は「Happy Diwali」と言って民族衣装を着ていて、部屋のあちこちにキャンドルを灯していた。本当はインドではこのお祭りのときは花火をやるのだと教えてくれた。そしてなぜか最初にデザートを出された。スシヤム(日本のsushiと同じ名前だよ、と説明してくれた)という名前のココナツを使ったお団子のようなお菓子と、麺を揚げたのかな?と思わせる揚げ菓子(こちらは名前を聞きそびれてしまった)。

奥さんが振舞ってくれたインド料理は、ナスのカレー、チキンのカレー、もうひとつ忘れてしまったけど辛めのカレー、それからナンにライスにヨーグルト。日本人にとってはカレーはなじみがある食べ物だし、スパイスの使い方も控えめで辛すぎず、とても食べやすい。以前、キャンディ夫妻の引越しを手伝ってくれたリーさんにカレーを食べてもらったら、「辛い!」と驚かれたので辛さを控えてくれたらしい。奥さんが「日本人に食べてもらうのは初めてなの。味はどうかしら?」と気にかけていたので、「とても美味しい!日本ではインド料理は人気があって、レストランもいっぱいあるよ」と答えるとうれしそうだった。

彼らはみな気さくに話しかけてくれるのだけど、私は慣れないインド人の発音に四苦八苦。質問されても意味を理解できるまでに時間がかかってしまい、とっさに返事ができなくて残念。それにしても、彼らのよどみなく英語を話せる能力には目をみはるものがある。

私の名前が珍しいのか、キャンディは何度も名前を確認してくる。私はアメリカに来てから一度も名前を正しく読まれない。「ち」で始まる名前は外国では珍しいのか、名前だけ見た人は私を中国人だと思うらしい。以前アメリカ人から間違えて「チャイ」と呼ばれたことがある、と話したらインド人たちにウケた。

手土産には、さんざん悩んだ末に羊羹を作って持っていった。(インターネットで検索したら、インド人は醤油や味噌の味つけはあまり好まないとか、「柿の種」が良いとか(?!)、甘いお菓子が喜ばれるなどと書いてあったので、半信半疑で日本のお菓子を作ってみようと決めた)インドの人たちは珍しそうに見て、「これはベジタリアンか?」と聞いてくるので、アズキという豆でできていると答えると、安心したかのように口に入れてくれた。

時計をみるといつのまにか21時。いつも21時半に床に就くというキャンディがあくびを連発し始めたので、ここでお開き。

別れ際、奥さんは「困ったことがあったらいつでも電話してね」と言ってくれた。ありがとう、でも私はあなたの電話番号を知らないんだけど、と思いつつその優しさが胸に温かかった。

2012年11月13日火曜日

バレエ観賞


先月、Cal Performanceで「Swan Lake(白鳥の湖)」を観てきた。Cal PerformanceというのはUCバークレーにて、クラシックコンサートやダンスパフォーマンスなど芸術鑑賞ができる企画のことで、学生だと内容によっては15ドルという安さ(一般でも30ドル)でプロのアートに触れることができる。

夫も私もバレエとは縁のない人生を送ってきたのだけど、以前見た映画「ブラック・スワン」でにわかファンになり、いつかはバレエを観てみたいよね、と話していたら、思いがけず早く「いつか」がやってきた。夫がCal performanceの会員になっていて、今後の上演スケジュールがメールで送られてきたのでチェックしていたら、Swan Lakeを上演することがわかり、いそいそとチケットを購入。最上階の隅という慎ましい座席を選んで、二人で45ドル(約3,600円)。

当日会場に向かうと、観客には小学生くらいの女の子連れの家族が圧倒的に多くてびっくりする。女の子たちはみな前髪なしのロングヘアで、髪をお団子に結っている子も多い。白いタイツを履いている子や、一目でバレエの衣装とわかるひらひらとしたスカートを履いている子も少なくない。バレエを習っている子にとっては確かに、憧れの舞台に違いない。

舞台は休憩をはさみながら3時間にわたって行われた。休憩時間だけで1時間はあったと思うので、演技は実質2時間くらい。観客のノリがいいのはアメリカだからか、バレエだからなのかはわからないけど、拍手という方法で観客も参加しているような気がする。それぞれの役者に見せ場がきちんとあって、観客は惜しみない拍手を送り、歓声をあげる。

ストーリーは、映画「ブラック・スワン」では悲劇だったのだけど、この公演ではハッピーエンドだった。演出家によって変えられるものなのだろうか?それとも何パターンかストーリーがあるのだろうか?

終わってからしばらくは夫婦のあいだで白鳥の湖ブームになってしまい、夫が大学から帰宅するとバレエで登場(そのときの気分で王子だったり悪い魔法使いだったりする)、音楽も自らの口で演奏してノリにノっている。ここは妻もあわせなければ、とバレエで出迎えるというおかしな光景が家の中で繰り広げられることとなってしまった。

2012年11月8日木曜日

図書館通い


地下鉄BARTのDowntown Berkeley駅の近くに公立の図書館があり、Berkeley Public Libraryという。そこには日本語の本も置いてあるので、足しげく通っている。

貸出券を作るには写真付きの身分証明書と、住所を確認できるものが必要なので、私はパスポートと自分宛にCitibank N.A.から届いた郵便物を持っていった。受付に行く前に、端末に自分の住所や生年月日を入力し、登録をすませてから受付で貸出券を発行してもらう仕組み。

南米系と思われる女性が利用にあたっての説明をしてくれた。大人は延滞すると罰金を払わなくてはいけないというのが何となくアメリカっぽいなあと思う。貸出期間は3週間と長い。

日本語の本の在庫は寄贈で成り立っているのか、紀伊国屋書店の値札シールが貼られたままの本もある。「アメリカで生活するには」というようなマニュアル本から料理の本、小説、なかには漫画もあって驚き。(でも大体は5巻と6巻だけ、などという取り揃えなのでストーリーはつかめなさそう…)

以前寄贈してくれた方の中に、村上春樹さんの熱心なファンがいたようで、せっせと読んでいる。三十路になってわかるようになったものに、村上春樹さんの作品の面白さとビールの美味しさの2つがあって、世界が少し広がった。よい変化だと思う。

ところで一度、自分の用のついでに夫が借りたCDを返却したことがあったのだけど、さすがアメリカ、事務がスムーズには運ばない。次に夫が図書館に行ったときに「返却していないCDがある」と言われ、返したはずだと言っても「ない」と言われるばかりで、結局「今回は延長したことにしてあげるから、また3週間後に返してね」と言われてしまったらしい。

あらためて夫が図書館に行くと、夫が現在借りていることになっているはずのCDが棚に置かれているのを発見し(!)、もう説明する気にもなれなくてそのまま返却の手続きをしたそうな…。

まあこちらも、住民税すら払っていないのに無料で本を貸してもらえるのだから文句は言えないのよね。日本語の本が読めるだけでもバンザイだよね。なんて、期待値がますます下がっていくアメリカン生活(^_^;)

2012年11月1日木曜日

ハロウィン


アメリカで暮らす機会なんて、おそらく今後の人生ではもう得られないだろう、と思ってハロウィンに参加してみることにした。UC village内でもかなり盛り上がるイベントらしく、ハロウィン前にはカボチャの販売会も開かれるし、あちこちの家で飾りつけが行われている。

お菓子は、信頼しているお店・Natural Grocery Marketで見つけたYumEarthのorganic lollipopを選んだ。これが着色料ゼロ、砂糖ゼロ、グルテンも一切含まず、100パーセント天然果汁を使用しているという、夢のようなキャンディ。



着色料なしという文句にふさわしく、アメリカのお菓子にしては目にやさしい素朴な色合いで、味見してみると、これがとてもおいしい!もう1本、あと1本、これで最後…とついつい食べてしまい、夫から「あ~あ、Chaiのせいで悲しい思いをする子が出てくるね」と言われてしまった。

飾りつけについてはあらゆるお店でグッズが売られていたけど、なかなか可愛いと思えるものが見つからなかった(リアルなガイコツとか目玉とか血のりのついた足首とか、こんなの暗闇で見たら泣きそう!というものばかり)ので、自分で絵を描いて玄関に貼ることにした。

オバケにちなんで、夫の好きなオバケのQ太郎の絵を描いた。隣には私のお気に入りのドロンパ(Qちゃんの仲間でツンデレの先駆け?的なキャラクター)を。これ、外国人が見ても何のことだかさっぱりわからない。でもいいさ、オリジナル性で勝負だ!(誰と?何の?)



その夜うちを訪れたメンツをご紹介。いきなりギリシャ神とオバマ大統領というビッグな組み合わせで始まり、サムライ、スーパーマン、ウォーズマン(アメリカのコミックヒーロー)など、凝ったコスチュームで男の子たちが続いた。女の子たちはみな可愛らしく魔女やお姫様で登場。

ハロウィンのマナーなのか、どの子も1つしかキャンディを手にとらないので、「Have some more!(もっとどうぞ!)」と言うとやっと2つ目をとり、3つ目は辞退する。同伴する親も、1つもらった時点で「もうもらったから、いいでしょ?」と去ろうとする。

うれしかったのは、ドアに貼ったオバケのQ太郎を指して、「初めて見たけど、とてもかわいい!」と言ってくれた韓国の女の子がいたこと。さすがは日本が誇る藤子不二雄先生、国境を越えて子どもの心をゲットだ!

2012年10月24日水曜日

How to おそうじ


新居に越してから2ヶ月近くが経ち、そうじについてようやく自分なりのやり方を確立できた。
床部分はマイクロファイバーのタオルで水拭きしている。Bed Bath & Beyondというホームセンターのようなお店で10枚入り9ドルくらいで購入したもの。これは掃除以外に、食器を拭くのにも使えるし、メガネのレンズやパソコンの画面のほこりなどもよく取れるので重宝している。日本にいたころに使っていた「げきおちくん」に似ていると思う。

他方、部屋の大部分を占めるじゅうたんをどうやって掃除しようかと悩んだ。アメリカの掃除機はとっても評判が悪いのでできれば買いたくないなと思っていた。日本にいたときは畳敷きの部屋だったので堅く絞った雑巾でよかったのだけど、じゅうたんだと他に手段は…?

以前どこかで、ゴム手袋でじゅうたんを撫でるとゴミがとれると読んだことがあるので、しばらくは地道に這いつくばってやっていた。(これがかなりの重労働なのに、大してごみも取れず、おまけに摩擦でゴム手袋が破れるという悲しい結末に…)やっと、ダイソージャパンで粘着テープ式のコロコロクリーナーを手に入れたので、入居以来初の大掃除をしてみたら、けっこうな量のごみがとれた。これだと使用済みテープが毎回ごみになるからベストな方法ではないかもしれないけど、アメリカの掃除機を買って掃除機自体がごみになってしまう(重い、でっかい、吸わない、すぐ壊れるという噂!)よりは、と自分を納得させている。

実は、浴槽のそうじが一番頭の痛い問題だった。日本にいたときより汚れが落としづらくて苦労していた。浴槽の材質の違いなのか、はたまた水道水の性質の違いなのか、見た目には汚れなんてないのに、スポンジでこするとどこからか黒い消しゴムのカスのような汚れが出てきて、これがガムかと思うほどの粘着力で落とせない!市販の洗剤でも全然落としきれないので、浴槽を見るたびにモヤモヤした思いが募っていく…。

ホテル暮らしのときもこれを体験していた。もちろん毎日スタッフが清掃してくれるし、部屋の他の部分の清掃状態を見る限りではプロ意識を持って掃除してくれている。洗剤を使って浴槽を掃除している姿も目にしているのだけど、どうも水垢を落としきれないようで、ザラザラとした質感が残っていて不思議に思っていた。

インターネットで調べてみると、どうもアメリカの水道水が硬水だから水垢が落としづらいらしい。洗剤についていろんな方が情報提供してくれているのだけど、これといった効果のあるものはないらしく、みな妥協しながら生活しているようだった。

ところが、偶然良い方法を見つけてしまった!いつものように汚れと格闘していて、全然落とせないのでついに嫌気が差した。そしてヤケになって、いつもは入浴時にひとつかみ入れている塩を、「穢れには塩だ!」とばかりに浴槽にぶちまけて(?)こすったらポロポロと簡単に汚れが取れ、べたつきもない。今までの苦労は何だったのかと思うほどあっさりときれいになった。あれ?何か知らないけど道が開けた?(*_*)

これはたぶん、塩の成分が効くというよりも、研磨剤のような効果(粗塩を使っているので)を果たしているからじゃないかと自分なりに推測している。例のおそうじ相談サイトでは、「水垢は紙やすりで削れ!」派と「紙やすりは浴槽も削るからダメだ!」派が争っていて、私のように塩を試したという人は一人もいなかった。2週間以上続けているけど、今のところ特に弊害は出ていないので今後も続けてみようと思っている。もしある日浴槽が削れていることに気づいたら追加レポートするつもり…まあ、たぶん大丈夫…。

2012年10月18日木曜日

亡き子を偲ぶ


十月という月は私にとって、一生忘れることなどできない悲しみが心に刻まれた月。
今月、息子の一周忌を迎えた。ささやかなお供えをして、近況報告をした。

私には息子がいる。一年前、産声をあげることなく産まれてきた。息子は私の病気を治すために来て、その使命を果たしたので旅立った。医学的な因果関係は証明できないけど、私はそう信じている。

私は脳外科手術が必要な病気を抱えていて、いよいよ手術しようというときに息子がおなかにやってきた。そしていくつかのアクシデントを経て亡くなり、その後で私の病気が治ってしまっていることが判明したのだ。妊娠中はもちろん薬など一錠も服用していなかったのに、MRI検査も血液検査も結果は正常となっていた。

当時は本当に打ちのめされ、もう生きていけないと思った。(今でも、火葬場で息子を見送ったときの気持ちを寸分違わず思い出すことができる。)だけど同時に、息子が何のために亡くなったのかもよくわかっていた。だから生きていかなければいけないと思った。
息子には息子の持つ宿命があり、彼が自分で決めた理由で宿り、帰っていくという選択をしたのだ。だから私はそれを尊重したいと思っている。

週数が経ってからの死産だったので、息子はおなかの中ででそれなりに育っていた。亡くなったあと、まるで意思を持っているかのように自ら陣痛を起こして産まれてきた。夫にそっくりな顔をして、にっこりと微笑んでいた。

亡くなったあとも、息子は姿を変えて会いに来てくれている。あるときは小さなトンボになり、またあるときは通りがかりの小さな男の子になって。
こんな話は、子どもを亡くした人にとっての気休めかもしれない。だけど、息子と私はどこかでつながっていて、また帰ってきてくれるような気がしてならない。今はそれまでの短いお別れなんだと信じている。

「お子さんは?」と聞かれたときは、心のなかで「います」と答えている。
私には息子がいて、今は訳あってよその世界へ留学しているんです、と。

2012年10月12日金曜日

サンフランシスコでお買い物


先日サンフランシスコに行ってみた。と言っても今回は買い足したいものがあったので買い物メイン、海沿いのいかにも観光地らしいエリアには行かなかった。

最寄りのバス停でAC Transitバスに乗り、地下鉄BARTに乗りかえる。この電車に乗るのはアメリカにやってきたとき以来。サンフランシスコ空港からBARTを見たときはデザインからして貨物列車だと思っていて、そのすぐあとにまさか自分がこの電車に乗ることになるなんて思いもしなかった(^_^思わず「これ、人が乗るんだ?!」と言ってしまったのを覚えている。

さて、買い物の話を。夫の思いつきでPowellという駅からジャパンタウン(紀伊國屋書店やダイソーなどがある日本街)に向かって歩くことになって、その区間はバスも通っているというのに40分くらいかけててくてく歩いた。O'ffarel通りをたどっていったけど、ここって本当に観光地?と思うほど道路が汚くて、鼻をふさぎたくなるようなひどい悪臭が漂い、ガラの悪そうなホームレスがうようよしていた。信号待ちで立ち止まるたびに、ホームレスが物色するような目で私たちを眺めるので気が気ではなかった。「まだ?まだ?」何度も地図を見ながら早くジャパンタウンに着いてほしいと焦った。

やっとVan Ness通り(ジャパンタウンの近く)にぶつかると、がらりと様子が変わって治安がいいエリアに入ったことが一目でわかり、ほっとした。帰ってから「地球の歩き方」を読むと、O'ffarel通り(私たちが歩いたTenderloinというエリアは特に)はサンフランシスコで最も治安が悪い、と書かれていてやっぱり!と納得。午前10時にしてあの雰囲気を放つというのはただならぬ感じ。それにしても無知って怖い。

数日後、サンフランシスコが全米で汚い街11位に格付けされたことを新聞で知ったけど、これには異議なし!参考までにいうと1位はニューヨークということだった。

紀伊國屋書店では1階に漫画、2階にそれ以外の書籍や雑誌などを置いていた。久しぶりに日本語の本に囲まれ、ついつい長居してしまう。タイミングよく、文庫本3冊で15パーセント引きキャンペーンというのをやっていたので迷いながら3冊選んだ。輸送料込みなので、確かに値段は高い。日本で売られている価格の1.5倍くらいか。

ジャパンタウンにはお土産屋さんが多かったので、ひととおり見てまわった。白人が多かったのは、やっぱりここも観光地のひとつだからだろうか?獅子脅しを探しているという女性やお香について店員さんに教えを乞うている夫婦など、オリエンタルなものに憧れている人々を見ると内心嬉しくなってしまう。お土産品は日本人からすると「うーん…どうも違うのよねぇ」と言いたくなってしまう代物ばかりだったけど。(ニンジャ・ブーツなんて名前の奇抜な長靴とか!)

ダイソーで念願のレモン搾り器(我が家はこちらに来てからすっかりレモネードにはまっている)を見つけ、夫は私が目を離したすきに、どういうわけかバドミントンセットと縄跳びをレジかごに入れてしまった。どうやら、学業のストレスでアメリカン・スナックに逃避し目下増量中の夫が、運動で健康を取り戻すつもりでいるらしい…。

そこからちょっと歩いて、フィルモアストリートというショッピングエリアへ。私の目当てのL'Occitaneに行く。乾燥にすっかり悩まされていたので、ホームページでチェックしておいたボディクリームを買う。ふと固形石鹸が目に入り、石鹸好きとして思わずこれも買ってしまう。

ちなみにフィルモアストリートでは、店先に犬のえさ箱に水を入れたものを置いているお店が多い。見ていると犬を連れてお散歩しながらふらりとカフェに立ち寄ったり洋服屋さんに入ったりするお客さんが多く、連れのワンちゃんは店先でお水を飲んで休憩したり一緒に店内をまわったりしている。お水を置いているお店は犬の同伴OKというサインらしい。犬連れにやさしい(ただし坂道は厳しい)ショッピングエリアというところかな。

それから、Powell駅前のWestfield San Francisco Centreに行った。ここはショッピングモールのような感じで日本でもおなじみのブランド店などが集まっている。夫のお目当てのBOSEのヘッドフォンを買い、ぶらぶらとモール内を歩いていたらL'Occitaneを見つけてがっかり!ああ、せっせと坂道を登っていったというのに…。

何軒か洋服屋さんをひやかして気づいたのは、日本では警備員がモール内を巡回するのに、このモールでは各店舗に専属の警備員がいる、ということ。そういえば普通のドラッグストアや1ドルショップのようなところでさえ警備員がいる。犯罪に対する意識がやっぱり違うのね!

今回は観光していないので、いつか機会があれば、ぜひフィッシャーマンズワーフなどに行ってみたい。

2012年10月7日日曜日

自由奔放な住人たち


UC villageにはいくつか規定があって、たとえば「洗濯物を外に干してはいけない」とか「ペットを飼ってはいけない(魚を水槽で飼う、鳥を籠で飼うのはOKだけど、それ以外の犬や猫などは禁止)」というものがある。

でもこれ、実はあまり守られていないのが現状。洗濯物は見たところ半分以上の家庭で外干ししているし(我が家も)、なかには共用スペースのベンチやテーブルの上に布団を干すツワモノまでいる。また、欧米人は乾燥機を使うのが一般的で洗濯物を外に干さないと聞いていたのだけど、皆さん思考が柔軟なのか、外干しに転向している。

あとペットを飼っている人が意外と多くてびっくり!家から堂々と犬とともに登場し、散歩を始める人たちを両手では数え切れないほど目撃した。ベビーカーを押しながら犬をリードでつないで散歩させているお父さんとか、庭に燦然と犬小屋を置いて大型犬を飼っている家庭とか、なんとも自由な感じ。villageのごみすて場にペットフードの袋が捨てられているのを見て「?」と思っていたけど、こういうわけか、と納得。

他に面白いなあと思う規定は、「他人の子どもを勝手にしつけないこと。注意したければその子の親に話を通すように」というもの。確かにこれだけいろんな国の人たちが住まうと、文化と文化のすれ違いも多いだろうから無理もない。きっと過去になにかトラブルがあったのだろう…。

「騒音トラブルについては、まずは本人同士で穏やかに話をつけること。それでも改善しなかったときにはvillage officeへ連絡すること」というのは、そうか、officeの人も大変なのね、お疲れさまです、と言ってあげたいけど、普通はまず第三者を介するものなんじゃ…?これって、血の気の多い事件とかに発展しないかな(^_^;)

騒音については最近まで我が家も頭を抱えていた。入居したその日の夜、うちの部屋の床や壁、天井にまでズシーン、ズシーンと振動が走るので地震かと思ったら、階下の人が流す音楽だと気がつき、それが始まりだった。階下の住人はヒップホップだけならまだしも、同じフレーズをマントラのように繰り返すトランスミュージックを爆音で1時間以上、朝・昼・深夜を問わずかけるのですっかり参ってしまった。ときどき感極まった彼が魂の求めるままにシャウトしてしまうからたまったものではない。しかし人間の順応力って不思議なもので、だんだん「あれ、これって結構いい曲なんじゃない?」と洗脳されてくるので危ない危ない。

夫婦でいろいろと憶測した。ああいう音楽を好むのは黒人じゃないか、いや偏見はよくないよ、意外と日本人かもしれない、…絶対ないよ(-"-)聞いている音楽からして何か怪しい宗教に入っているんじゃない?だって8月なのに外にクリスマスリース飾ってるんだよ?そもそも本当にバークレーの学生なんだろうか?もしかして勝手に住み着いたんじゃ…、etc.

ちなみに実際に確認がとれたのは、彼が黒人で、10月になった今でもやはりクリスマスリースを飾ったままだということ。

結局、お手紙を書いて彼の家のドアにそっと貼ってみようかと話し合っていたあいだに、お隣のインド人のお父さんがこの黒人に注意をし、黒人が見事に逆上したため明け方4時に大喧嘩となってしまった!(1時間にわたる騒ぎで、私は暴力沙汰になったらどうしようとハラハラして携帯電話を握り締めてベランダで聞き耳を立てていた。お隣のおばあちゃんも出てきていた)この黒人の風変わりな理論が炸裂したため話し合いは決裂、後日インドのおじさんがofficeに通報したことで騒音はやっと鳴りをひそめた。

その後、この黒人の家族が引っ越してきた。かわいい女の子が「This is my house!」と嬉しそうに話しかけてきたので、「そうなんだ、いいねぇ、ここがあなたのおうちなんだ」と答えるとはにかんで駆けていってしまった。彼の様子も優しいパパといった風情で以前の騒ぎなんて想像できないほど穏やかだった。きっと家族と離れていて寂しかったのだろう、と夫と意見が一致し、ようやく静かな生活が始まった。

2012年10月3日水曜日

AC Transitバスには期待しない


Berkeley周辺だけでなく、北に位置するRichmond、南に位置するOakland、はてはSan Franciscoにまで展開しているバス会社、AC Transit。車を持たない人は利用せざるをえないのだけど、これがもう、実にストレスフルなバスなのだ!

時刻表とおりには、まず来ない。5分前に行ってしまうこともあれば15分以上遅れてくることもある。都バスのようにバス停ごとに電光掲示板があって「いま2つ先の停留所にいます」などとは教えてくれないので、待っている客はバスがもう行ってしまったのか、まだ来ていないのかわからないまま、とにかく待ち続けるしかない。
ごくまれに電光掲示板が設置されている停留所もあるけど、それもあてにならない。以前私は電光掲示板で「次の72番のバスは62分後に来る」と表示されたので、バスを諦めて徒歩で帰ることにしたのだけど、その3分後に72番のバスが私を追い越していったことがあった。

でもこれには、ちゃんと防御策がある。ホームページでチェックすればリアルタイムでバスの運行情報を知ることができるシステムがあるのだ。さすがにそこは先進国の面目を保っている。このシステムの精度はともかくとして。

もうひとつのストレスは、全体的にみて運転が荒いこと。ブレーキのかけ方、カーブの曲がり方などに配慮がないので、座席に座っていてもどこかにつかまっていないと身体が振り回されてしまう。

最後に、総じて運転手のモラルが低いということもある。私が遭遇したのは、AC Transitの制服を着た女性(かなりの確率でAC Transitの社員と思われる)が乗ってきて、運転手の隣に立ちはだかり、運転手に延々と話しかけ続けていた光景。ちょっと、どうなのよと言いたくなってしまうけど、これはまだ可愛いもの。

またあるときは、運転手がどうも携帯電話で誰かとお話したいようで、バス停で止まると、おもむろに車外へ出て携帯電話で話し始め、数分が経過。「あれ?」と思っていると会話を終えて再びバスに戻り、運転を再開。そして途中で他の乗客がみな降りてしまい、お客が私だけになってしまった。すると、またバスが止まり、エンジンも止まり、運転手はバスを降りてどこかへふらりと歩き出してしまった。「?!」まさか、まさかの職場放棄?!そしてこういうとき、日本的寛容の精神で「まあいいか」とおとなしくしていると損をしてしまうので(と、私は思い込んでいる)、私は運転手を追いかけ、「次のバス停で降りたいの!」と言ってみた。すると黒人のおじさんドライバーは「やだもんね」とは言わなかった。「じゃあバスに戻って」と言い、無事に送り届けてくれた。

なかには、停車ボタンを押しても無視して停車してくれない運転手もいた。すわ日本人差別か?アジア人差別か?と息巻いたけど、白人など他の乗客にも同じことをしていた。どうやら運転手はそのときそんな気分だったみたい。

これはやっぱり、便利で快適に暮らしたいなら自分で車を運転せよ、ということなのか?(そもそも、ここってほんとに先進国?という疑惑がふつふつと沸きあがってくる今日このごろ


2012年9月27日木曜日

バークレーは本当に安全か?

アメリカ全体からみれば、バークレーという街は治安がいい。近隣の街(南のオークランドは全米ワースト4位、北のリッチモンドは全米ワースト8位 ※3年前のデータを参照)に比べれば。大学のあるバークレーもUC villageのあるアルバニーも、昼間なら女性が一人歩きしても大丈夫だし、歩いていていきなり銃を突きつけられるようなこともなく、割と普通に生活できてしまう。

ただし、ここで治安がいいというのは、殺人は起きていない、という意味であることに注意が必要。昨年の犯罪データによると、バークレーでは殺人は0件だけど、その他の犯罪(強盗、車上荒らし、性犯罪など)は他の都市より件数は少ないとはいえ、それなりに起きている。

UC villageも家族寮といえど犯罪とは無縁ではなく、過去に侵入盗があったという話は聞いていた。先日などはとうとう、水道業者を装った男が住居内に入っての性犯罪まで起き、village officeから住民に警戒を促すメールが送られてきた。

奇しくもその日、THE DAILY CALIFORNIANという地元紙でUCバークレーの単身者用の寮内で悪質な性犯罪が起きたと報道されているのを読んだ。その事件は実は8月末に起きていて容疑者はすぐ逮捕されたものの、寮の管理人が住人に事件のことを知らせていなかったために住人から怒りの声があがっている、とも書かれていた。

その影響もあってか、今回のUC villageでの事件後には警察を交えての説明会が行われた。犯人(被害者が悲鳴をあげたためすぐに逃走した。幸いにも実害はそれほどではなかったらしいが、まだ逮捕されていない)についての情報もあちこちに掲示され、敷地内でパトカーをよく見かけるようになった。

夜、玄関のチャイムが鳴っては、宗教の勧誘やら何の目的かよくわからない募金活動をする人々が訪れる。今までは寮という響きの気安さからチェーンもかけずに応対していたが、チェーンをかけてドアを開けることにした。

やはり何が起こるかわからないから常に防御の姿勢をとっていないといけない。再び自分を戒める。

<2013.11.3 追記>
「銃を突きつけられるようなこともなく」と書いたけれど、実は今年に入ってからUCバークレーのキャンパス周辺で、銃を使った強盗が5件ほど起きているという。夜間に限らず日中でも事件が起きており、銃を使わない強盗の被害もあると聞いている。特に、バス停でi phoneをいじっているアジア人がi phoneを奪われるケースが多いそうなので、キャンパスを訪れる方はご注意ください。

<2014.6.21追記>
今年の4月に、UC village内で銃を使った強盗事件が起きた。車から降りてきたところを狙われ、犯人は逮捕されていない、という情報が住民にメールで届いている。このほかにも、UC villageの周辺では子どもの誘拐未遂が少なくとも3件は起きているので、寮だからといって安心しないように気をつけてください。


2012年9月22日土曜日

健康の作り方


日本にいたころ、漢方薬局に通っていた。私は虚弱体質で、於血(おけつ。血の巡りが悪い)で水毒(すいどく。不要な水分の排出がうまくできない)で気虚(ききょ。エネルギー不足)という、健康状態に大いに難ありということだった。漢方の煎じ薬はこの世のものとは思えない味とにおいだったけど、身体に合ったので効果は感じられた。

でもある日ふと気がついた。このまま漢方を続けているぶんには体調もいいけど、アメリカに行ったらどうするの?漢方薬局なんてそうそう見つからないはず。

そこでようやく、漢方に頼らずとも健康になれるように、薬膳やマクロビオティックの勉強を始めたのだった。薬日本堂の本を中心に読んだり、管理栄養士の木下あおいさんのセミナーにも参加したりして。

私の場合は特に血のめぐりが悪く、長いあいだ偏頭痛にも苦しんでいたし下半身の冷えもひどかった。痣ができやすいという悩みもあった。なので浄血作用のある食材についても調べ、毎日せっせと香菜を食べた。たまねぎや大葉、クレソンなどを中心に。
そして血流を妨げないように、白砂糖の入ったものをできるだけ摂らないことに決めた。
完璧にやめるのではなく(実際のところやめられない…)身体が自然と欲するときもあるので、自分の身体の声を尊重して必要なときには摂るようにしている。

水毒で下半身のむくみもひどかったので、あずきの茹で汁を飲んだり(もちろん煮たあずきも食べる)、大根を使った料理を頻繁に食べたりもした。(特に切干大根はデトックス効果が高く、煮汁も残さず飲むといいらしい!)温かいはとむぎ茶とどくだみ茶も欠かせない。

食生活だけに頼らず、ウォーキングで体力増強を、経絡マッサージで血行促進もはかった。こうして渡米前2ヶ月から体質改善を始めると、最初はゆっくりと、あるときを境にするすると体重が減っていった。3年前から増え続けていた体重が、今ではピークのときから7キロも減った。(一時は誰かに会うたびに「おめでた?」と言われていた…)やせるためというよりも健康になりたいという切実な思いで始めたけど、今となっては身体が軽くて楽だし、体力はついてきたようだし程よい感じ。

そして思わぬ副産物も得られた。それは、生理痛がなくなったということ!経血の色が明るくなり、さらさらとした質感になって塊がでなくなった。そして痛みがなくなったのだ。(血の話が苦手な方はごめんなさい)おかげで以前ほど憂うつになることもなく、むしろ快適。

食べ物って大事なんだなあと実感。と同時に、それまであまり自分の身体を省みてこなかったことも反省。知らない間にずいぶん身体を痛めつけていたのね、と申し訳なく思う。そしてこんなにもすぐに応えてくれることに驚異を感じる。(ということは、身体に悪いものを食べるとすぐに反映される、ということなのよね?)

バークレーでは日本の食材が手に入るので、以前とほとんど変わらない食生活が送れるのでとてもうれしい。アメリカ暮らしというと、みんな食生活の心配をするけど、少なくともここでは選べば身体によいものを食べられる。

2012年9月18日火曜日

ピアノ・レッスン


UC villageに入居したときに渡された入居のしおり。ここはアメリカだし契約に関してはしっかり把握しておかないと、と思ってせっせと読んだ。そして見つけてしまったのが、piano roomの存在!

UC villageは約1000世帯が住まう巨大な家族寮。子どもや奥さんをはじめ、住民のためのレクリエーションやクラブ活動が盛んに行われている。体育館やジム、グラウンドまであるという豊かな福利厚生。そして体育館の中にはピアノルームがあり、40ドルを払って登録すれば日に最大30分、週に最大で5日利用できる、と書いてあった。

「わ~、やりたい!」忘れかけていた音楽への情熱が一瞬でよみがえる。でも40ドル(現在は1ドル=約80円なので、約3200円)だよ?いや、だってあれよ?日本に帰ったらまた賃貸生活だし、ピアノに触れられる機会なんて一生で最後かもしれないじゃない!と自分と対話。あっけなく申し込むことに決定。入居後しばらくは家具の調達などに追われていたけど、そろそろ落ち着いたのですみやかに登録♪

Village Officeに出向いて、「ピアノルームを使いたいので申込用紙が欲しい」と伝えると、空いている曜日と時間帯を教えてくれた。出足が遅かったのですでにけっこう埋まってしまっていた。週に4日しか枠がとれなかったけど自分の生活ペースを考えてまあいいか、と妥協。
そして支払い。なんと、40ドルというのは1semester(セメスター。学期のこと)あたり、ということだった!(UCバークレーは2学期制なので、つまり半年ちかく有効ということに)しおりには記載がなかったので、てっきり毎月40ドルかかるのかと思っていた。これなら安い!

10年以上のブランクを経て、ピアノに触れる。鍵盤のタッチってこんなに重かったんだ、としんみりする。楽譜の読み方も忘れてしまったので勉強し直す。両手の指を違うように動かす感覚が、じわじわと戻ってくる。リハビリとして最初に選んだのは、ベートーヴェンのMinuet in G(メヌエット ト長調)。それからバッハの同じくMinuet in G。

私は人生においてピアノを持ったことも習ったことも一度としてなかった。だけどどうしてもピアノが欲しくて、両親にせがんでおもちゃのキーボードを買ってもらった。うちにはピアノを買えるだけのお金がなかったから。自分で楽譜の読み方を覚え、両手の指を動かす練習をした。
当時は吹奏楽部に在籍していたので、顧問である音楽の先生から理解を得て、部活後の音楽室でピアノの練習をさせてもらった。そうしてベートーヴェンのソナタ「月光」と「悲愴」をごく一部だけ弾けるようになった。だけど受験やら何やらを言い訳にして、いつのまにかキーボードにもピアノにも手を触れることはなくなり音楽とは無縁の生活を送るようになってしまった。

私の実家の隣家にはピアノが上手な女の子がいて、いつも彼女のピアノを耳にしていた。彼女は中学2年生にしてベートーヴェンの月光と悲愴を全楽章弾きこなしていたので、今から思えば相当な腕の持ち主だった。いつからか私はその2曲をピアノで弾けるようになりたいと夢見るようになったのだ。

個人的にはラヴェルの「水の戯れ」や「亡き王女のためのパヴァーヌ」、サティの「ジムノペディ」や「おまえがほしい」がとても好き。マイケル・ナイマンの「楽しみを希う心」も(映画は見たことがないけど)また、旋律の美しさに心が洗われるような気がする。

これからはしっかり権利を行使してピアノの練習に励もう♪ピアノルームの外では激しいビートでダンスのレッスンが繰り広げられていたり、バスケットボールの練習でにぎわっていたりするけど、これは自分のための時間。美しいものに触れて暮らしたい。

2012年9月15日土曜日

UC villageへの入居★虎の巻


今後入居する予定の方がいたら、お役立てください。
UC villageにはEastWestの区画があり、Westの方が新しく増築された区画らしい。また家の種類もタウンハウス型(日本ではテラスハウスとかメゾネットと呼ばれ、部屋の中に階段があるタイプ)とアパートメント型がある。私はアパートメント型に住んでいるので、そちらに関する情報をご紹介。

<入居前>
入居の申込みや部屋の割り当ては、大学の管理事務所「Housing Office」が行う。我が家は身を持って痛感(-“-)したけど、このオフィスが実にいいかげんだという評判で、入居の順番待ちについては日本の常識を捨てたほうがいい。つまり申込書類を送ってじっと待っているだけでは順番が来ない可能性もあるので、電話やメールで催促した方がよい。また、渡米前に部屋が決まっていなくても直接オフィスに行って訴えるとその場で部屋を割り当てられたという話も耳にする。たとえ一人のスタッフに断られても別のスタッフに訴えると主張が通ったという話も多いので、断られてもあきらめないこと。アメリカでは、住まいは自分の力でもぎとるべし!

<鍵の受け取り&入居後の事務>
UC villageには上記とは別の管理事務所「Village Office」がある。鍵の受け取りと入居前の説明はここで行う。入居後3日以内に、部屋の状況を報告する(破損などがないかどうか)書類を提出することになっているので、入居したら項目にしたがって部屋をチェックすること!
また、Laundry Cardというカードも渡される。これはアパートメントごとに専用のランドリールームがあり、そこで備え付けの洗濯機と乾燥機を利用するためのカード。(UC villageでは室内に洗濯機と乾燥機を設置してはいけない。ちなみに食器洗浄機もダメ)

<間取り>我が家は、2LDKS(1畳くらいのスペース)+UB+バルコニー
部屋の数やユニットバスの数によって家賃が異なるので、入居申込の書類記入時に部屋のタイプを選ぶときは要注意。

※家賃には以下のものも含まれている。電気代、水道代、ガス代、インターネット接続料、駐車場料金(各戸ごとに車1台分のスペースが割り当てられている)。そのため、家賃さえ支払えば、その他諸々を個別に契約して、かつ毎月小切手で支払うという不便さがないのが嬉しい!参考までにいうと、うちの間取りの場合の家賃は1,555ドルです(2014.4.1現在)。

<部屋に備えられているもの>
大型冷蔵庫(冷凍庫付き)、オーブン、ガスコンロ(4つ)、消火器、エアコン、窓にはロールブラインドが付いている、シャワーカーテン(ユニットバスなので)、収納はかなり多くポールもあらかじめついているのでハンガーをかけられる

<その他>

・トイレがO型便座だった!日本から船便でU型便座カバーを送ってしまい、失敗…(/_;)

・バスタブが浅い。肩までお湯に浸かれた日々が恋しい…。

・建物によって日当たりのよさが全然違うらしい。(どの部屋を割り当てられるかは運次第)

・敷地からそう離れていないところをアムトラック鉄道が走っており、昼夜を問わず汽笛を鳴らすので、音が気になる人には辛いかも。でも日に数回の頻度だし、汽笛も数秒で鳴りやむので、私の場合だけど寝ていたのに目が覚めるというようなことはない。

・部屋でインターネットを引くにはケーブルが必要。部屋のどこでもインターネットに接続できるようにしたいのならルーターも必要。これを知らなくて入居早々、焦った!ホテル滞在時のようにWi-fiか何かで、パスワードさえわかれば即インターネットに接続できるものと思っていた(^^

・退居時には家具を残さないようにしなければいけない決まりがあるので、つまり入居時に家具が何もない。UC villageのあちこちでMoving Sale(引越しのため家具を売ります!セール)をやっているので安く家具を買えたりもする。バス停に貼られているチラシやUC villageのホームページをチェックしていると掘り出し物が見つかったりする。車がある人はIKEAまで行って調達したりもしている。

<2013.5.4追記>
先日、UCバークレーから手紙が届き、今年の7月1日から全戸について、家賃を1.5パーセント値上げすることになった、と書かれていた。そんなわけで概ね20~30ドルくらいが上乗せされることになった。こういうこともあるのね!

<2014.6.21追記>
その後、さらに家賃が上昇することが発覚。今年の7月1日から全戸に着いて、今度は3パーセント値上げすることになった。そんなわけで、うちと同じ間取りの家賃は1597ドルにアップ!

それから、今後バークレーに来る方にぜひお伝えしたいことがもう一つ。

village officeが昨年の夏から大きく方針を変えたようで、「villageには学生を優先的に住まわせる」ことになった模様。visiting scolarやポスドクで現在villageにお住まいの方たちは続々と退去通告を受けて、引越しを余儀なくされている。昨年バークレーに来た方たちによると、学生以外(visiting scholarやポスドク)の方は、小さなお子さんがいたとしても入居を断わられてしまっているので、これからいらっしゃる方で該当する方は、住まいを自分で見つけなくてはいけない可能性が高い、ということを念頭に置いておいてください。

2012年9月13日木曜日

我要中国語的能力


カリフォルニアに来て驚いたこと、それは中国人の多さ!アジア人が多いとは聞いていたけど、私の経験からいうとそのうちの8割くらいは中国人であることにびっくり!もっとも大学に通っている夫によると、タイ人も韓国人もインド人もチリ人もいて本当に人種のるつぼなんだとか。

でもやはりUC village内を歩いていて一番多く見かけるのは中国人だし、私が住んでいるアパートメントの隣も向かいも上の部屋も中国人。引っ越してすぐに中古の家具を買い取ったのも中国人からだった。

日本にいたころは反日・反中感情に基づく出来事も起きていたし(今でも、これからも起こるだろうけれど)、感情を扇るような報道もされていた。私自身、愛国心や日本の歴史・外交について考えるときには、正直なところ中国に対する否定的な感情もある。

だけどこちらで知り合い、会話をした中国の人たちは皆本当に感じがよく、親切なのだ。社交辞令もあるかもしれないけれど、日本から来たというと「Oh,Japan!」とニコニコして、口々に「東京に行ったことがある」、「1年間住んだことがある」などと話してくれる。私たちも嬉しくなって、挨拶程度の中国語を使ってみたり、漢字を書いて筆談してみたり、夫は出張で二度中国に行ったことがあるのでそのことを話したりすると、満面の笑みを浮かべて応えてくれる。なかには、バスを待っていたけど全然来なくて困っていたら、同じバス停で待っていた中国人が「もういい、私は車でいくわ!あなたたちはどこまで行くの?乗せてあげる」と車で大学まで連れていってくれたこともあった。(名前も連絡先も告げずに去ってしまったのでお礼はできなかったけど)

そんなとき、お互いに四苦八苦しながら第一言語ではない英語でやりとりするのだけど、内心、少しは中国語が理解できたらいいのにと思ってしまう。慣れない外国で奮闘しているなかで、外国人がたまには自分の国の言語を理解してくれる瞬間があったら嬉しいだろうに。

ここでは、国政のことはひとまず脇に置いておいて、異国の地で苦労しながら勉強し生活している者同士としての連帯感というべきか、無言の平和協定みたいな安らぎが感じられるのが面白い。

~余談~
隣室に引越しの挨拶をしに行ったときのこと。

呼び鈴を鳴らすと、アジア人のおばあちゃんが出てきた。
とりあえず英語で隣の部屋に引っ越してきたことと日本から来たことを告げると、おばあちゃんは顔の前でしきりに手を振る。(いきなり交流拒否?!ジャパンと言ったのがいけなかった?!)呆然としているとおばあちゃんが言葉を発する。

おばあちゃん:「○☆△□×#%~」
夫と私:「??(中国語だ!)」「え、えーと、ジャパン。リーベン(日本)」
おばあちゃん「☆□$#~」
夫と私:(全然わからない)とりあえず私たちの部屋の方を指差し、自分たちの顔を指してみる。「ジャパン、ルームナンバー○○
するとおばあちゃん、向かいの部屋を指差し、次に自分の耳を、それから口を指し示して、最後に×印を作った。
夫と私:「???」(隣家のお向かいさんは、耳と口が不自由なのだろうか?)
おばあちゃんはなおも中国語を話しつづけ、会話がまったく成立しないまま私たちは「グッバイ」と部屋をあとにした。

後日このおばあちゃんに廊下で遭遇したときも(ちなみにおばあちゃんはいつも、共用スペースである廊下に堂々と洗濯物を干す)、話しかけてくれるのだがやっぱり全然わからない。「□♪~」「…Oh,…oh,good bye」実にしっくり来ない。



2012年9月8日土曜日

銀行口座の開設


ホテル暮らしをしていたころ、夫の大学から授業料の納入についてのメールが届いた。具体的な金額と支払い期日、支払い方法が記されていた。私たちは渡米前にCitibankの口座を開設してきたから大丈夫、さっそく支払おうということで、案内に従ってインターネットで作業を進めてみた。
ところが!「支払いに使用する銀行の支店名を選んでください」という項目の選択肢を見ると、「アラスカ、アラバマあれ?アカサカは?」アメリカの州しか選択肢がない。はて?どういうこと?

Citibank Japanで作ったキャッシュカードやら契約時にもらった資料なぞをひっくり返してみたのだが、どうにもよく理解できない。インターネットで調べようにも、ちょうどこのとき接続環境の悪いDowntown Berkeley YMCA Hotelに滞在していたので、かたつむりのような速度でしか調べものが進まない。深夜にCitibank Japanに電話をかけて問い合わせてようやく判明。

それは、Citibank Japanは日本の銀行であって、アメリカのCitibankとは別物である!という極めて明白な事実と、そのため授業料の納入にはアメリカで銀行口座を開設する必要があるということ。てっきりCitibank Japanはアメリカの銀行の支店だと思っていたおばかな妻。そして思った。「あれ、じゃあCitibank Japanの口座を開設した意味は?」オペレーターさんは辛抱強く教えてくれた。Citibank Japanでは、必要な手続きをした場合にはインターネットを通じて外国の銀行口座に送金できるという仕組みです、と。なので、 Bank of Americaなり, Wells Fargo, Citibank N.A(North America)なりで口座を開設しなければならない、とも。

そしてそもそも日本円での預金をアメリカのATMでドルとして引きだす方法すら知らなかった。(だめだ完全に失敗だ!)それを告げると、おねえさんはその方法まで教えてくれた。まずはCitibank Japanのホームページにログインして、日本円の普通預金口座を使ってドルを購入(外貨購入)。そこから外貨引出し専用口座にドルを移す(振替)、という流れを丁寧に教えてもらった。そしてお礼を言おうとした瞬間に電波が乱れ、電話が切れてしまった。情けを受けておきながら申し訳ないけど成す術なし、無念

こうして、アメリカの銀行で口座を開設すべし、と道筋が示された。それはいいけれど、さて困ったことになった、と思った。私たちは当時まだ住所が定まっていなかったので、銀行口座なんて開設できるのだろうか?いや、できるわけないよね?というピンチに立たされていた。「どうしよう、このままでは授業料が支払えない!」

夫のツテを頼り、ホテル暮らしでも銀行口座を開設できないものかと周囲に聞いてみた。すると、私たちと同じような状況でも開設できたという頼もしい経験談を耳にした!夫婦でいそいそとCitibank N.Aに向かい、藁にもすがる思いで口座開設スタート!

窓口に持っていったものは二人のパスポート、UC villageの契約書(入居予定日と住所が記載されているもの)、あとで掲示を求められたのは現在所持しているクレジットカード(銀行が発行したもの)。

当座預金を夫婦共同の名義で開設したいこと、夫はUCバークレーの学生であることを申し出ると、拍子抜けするほど簡単に手続きが進む。本当に大丈夫なんだろうか?不安でいっぱい。住所不定だと知れたら追い返されるんじゃないかしら?何だかこの銀行員さんを騙しているような気さえしてくる(-“-)途中で私は「実は」と切り出そうとしたのだが、隣で夫が黙らっしゃい!の顔をする。そんなぁ!早く言った方がいいんじゃないの~?とヒヤヒヤする私。

そして、「カードを発行するのでアメリカ国内の住所を教えて」と言われてから夫は思い出したかのように「何月何日にならないと住所が定まらないんです」と切り出した。ずっこける銀行員。すいませんと詫びる心の声をよそに、銀行員は言った。「ここまで手続きしたからいいわ、続けましょう。いつからどこに住むの?」と再び手続きは進む。はて?そんなんでいいの(*_*)?

こうして紆余曲折を経て、晴れて銀行口座をゲット!ありがとう、アメリカ♪ありがとう、Citibank!でもバークレーにATMがもうちょっとあると便利で嬉しいな(^^;)

2012年8月30日木曜日

San Pablo通りのおいしいお店


カリフォルニア州の一部を南北に走る道路、123号(別名San Pablo Avenue)。この通り沿いに見つけた名店を紹介♪

その1:Acme Bread(アクミ・ブレッド)「地球の歩き方」に掲載されている

週末には行列のできる有名なパン屋さんで複数のレストランとも提携しているらしく、Acme Breadのトラックを街中で何度も見かけるほど。

土曜の朝に行ってみたら、本当に人が列をなしていた。でも中に入ってみてわかったのは、一度に2人までしかお客さんを入店させないシステムだということ。お客さんは陳列棚をみて店員さんに注文し、店員さんがパンを手に取って包んでくれる。

様子を見ていると、車でやってきてバゲットを大量買いしていくお客さんが圧倒的に多い。私たちはアップルタルトとクロワッサンを食べてみた。これが、本当においしい!生地がサクサクしていて、軽い触感でしつこくない。食べた後にも胃がもたれない。パンより断然ごはん派の私でも後日リピートしてしまったくらいのおいしさ。

ちなみに、地球の歩き方にはAcme Breadの隣にCafe Fannyという、こちらも評判の高い喫茶店が掲載されているけれど、このお店は2012年3月に閉店してしまったとか!現在はコーヒーの屋台?みたいなお店が出ている。Cafe Fannyの閉店情報はこの屋台のおにいさんに聞いた。何も買わなかったのに教えてくれてどうもありがとう(^^ゞ


その2:Cafe Leila(カフェ・レイラ)

地元の人ぞ知る名店でランチ時にはつねに満席。中庭もあって雰囲気がいいし、オーガニックなメニューに力を入れていたり、週末にはジャズコンサートを開いたりとお店のこだわりも感じられて素敵。

初めて訪れたときに頼んだ、抹茶スムージーで私はファンになってしまった。人工的な甘味料が使われていなくて自然な甘みを感じることができて感激!
朝7時から開店しているので、後日夫と朝食も食べに行った。私はVegan(ヴィーガンと読む。完全菜食主義を指す言葉)メニューを食べた。おいしかったのでこれからも訪ねることに決定♪


その3:PAISAN Berkeley

イタリアン料理のお店。夫と散策中に見つけ、お店がお客さんでにぎわっていたので「これはきっとおいしいはず!」と見込んで入店。ポモドーロのパスタとアップルウッド&ポテトのピザを食べたけど、本当においしい!きっと質のよいチーズを使っているからかな、と思う。夫も私も実はチーズが苦手なのに、ここのチーズはこってり感も臭いもなくて軽い食べ心地で「また行きたいね~」と話すほど気に入ったお店。

2012年8月28日火曜日

渡米後に役立つ物


今さらだけど、カリフォルニアへ到着後、すぐに役立ったもの

・パーカー
(バークレーは8月でも朝と夕方は寒くなるので必須)

・長ズボン
(到着したとき、膝丈のキュロットではとても寒かった!)

・サングラス
(アジア人なら瞳の構造上ある程度は日光に耐えられるけれど、それでも地面からの照り返しで目が痛くなる。充血したり目ヤニも出たりするので、サングラスはあると良い)

・携帯電話
(私はHana Cell(ハナセル)という日本の会社を利用して買った。アメリカでの住所が決まっていなくても、日本にいるうちにアメリカで使える携帯電話を購入できた。実際に、渡米直後に海外送金のことで日本の銀行に電話をかける必要が何回かあったので本当に便利だった!)

・固形の洗濯せっけん
(私たちのようにホテル暮らしをする場合はあると便利)

必要だけど、アメリカでも買えるもの
・日焼け止め
(ドラッグストアでごく普通に売られている。アメリカでは手に入りづらいと聞いていたけど大丈夫だった)

・はさみ(先述のとおり)


日本から持ってくればよかったもの(渡米直後から必要だったと思う)

・つばが広くて顔を隠せるくらいの帽子(日焼け対策に)
→カリフォルニアは想像以上に日差しが強く、日焼け止めを塗っていても日に焼けて顔が赤くなってしまう。私が日本から持ってきた帽子ではつばが小さくて役に立たず後悔…。近いうちに購入したいところ。

適切な距離


バークレーにいて感じる心地よさ。それは他人と自分との距離。外を歩くと本当にありとあらゆる国の人たちが行き交い、日本人だということが少しも特別視されない。どんな姿をしていようと、どんな服装をしていようと、全然気にかけられないし、自分がどう思われているかなんて誰も意識していないように見える。

それなのに、いざ外国人が地図を広げて立ち止まるとたちまち、「Do you need some help?(お手伝いしましょうか?」と声をかけてくれる。ホテルからホテルへと移動するとき、バスに大荷物を持ち込むとすかさず席を譲ってくれるホームレスの男性。お店で食事をしていると、「Do you visit here ? Or live here? (ここに遊びに来たの?それとも住んでいるの?)」と訊かれて交流はするけれど、決してそれ以上のプライバシーには立ち入らない。

この、近づいてもよいラインをわきまえた親切さや社交の感覚がとても心地よい。

私は日本が好きだし、外国に誇れる文化も技術も国民性もあると思っているけれど、苦手なこともある。それはときおり見られるwetな人間関係と排他性。日本ではたいてい、初対面でも年齢や結婚しているかどうか、子どもの有無、出身地、勤め先まで詳細に訊ねられる。そして私の場合は特に、外見に特徴があるので必ずというほどそのことに触れられる。またあるときは侮蔑を受ける。そしてそれは私にとってとても精神的苦痛を伴う。

こちらでは、誰がどんな意見を持っているのか、そして自分の意見を外に伝えられるかどうか、それを基準に人間を評価している気がする。それはとても公平だし私がずっと求めてきたことの一つのように思う。

また、人間は平等だけど、社会的弱者(子ども、障害を持つ人、英語を第一言語としない人など)については徹底的に理解しようとし、手を差し伸べることは当たり前。決して相手のbackgroundや外見を理由に差別や排除をしてはいけないと教育される。それがアメリカだからなのか、移民の多いカリフォルニアならではなのかはわからないけれど、こういう凛とした姿勢はとても尊敬できる。

2012年8月26日日曜日

マイバッグとはさみのススメ。


バークレーで生活を始め、何度もスーパーやドラッグストアで買い物をする機会があって、思ったこと。

1、アメリカのレジ袋は総じて弱い?
大手のスーパー「TRADER JOE’S」は問題なし、二重になった厚手の紙袋に入れてくれるから。他のスーパーもレジ袋をさらに紙袋で包んでくれたりして、ある程度の強度を保つ工夫をしてくれるので合格。しかし大抵のお店でもらうレジ袋、これは強度の面から見て一体どうなの?と思うほど薄っぺらくて、案の定すぐに破れるのよね…。

私は一度、$1ショップ(日本でいうところの百円均一)でガラス製のボウルを買ったのだけど、そのときに懲りたのでそれ以来日本から持ってきた布製のマイバッグを持ち歩くようにしている。

ちなみにその$1ショップで何があったかというと、レジでガラス製のボウルを受け取った店員さんはボウルを業務用の包装紙で1回くるりと、とてもゆるやかに、ふわっと巻いた。そしてそのままレジ袋に入れた。(当然のことながらセロテープなどでの固定はナシ、プチプチなどの緩衝材でくるむといった高等テクニックもナシ(^^ゞ)

お店を出て歩きはじめると、私にはとても嫌な予感がした。レジ袋の中でのボウルの沈みこみ方が気になったのだ。立ち止まって袋をちらと見ると、すでにレジ袋が破れていてボウルが落ちそうになっている!包装紙は固定されていないのでだらりと伸びきって、もはや単なる紙っぺらが乗っかっているだけ。「えっ…(-“-)」あと少し気づくのが遅かったらたぶんボウルはただのガラス屑になっていたところだった。

買い物をすると、どこのお店でもレジで「Do you need a bag?」と問われるけど、以来、私は「No thank you. I have my bag!」とお断りすることに。エコな街バークレーでは「Good!」と褒められたりするけど、別に環境のことだけを考えているわけじゃないの(^^ゞ

2、もうひとつ気がついたこと。それは…買い物をしてきたら、食べる前にはさみが必要だということ。日本にあってアメリカにないもの、それはお客様への心遣い。(←え?)商品を開けるためのミシン目がない、「こちらからお開けください」がない、はさみがなくても開封できるようにあらかじめ入れてある1~2ミリの切れ目(名前がわからない)がないのだ!だからいちいちはさみで切らないといけないのだ!
日本が細やかなのか?アメリカが大らかなのか?ジャッジは2年後に下る…かも(^^ゞ。

※追記(2013.1.6)
2013年1月1日から、カリフォルニア州アラメダ郡(バークレーやアルバニーを含む地域)では、2000軒以上のお店でレジ袋を廃止することになった。そのためこれからは、買い物客はエコバッグを持参するか、有料の紙袋を購入するか選ぶことになった。

2012年8月24日金曜日

subletとは何ぞや?


サブレットというのは、又貸しのこと。アパートメントでも一戸建てでも、住人が何週間、何カ月間か留守にするときに代わりに誰かに住んでもらうというもの。貸主は留守中に住まいを守ってもらえて安心だし、家賃も払ってもらえるからうれしい、借主はホテルより安く泊まれて家具・家電が一式揃っているので生活しやすくてうれしい、という何とも合理的なシステム。アパートメントの契約書にも、サブレットを可とする条項が盛りこまれていたりもする。

私たちは7月後半になってから、旅行シーズン真っただ中の8月に泊まるホテルを探さなくてはならなかったので、ホテルを見つけるのに一苦労。有名どころのホテルは全滅だし、やっと見つけても数日しか予約がとれない状況に目の前が暗くなる…。このままでは野宿になってしまう!

Subletのことは聞いたことがあったので、この際ダメもとでやってみよう!といくつかのホームページを探しまわった。

U-loopというサイトで3軒よさそうな物件を見つけたので申し込んでみたものの、貸主が休暇に出てしまったのかいずれも音沙汰なし。ある物件には「猫が2匹いるので面倒をみてほしい」とか、別の物件には「ルームメイトがいるのでよろしく」といった条件もあって、楽しそうだなと思っていたので残念。

Airbnbというサイトで可愛らしい家を見つけたので申し込んでみたら、家族寮に引っ越す直前の5日間に予約がとれた。先述したけれど、ここの貸主のご夫婦は本当に親切でとってもよい思い出ができた。(UC villageへの引越も手伝ってくれて、感謝感激!)お金さえあったら、2年間ずっとそこに住んでもいい!と夫と話したほど。

2012年8月23日木曜日

やどかり(宿借り)生活


渡米時には、デルタ航空の手違いで座席のダブルブッキングが発覚!エコノミークラスのはずがビジネスクラスに変更になってラッキー(^O^)/もちろん料金はそのまま。成田からサンフランシスコまで、快適な9時間を過ごせて満足♪

以下、UCバークレーの家族寮に入居できるまで、転々としたホテルの紹介(回顧録)。


1、8月4日~6日 Downtown Berkeley YMCA 
「地球の歩き方 サンフランシスコとシリコンバレー 2011-2012」 に掲載
<感想>雰囲気としては学生寮みたいな感じ(値段が安いためか、実際に学生が多かった)

 ○キッチン共同なので、自炊していると他の宿泊客と会話ができて楽しい
 ○階下にあるジム(プールも)を使えるので、体を動かしたいひとには良いかも

 ×夏休みの時期だったので10代の学生が多いせいか?深夜までにぎやか(^^ゞ、
 ×毎日清掃は入るけど、学生たちのマナー悪し(共同スペースの使い方が悪い…)
  →ちなみにトイレ、シャワールーム、キッチンが共同
 ×インターネット(Wi-fi)接続を謳っているが、実際にはほぼ接続できない…


2、8月7日~8月16日 Berkeley Inn 同じく「地球の歩き方」に掲載
<感想>インド人夫婦が経営する、モーテルみたいな感じ

 ○インターネット(Wi-fi)の接続が断然いい!
 ○キッチンはないけれど電子レンジと冷蔵庫があるので、ある程度自炊ができる
 →San Pablo通り沿いの $1ショップで食器を買い、同じ通り沿いのTokyo Fish Market で食材を調達可能
 ○バスタブがあったので、お湯に浸かれる(注意:シャワーのみの部屋もあるらしい)

 ×大学まで通うことを考えると、交通の便が悪い。バス停から遠い…。
 
<エピソード>10日間も暮らしたのでちょっと思い入れあり。
受付(管理人夫妻の部屋)の真上の部屋に住んでいたので気がついたこと。
毎朝8時ころに、インドのおじさん(接客担当)が何かの宗教的なお祈りをしている。
奥さん(部屋のクリーニング担当)の楽しみはインドのテレビを観ることのようで、夜になるとテレビの音と笑い声が聞こえてくる。ときどきカレーの匂いが漂ってきたり、お孫さんが遊びに来ていたり、深夜や早朝に騒がしい宿泊客がいるとおじさんが怒ったり、親戚のおじさん家にいるような感覚でした。


3、8月17日 Capri Motel

スケジュールを勘違いしていて、17日の夜に泊まる宿がないことに気がつき、3日前にあわてて予約した場所(^^ゞ
こちらは南米出身と思われる一家が経営している。小学校高学年くらいの娘さんが、妹の面倒をみながら両親を手伝って、宿泊客をサポートしてくれている。チェックインするときにフロントに誰もいなくてウロウロしていたり、部屋に入るときのカードキーの操作でまごまごしていると、すかさず可愛い娘さんのフォローが入る。

○バス停から徒歩5秒の近さ
○インターネットの接続がよい!
○部屋が広い(ちなみにシャワールームのみで、バスタブはなし)

×喫煙可な部屋だったようで、荷物にタバコの臭いがしみついてしまった…。申込時に確認すればよかった(/_;)

<追記> 今年に入ってからこのモーテルの前を通りかかったところ、名前が「Knights Inn」 に変わっていた。ちょっと見た感じでは建物の外観は変わっていない。


4、8月18日~22日 一般家庭の部屋を借りる(subletサブレット。又貸しについては後述)
モーテルではなく、部屋の一部を貸し出しているご夫婦のところで5日間暮らした。
これが裕福層の住む地域にある、設計事務所を経営するご夫妻の家でした!

○治安がよく、とても静か
○インターネットの接続がよい
○洗濯機と乾燥機が無料で使える
○家もお庭も、とても可愛い!
○バス停から50メートルの距離

×場所柄、坂が多い
×スーパーマーケットまで少し歩く(ご夫妻は親切なので車で送ってくれた!)

<エピソード>とても親切なご夫婦で、いっぱい話もして思い出たっぷり。
お庭にある苺やトマトをはじめ、生っているものは自由に食べていいよ、うちは農薬を使っていないし、肥料には生ごみを利用しているから安心してね、という素晴らしい環境でした!

2012年8月14日火曜日

肌で感じる危険度


カリフォルニアに来てから不思議に思うのが、治安の良い地域とあまり良くない地域を隔てる、見えざる境界線の存在。誰かが決めたわけでもないはずなのに、角を曲がると、もしくは道の反対側に渡ると、空気が明らかに変わる。そこに住んでいる人々も通りかかる人々も、暗黙のラインを守っているみたいに。これは何なのだろう?

私はホテル暮らしの身の上なので定期的に住処を移動している。UCバークレーの周辺にせよ、San Pablo通りにせよ歩いていると、ある区域から急に本能的に身体が警戒する。「あ、ここは女性が一人で歩いてはいけないのだな」とか「ここは昼間ならいいけれど、日が暮れたら出歩いてはいけないのだな」とか。日本にいたときは東京の中でも治安のよい地域に住んでいたので(参照:警視庁ホームページの犯罪マップ)平和ボケしているかと思ったのに、身体が自然と防御の体勢になる。そのことも不思議だけど。

San Pablo通りは危機探知のよい訓練になっている。大学周辺よりも落書きが多く、路上に落ちているゴミも多い。そしてホームレスも多く、目つきの悪い外国人がたむろする場所もある。San Pablo通り沿いで興味深いのが、地域全体が危険な雰囲気を持っているのではなく、このお店の前は危ないけど、あの店からこの店までの間は大丈夫、などと警戒が必要な場所とそうでない場所が点在していること。幸いにも、外を歩いていただけで危険に遭遇したことは今のところない。

と、これを書いていたまさに今日、ひやりとする出来事があった。

ホテルの部屋をお掃除してもらっていたときのこと。オーナーの奥さんが掃除している間、部屋のドアをあけ放していたところ、廊下を歩いてきた男が突然すっと私たちの部屋に入った。少し離れた廊下で待っていた私が「えっ?!」危ないと思った瞬間、男は室内にいた奥さんに気がついたせいか慌てて部屋を出てどこかへ行ってしまった。
男が去ったあと、奥さんと私は顔を見合わせた。奥さんはあまり英語が話せないので言葉は交わさなかったけれど、「今の男は何だったの?!」というお互いの心の声が表情から伝わった。

この男はおそらく常習的な侵入盗で、ホテルなど不特定多数の人が出入りする建物を狙っているのだと思う。なぜなら、私は廊下の窓から外を眺めていたときに、この男は車でこのホテルにやってきたのに受付を通らずに(私たちの部屋は受付の真上にあり、かつ建物の構造上、宿泊客は必ず私たちの部屋の前を通らなければいけない作り)どこからか中に入ってきた。そして私たちの部屋から立ち去るときも受付を素通りしていたから。

そして、ああ、ここは日本ではないのだと痛感した。今回は何にも被害がなくて済んでよかったけれど、もし男が目的のためには手段を選ばない過激な人物だったら?もし男が銃を持っていたら?奥さんも私も殴られ、あるいは撃たれていたかもしれない。そして部屋にあった金品もパスポートも奪われていたかもしれない。

もちろん日本にいたって強盗も空き巣も、車上狙いも殺人も起こるわけだけど、外国と比べたときの治安のよさに名を借りた、赤の他人でもある程度信用できる安心感みたいなものがあった気がする。窃盗に例えるなら、他人のものを盗んではいけないというルールがあって皆がそれを守らなくてはいけない、そしてあくまでも盗んだ人が悪い、とする風潮があるように思う。

でも、ここは自己防衛が主体の国。犯罪が起きるのは当たり前であって、危機管理ができていない方が悪い。盗まれたくないなら、盗まれないだけの防衛策を自分で講じなくてはならない。

これから住むことになるUCバークレーの家族寮も、侵入盗が多いと耳にする。大学も、自転車の盗難(前輪と後輪にそれぞれ鍵をつけるのは当然のことで、それでもタイヤだけを残して他の部品を持って行かれたりする)が本当に多いらしい。

あと2年間、夫と自分の身を守って生き抜かなければ。

2012年8月9日木曜日

まさかの住居問題、勃発!


ときは7月半ば。苦労の末に入国ビザも手に入れてほくほく、あとは引越の手配など地道な作業を進めればよろし、と安心していた妻。一方で夫は、ハウジングオフィスにメールで「住める部屋が見つかったかどうか教えて欲しい」と問い合わせていたみたい。

そして、まさか、まさかの緊急事態!「提出書類が揃っていないので、あなたの申込みは完了していない」という返事が来たのだった!急いで確認するもののこちらの提出に不備はなく、3か月も前に直接渡した書類のことを今さら~~!これか!これがアメリカの事務ってやつか!怒り心頭に達した私たちは抗議することに。といっても電話だと対等に渡り合えそうもないので、やはりメールで。

そこで夫が持ち出してきたのがこの本「相手を必ず動かす英文メールの書き方(著者ポール・ビソネット)」。これは交渉事やクレームの付け方が苦手な日本人にとてもおすすめ。柔和な表現からキツめの表現まで状況別に英語で、具体的な例文を多く紹介しているので本当に役に立ったし、これからも助けになると思う。

そして結果的に言うと、この本は効いた。本を見ながら英文を練って「私たちに落ち度はないこと、4月に書類を提出したこと、同じ時期に申し込んだ知人はすでに部屋を得ていること、そして私たちは8月上旬に渡米すること」を穏やかに書いた。

すると1週間後に返信がきた。「部屋を用意した。ただ入居可能なのは8月下旬だ。それでいいなら家賃と手付金を支払って欲しい」という素っ気ないものだった。ごめんなさいの欠片もないメールだったし、渡米後に泊まるホテルを今から探すなんて無茶だ、と思ったけれど、この部屋を押さえるほかないから「OK」の返事をした。

そして家賃と手付金を再び国際為替で送り、為替証書はEMSを使って送った。後日、契約書がメールで届いたので印刷してサインし、これもEMSで送った。

こういうの、日本だったらOKの返事を受け取った時点でスタッフが「後日契約書を郵送にてご返送いただきたく存じます」とか説明してくれるはずで、そうしたら為替証書と契約書を一度に郵送できるはずで、でもアメリカの事務だからそんな細やかな気配りなんてできないわけで、2回もEMSを使うはめになって出費がかさんで…。

でも、アメリカンな事務の洗礼を受けたあとなので期待値ゼロ、もはや動じないのよ(-“-)

2012年8月8日水曜日

運転免許


バークレーに住むことを決めてから、車の運転免許について何度も夫婦で話し合ってきた。私たち夫婦は運転免許を持っていない。南カリフォルニアは車がないと厳しいみたいだけど、バークレーは?地下鉄BartやバスAC Transitなどの公共交通機関もあるし、普段夫は大学と家を往復するだけだし車がなくても生活はしていけそうな感じ。

でも夫がバークレー出身の先輩方に訊いてまわると、車があった方が便利に越したことはない、特に買い出しや観光をするのであれば。また、バスやタクシーは、ドライバーの技術においても職業倫理においてもあまり信用できない、とのこと。
結局、夫が運転免許を取得することに落ち着いた。本当は時間的に余裕のある妻が取ればよかったのだけど、幼少の時分より反射神経の鈍さには定評があるため、公衆の安全を考慮して免許取得の任務は固辞しましたとさ。

晴れて6月末に夫は国内運転免許を取得!忙しいなかで頑張ってくれてどうもありがとう。私は知らなかったのだけど、同時期に夫は平日夜間の英語のビジネススクール2か所にも通学していたらしい。夫は以前からずっと仕事で帰りが遅かったので気がつかなかった能天気な妻…。

と反省しつつ、準備をすすめないとね。国内運転免許を取得したあとに必要なのは、渡米前に「国際運転免許証」と「英文の無事故無違反証明書」の二つを手に入れること。

国際運転免許証は江東区の運転免許センターに行って、パスポートと写真とその場で記入する申込書を提出し、申請手数料を支払って1時間ほどで発行された。免許証というわりには灰色の厚紙でできていて頼りないなあ…。

英文の無事故無違反証明書は、扱っているセンターが遠方にあるので郵送で請求した。「経歴証明書」という名前の申込用紙を交番や警察署で配布しているらしいので、近くの交番でお巡りさんに「経歴証明書」をくださいと言うと実際にもらえた。
この経歴証明書は払込用紙になっているので、記入後はそのまま郵便局のATMで支払いできる。英文の証明書をもらうには、備考欄にしっかりと氏名の英語表記と、「英文」と書くこと!支払ってから10日程度で郵送されてきた。

私たちはカリフォルニアではカーシェアリングを利用したいと思っているので、申込時にはこの無事故無違反証明書が役に立つはず。

2012年8月6日月曜日

大学決定後の手続き(ビザ取得)


I-20が届くのは一体いつになることやら…とやきもきしていたが、意外と早く郵送されてきた。大学には普通郵便での郵送を頼んだけれど、結局2週間もかからずに受け取れた。

さて、次はSEVISの支払いという作業がある。SEVISの正式名称はStudent and Exchange Visitor Information System。これは一言でいうとアメリカ政府が国内の留学生について情報を管理する制度で、9.11のテロ以降に強化された制度。アメリカの大学は留学生について氏名や住所などの個人情報を政府に提供しなくてはならず、そのための情報管理手数料を留学生本人が負担しなくてはならないらしい。え…?そんなのあり?と言いたくなるけど、支払わないと先に進めないので払うしかない。

留学生一人ひとりにSEVIS番号が付けられていて、その番号はI-20に記載されている。I-20にSEVISの費用の支払い方法が説明されたレターが同封されているので、それをもとにSEVIS支払いのホームページにアクセスして、支払い。これはクレジットカードでの支払いのみ可能だった。

続いては急いでアメリカ大使館でビザの申請をすることに!インターネットで検索してみると、大使館で面接を受けるまでに、まずオンラインで申請書(DS-160という名前)の提出が必要らしい。
このDS-160は10ページ以上も入力しなくてはならず、なかには申請者の中学校以降の学歴や学校の所在地、過去5年以内の職歴、会社の所在地や電話番号などといった下調べが必要な項目もあった。あと、入力した情報について確認できる照会先を家族以外で2名挙げ、それぞれの氏名と住所、電話番号を入力しなさい、という項目もあった。(夫は会社の上司について書いたけれど)実際に情報照会なんてきっとしないとは思うけれど、いきなりこんな項目が出てきたので焦ってしまった。

そんなこんなで、このオンラインでの作業には入力だけで3時間ほど費やしてしまった。といっても途中でページを保存して何度でも呼び出すことができるので、実は何日かにわけて作業した。

我が家ではインターネットの接続環境がよくないので、近くの某ドーナツショップにパソコンと書類一式(I-20,パスポート、夫の学歴など書きだしたメモ、UCバークレーの所在地などがわかる書類)を持ち込んで入力開始!その日は夫の分(F-1)と私の分(F-2)をおおむね入力したところで保存して家に帰った。ちなみに夫の分を入力するときに同行する家族についての情報も必要になるので、私がF-2ビザを求めていることはそのときに入力できる作りになっていた。

一番困ったのは、DS―160の入力と並行して、ビザ申請手数料の支払いを行うのだけど、どこにどうやって支払えばいいのかという情報に全然たどりつけなかったこと。アメリカ大使館のホームページを見てもちょっと(だいぶ?)不親切でわからず、他の方が書いているブログをいくつも検索して、それでもとうとう私には全貌がつかめなかった…。

ちなみに手数料の支払い方は、入力作業と写真のアップロードを終えたあとに、バーコードのついた確認ページを印刷する。ちなみにこのバーコードは支払いとは関係がない。その後にビザ申請の受付番号が割り当てられたページが表示されるので、それも印刷。そこで支払い方法を選択することができる、という複雑な構造になっている。ATMで支払うかクレジットカードで支払うか選べる。

また、DS-160の最後に写真をアップロードする必要がある。写真の背景が白でないと再提出をさせられると誰かのブログに書いてあったので、近所の白い建物を背景にデジカメでお互いの写真を撮った。何ともはた迷惑な夫婦。でも、いざアップロードしようとしたら背景がやはりNGだとエラーメッセージが表示されてしまった。さて、どうする?

そこで我が夫、ペイント機能を使って背景を消しゴムで白く消すことを思いついた。そんなので通用するのかな~と冷ややかに見ていたけど、夫が自らやってみたらなんと写真が受け付けられた。ここで出社時間になったので夫とは別れ、私も手作業でせっせと自分の背景を消し、アップロードもどうにか一人でできた。DS-160についてはこれで終了。

…と思ったら、まだやることがあったのね。「送付先情報」というものも入力しないといけないらしい。これは、大使館から後日ビザや提出書類が返送されてきたときに送付して欲しい宛先を入力せよ、ということみたい。夫の名前で自宅の住所を入力し、家族の分として私も入力。面接の予約はそのあとにやっと行うことができるという迷路のようなシステム。これで、これで本当に終了!

その他にこちらで用意するものは返送用の封筒。これは郵便局で500円にて販売されているExPack500というもの。この封筒の宛先に自分の名前と住所を書いたものを、大使館での面接時に他の提出書類と一緒に窓口に出せばOK。

ちなみにこのExPack500が必要だという情報は大使館のホームページには書かれていなくて、他の方のブログで初めて知りました。大使館さん、手続きを時系列にするとか、必要なものを一覧表にするとかわかりやすくしてくれたらとってもありがたいのだけれど。それにしても大変だった!

~後日談~
大使館の面接時は、予約した面接時間とは関係なく、早めに行って列に並んだ方がいいです。午後の受付は2時からということだったので、1時半くらいに着いたものの近くで時間を潰していた。だけどこれが失敗!2時に大使館前に行くとすでに長蛇の列…。結局建物の中に入れたのは1時間後。中で待つことさらに1時間でやっと面接、…って、もう4時なんですけど!面接時間の予約には意味がないのだと学んだよ。きっともうビザを取得する機会なんてないけどね(-“-)

あと、提出する書類は透明なクリアファイルで一人分づつまとめること!私は夫の分を透明なクリアファイルで、自分の分を黄色いクリアファイルに挟んで提出したら、黄色い方は取り上げられて(^^ゞ大使館に備えてあった透明なクリアファイルに入れ直された。そして二人分のクリアファイルはもう手元に返ってこなかった…。

疲労困憊で面接に臨んだけど、面接官がフレンドリーな人だったので良かった。夫がカリフォルニアに留学すると告げると、「Vacation Visaにしてあげようか?」と冗談を言ってくれたりして、楽しく5分が過ぎた。ありがとう、目にも鮮やかな緑の水玉ネクタイの人。(職場でそんな派手なネクタイをしていいのかしら?)

あ、ビザやパスポートその他の書類は、面接から3日後に郵送されてきました。

2012年8月5日日曜日

大学合格と手続き


3月7日、UCバークレーからまさかの合格通知がメールで届く。
すごいテンションの夫に起こされ、いかにバークレーがすごいところなのかを切々と説かれつつ眠くてたまらなかったあの日の朝に私たちの人生は転機を迎えた。

3月半ば、入学の意思をメールで伝えた。夫によると、気候や日本人の少なさなど諸々について熟慮の末、UCバークレーに心を決めた、とのこと。「御意」と返事する妻。ええ、妻たるもの、ニューヨークだってカリフォルニアだって(贅沢な選択肢ですこと!以前に合格通知が届いていたコーネル大学とコロンビア大学は辞退することに)どこにでもついて行きますわよ!

さっそく住居について調べる。ありがたいことにバークレーにはUC villageと呼ばれる世帯寮があるらしい。善は急げと申し込み用紙をダウンロードし、さくさく記入してファックスを送った。その後ハウジングオフィスという寮を管理する事務所からメールでフォローが来て、提出すべき書類と申請手数料の受理ができないとwaiting listに載せられないというので、あわてて書類を手配する。そして申請手数料の支払いをするために生まれて初めて国際為替を利用した。英語で申込用紙と為替証書に記入。電信処理は郵便局で行うので、為替証書は自分で郵送する仕組みらしい。
ちょうど4月上旬にUCバークレーで入学予定者を対象にしたオリエンテーションがあり、夫は会社の休みをもらって参加するので世帯寮の入居申込書類と為替証書は夫に直接ハウジングオフィスへ提出してもらった。これで住居については、入居の順番が割り当てられるのを待つだけ♪

これからやるべきことはアメリカ大使館からの入国ビザの取得、だけどその前に大学から入学証明(I-20)を入手しないといけないのよね。厳密に言うとI-20を手に入れてSEVIS(後述します)の費用を払う作業も済ませないと、大使館の面接予約ができないみたい。

で、まずは大学にI-20の発行をお願いしないと。NIF(Non-immigrant Information Form)登録という学生登録をオンラインで済ませると発行してくれるらしいので、大学のホームページから夫と二人で励まし合いつつ、氏名や現住所などの入力作業を終えた。ん?終わったの…かな?終わったのよね。よし、これで後は待っていればI-20が郵送されて来るはず!これが4月半ばの話。

…ときはGW明け。一向にそれらしきものが送られてこないので焦りだす夫。さすがアメリカン、手続きも大らかなのね~と思っていたら夫は大学にメールで問い合わせたみたい。あなたのNIF登録が完了していない、との回答が来たのでまさかと思いつつログインしてみると…前回入力した内容がそのまま残っている。ほら~登録してるのに、とスクロールしていくと、小さなsubmitボタンを発見。え?一気に血の気が引くのんき妻。おそるおそるクリックしてみると画面が変わり、「Congratulation!あなたのNIF登録は完了しました。つきましては下記の書類を郵送してね。郵送が遅れるとI-20の発行も遅れちゃうから気をつけてね❤」という文章が。
そのあと夫婦の間にどんなやりとりがあったかは割愛するけど、急いで必要な書類を集めて(銀行からの英文での残高証明やパスポートの写しなど)これまた生まれて初めてFedExを利用して郵送を済ませたのが5月半ばの話。

2012年8月4日土曜日

ごあいさつ


はじめまして、Chaiです。
夫がUCバークレーに留学するため、カリフォルニアへ引っ越してきました。
日々のあれこれを綴っていきたいと思います。